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自分で行くと決めて、行けたこと

小学校からの同級生数人と集まる機会があり、私はそこに出かけた。

長丁場になる集まりで(飲み会ではなくてホームパーティみたいな)、私は行くかどうかの返事を数回、ひっくり返していた。

オランダから帰ってきて1ヵ月間、寝床にいる時間がとても長かった。

時差ボケが治ることなく、風邪をこじらせて、昼夜逆転したままだった。飛行機を降りたときからの耳の違和感が悪化していて、中耳炎かもしれないと思った。
自律神経がかなり混乱していて、夕方になると上半身が熱くてたまらなくなる。足元は冷たいのに、頭が熱くて眠れない。ふくらはぎから下を足湯につけ、首から上は保冷剤を巻いていた。


それでも少し、「日本社会に対する猛烈ないらだち」が薄れる瞬間があった。うまく歯車が合った、波長が合った、タイミングが合ったその瞬間、「社会に適応できないことの不安」は、「じゃあ自分は具体的にどうすればいいかを挙げて行動するしかないんじゃないか」という考え方に変わる。

私は電話をかけて、心療内科の予約を取ったり、デイケアに申し込んだり、耳鼻科を受診したりした。聴力は少し低下していたが中耳炎ではなく、ビタミン剤などの薬を飲み始めた(てきめんに効いた)。

そして車の運転を再開して、近くの図書館と、遠方の図書館に出かけた。車があれば用事はとてもスムーズにこなせる。


人とコミュニケーションをとることも、具体的な行動のひとつだ。
そう思って、二転三転していた集まりに参加することにした。

というか、まずその場に行くことがあまりにも怖かったので、お酒の力に頼った
集まるメンバーのうち数人で、前日にもちょっと飲もうということになり、そこに参加したのだ。

地元の沖縄の人と長々と話すことが本当に怖かった。

オランダにいた1ヵ月間は、夫と長い時間一緒にいた。夫の家族や友人ともお茶を飲んだりお酒を飲んだりして楽しんだ。
そのコミュニケーションは、夫と結婚したことで生まれた新たな私という存在、25歳以降の私という存在によるものだった。
それに英語だし。オランダ人にとっても私にとっても英語という第二言語を使って、お互いに分かりやすいように話す場だ。

地元の、小学校から一緒のメンツと、どういうふうに接したらいいか分からなくなっていた。
オランダ人と結婚し、オランダに住んだが、現在実家に戻っている、しかし離婚したわけではない、そして無職。
という立場をどう説明して、どう受け入れてもらったらいいのか、まるで分からない。

なので私は酒を飲んでそのパーティの前夜祭に挑んだ。

そして久しぶりに飲んで、飲みすぎて何軒もはしごし、夜中に帰ってきて実家の玄関で寝ながら漏らした。


パーティ当日、私は昼過ぎに起きて、ひどい二日酔いになっていることが分かった。おしっこの染みたシーツを洗い、シャワーを浴び、着替えて出かける準備をする。

非常に強い不安感を感じていた。それも二日酔いの症状だ。
グエっと吐きそうだけれど前夜に行った4軒目のバーのトイレでしっかり吐いた記憶がかすかにある。胃の中のものではなくて昨日飲みすぎて豪快になった私の行動を吐いて流し去りたいのである。昨日飲んだメンバーのうち私以上に酔っぱらっている人はいなかった。

化粧をして、着替えながら、夕方の自律神経の乱れで、頭が熱くなってきた。
私は首に保冷剤を巻いた。すでに汗じみている服を脱ぎ捨てたい。人に会うときどんな格好をしていたか分からない。服の流行も何も分からない。
服を脱いで、違う服を着直した。それもヘンに思えて、また別のを着た。
同級生のひとりが、もうすぐ迎えにくるのに、私は散らかった肌着とか、髪を拭いたタオルとかを見つめて床に座っていた。

「今日やっぱやめる」

というテキストを打とうか。

おしろいが汗に浮いている。首のうぶ毛も剃っていない。
今日の気温に合った、履き心地のいい、素敵な靴は一足もない。どれもすすけて見える。オランダから持ち帰ってきた大切な靴たちだったけれど。

でも私は、結局最初に着ていた服を着て、出かけることにした。
熱くても、恥ずかしくても、みっともなくてものすごい不安でも、そこに行こうと自分で決めたことを、自分でまっとうしたい。行くと返事した私を人数に入れた友人がいる。車で迎えに来てくれた友人がいる。


同窓ホームパーティは、久しぶりに集まったぎこちなさから始まった。いろいろ話したし、いろいろ聞いたけれど、27歳の今どうしてるかよりも、昔から続いている話のほうが多かった。
それぞれの時間を生きていて、たまたま交差しているというだけ。
誰々が何々したという噂話も報告も、耳には入っても私を通り抜け、同時に私の報告もみんなを通り抜けていく。

自分の人生にいっぱいいっぱいで、今しなきゃいけないことと、したいことがあるので、人のことは、成功も失敗も逐一覚えているヒマがない。

という感じだった。
それはとても心地よかった。二日酔いの回らない頭を癒した。
伏せっていて、人との交流がなく、自分、自分で過剰に頭でっかちになっていたのだな、と思った。















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