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No. 5. 朝、目をさますときの気持ちは、面白い(太宰治「女生徒」)

 ビジネス書を読んでいると、朝の素晴らしさを得々と語るページをよく見かける。「朝の1時間は夜の○○時間に匹敵する」ひどいものだと「朝の過ごし方が人生を決める」なんていうのもあった。一方で私の友達は「朝は眠くて仕方がない。ずっと寝てたい」なんて言っている。

さあ、あなたはどうか。

朝、目をさますときの気持ちは、面白い


 太宰治「女生徒」は次のような書き出しで始まる。


  朝、目をさますときの気持ちは、面白い。(中略)箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。


 さすが太宰治、句読点の使い方が、面白い。どうやら主人公の朝に対する感覚は私の友達に近いようだ。


社会がぼんやりと見える歳、14歳 

 本作は14歳の女生徒が起床してから就寝するまでの1日を綴った物語である。何気ない1日だ、ドラマはない。しかし、その中には女生徒がもつ社会への痛烈な嫌悪が読み取れる。互いに嘘を言い合う大人たち、周りにこびへつらう母、厚化粧のおばさん。作品の全体から「こんな大人にはなりたくない」という叫びが聞こえてくる。しかし、かなしいかな、女生徒はすでに大人になりつつあるのだ。


学校の修身と、世の中の掟と、すごく違っているのが、だんだん大きくなるにつれてわかって来た。学校の修身を絶対に守っていると、その人はばかを見る。変人と言われる。出世しないで、いつも貧乏だ。


 14歳という年齢は人が“社会”を体感し始める境目のような気がする。「14歳の栞」という映画がある。なんの変哲もない中学2年生のクラスに1年間密着する映画だ。そこには受験という社会のシステムがぼんやりと見え始め、なんとなく自分の未来に希望を見だしたり、絶望したり、そんな年齢が14歳なのだ。中二病という病は他者の視線を意識してこそ発症する。“他者”が自分の中に埋め込まれていくのだ。
女生徒は“他者”を嫌う。そして自分に埋め込まれた他者に怒り、これ以上大人になることを拒む。しかし、悩む。私が正解なのか、それとも、他者?


強く、世間のつきあいは、つきあい、自分は自分と、はっきり区別して置いて、ちゃんちゃん気持よく物事に対応して処理して行くほうがいいのか、または、人に悪く言われても、いつでも自分を失わず、韜晦しないで行くほうがいいのか、どっちがいいのか、わからない。


物語の終盤、就寝の前、女生徒は思う。


明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。


 この部分だけを切り取ってみれば暗い言葉と読めるかもしれない。しかし、これは希望だ。女生徒は明日に目を向けることに成功したのだ。あれほど大人を嫌った女生徒は大人になる自分を受け入れたのだ。

 結局、女生徒の1日は何気ない1日のように思えて確実に1歩進んでいた。まるで同じところを回り続けているようで、前に進んでいるバネの針金のように。

女生徒は眠りにつく。明日に向けて、大人に向けて。

そして目覚めてこう思う。

「朝、目をさますときの気持ちは、面白い」と。

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