小説「だから誕生日は嫌いなんだ」
「お誕生日おめでとう!」
友人からの甲高い声は僕をひどく萎えさせた。
7月19日。迷惑だ。
彼女は背中から、おそらく誕生日かクリスマスのときにしかお目にかかれないであろう、密度のないキッチンシートのような素材でできた包みを僕の前に向けた。
昨日食べたラーメン屋のロゴマークみたいな赤一色、金のリボンに白シール。ゴシック体でHappy birthdayの文字。
僕は屋台で売られるお面の裏側のような笑顔で感謝を伝えた。
プレゼントは大切に、両手で受け取った。
「ありがとう!とても嬉しいよ。大学行ったら会えないなんてさみしいな」
「急に何言ってるの!ラインもあるし来年もプレゼント渡すよ」
嘘だ。渡すはずがない。しかしわざわざ和やかな雰囲気を壊す必要はない。長話にならぬよう軽い雑談で終わらせた。
「誕生日おめでとう!はいこれ」
今度はてらてらと光るビニール製の包み。
「今年もありがとう!大切にするね」
そろそろ会話のレパートリーも尽きてくる。
結局プレゼントは8個になった。ありがたいことに変わりはない。でも何かが違う。お中元でもらったゼリーの詰め合わせを消費するような。儀礼的なプレゼント、そしてその消費。どうしても心から喜べなかった。
ああ、どうして誕生日にこんなこと考えないといけないんだ。
だから誕生日は嫌いなんだ。
7月19日。アルバイトだった。
「お疲れさまです」
「おう、おつかれ。今日はフロント頼むね」
「わかりました」
今日のシフトのメンバーは小林、松坂、あとは社員か。これなら特に問題ないだろう。
「ハンバーガーセットがおひとつ、チーズバーガーセットがおひとつ。以上でお間違えないですか?」
おそらく30代の夫婦。メニューを見ているんだかドリンクマシンを眺めているんだか分からないような視線で軽くうなずく。「はい」くらい言えないのか。私は張り付いた笑顔を外すことなく、レジを打ち続けた。
なんとなく腹が立って年齢は60代で入力した。
特にこれといったアクシデントもなく、サプライズもなく、今日のバイトは終了した。
月は上らず、生ぬるい水の粒子が体じゅうに張り付いた感覚。蒸し暑い。ふとコンビニが目に入る、月がないせいだろうか、普段よりばかに明るく見える。
私はふらりとそのコンビニに立ち寄りコーラとチーズケーキを購入した。
もちろんアパートには誰もいない。水道料金の請求書が玄関に寝そべっていた。
チーズケーキとコーラはスマホで動画を見ながら15分ほどで食べ終えた。
窓に目をやる。空が黒に塗りたくられていた。なんだか笑える。
もういいや、今日は寝よう。
ベットの中で一言、暗闇にむかって投げつけた。
だから誕生日は嫌いなんだ
7月19日。壁一面本が立ち並ぶ喫茶店。
アイスティーを2つはさんで彼女がいる。佐藤奈央、僕の友達。
半年前に時間を戻したい。出会いはバイト先だった。
いつものように無心でレジを打ち、なんとか時間を忘れようとしていたとき、突如空気をぎゅっと握りつぶしたような破裂音が僕の無心を打ち砕いた。実際には一人の客がジュースをこぼしただけだった。
「お怪我はありませんか?こちらをどうぞ」
白いタオルを渡す。彼女が佐藤奈央。どうやら僕と同じ大学らしく、全く覚記憶にないが、同じ科学哲学の授業を取っているらしい。
それ以降、彼女は会うたびに僕に声をかけてくれた。彼女も読書が好きだと知ったときは驚いた。正直チャラそうな男と遊んでいそうな見た目だったから。いや、その見立ては間違っていなかったのだが、とにかく彼女と僕は同じく読書が好きで、本の好みも驚くほど似ていた。
そして彼女は、佐藤奈央は目の前にいる。奈央の背にある岩波文庫がどういうわけか、彼女の妖艶さを掻き立てていた。
「たしかに、最近の小説に出てくる主人公ってなよなよしすぎだよね」
「少なくとも三島や川端の時代は違った。太宰はまあ、なよなよしてるか」
「あれはなよなよって言わない。ああいう一見なよなよしてるのに裏で女の子とイチャイチャしてるのが一番タチが悪いんだから。裕太もそうなっちゃだめだよ」
「ならないよ。なれないし」
「たしかに、裕太には無理そう」
彼女は僕の誕生日を知らない。いいんだ。これでもし誕生日を教えて去年みたいに何もなかったら、何かが少し壊れるような気がしていた。
これ以上望んで何になる。
壁掛け時計から鐘の音が聞こえる。9の文字盤から出てきた青色の鳩が勇気と覚悟のない僕を嘲笑していた。
「もう閉店の時間じゃん。今度は太宰の話もっとしよ。私聞きたいことあるの」
「わかった。また今度」
「あっ。はいこれ、プレゼント。」
彼女はカバンから小包を取り出した。表面には僕ですら知っているようなブランド名が印刷されていた。
「どういうこと?」
「どいうことって、今日裕太の誕生日でしょ」
「教えてない」
「科学哲学のとき、誕生日順に席替えするって日あったじゃん。そのときに。裕太いっつも声ちっちゃいから聞き取るの苦労したんだからね」
「ごめん」
「何謝ってるの。どう?嬉しいでしょ」
「うん、嬉しい」
「やったね。それじゃあ今度は私のぶんよろしく。10月11日。忘れないでよね」
プレゼントはネックレスだった。自分に似合っているとは到底思えないデザインだったが付属のメッセージカードには「こういうのも似合ってると思うよ。もう少し自分に自信を持て!」と書かれていた。
「なんで誕生日隠してたのかは知らないけど、隠すような仲じゃないんだし誕生日くらい教えてよね。裕太は私の気持ちをぶつけられる数少ない友達だと思っています。これからもよろしくね」
救われた、腹が立った。どうし大切な人ひとり信用できないのか。僕は黒く染め上げられた空間の中で、めくるめく光を抱えて一言投げた。
だから誕生日は嫌いなんだ。
7月19日。アパート。
バラエティー番組をぼうっと眺めながらインスタグラムのストーリーをチェックする。
とある女性の夕食。テーブルにはカラフルな缶が立ち並び、画面端には黒く筋肉質な腕がピースを作っていた。
僕は一つの確信を抱き、つぶやいた。
だから誕生日は嫌いなんだ
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