見出し画像

映画「遠いところ」感想 【こんなん、どないしたらええねん】

先週、映画「遠いところ」を観た。観終わってから今まで、この映画は私の心から出て行ってくれない。

私はレールの敷かれた人生を歩んできた自覚がある。高校受験、大学受験を経て就職して結婚した。日本人なら、みんなの前に平等にこのレールが敷かれていると思い込んでいたが、それは勘違いだったと気付かされた。

「遠いところ」の主人公も、敷かれたレールを進んでいるだけのように感じたからだ。「当たり前」にこんなにも違いがあるなんて。愕然とした。

まだ上映している映画館も多い(上映開始していないところも!)ので、是非興味があれば観ていただきたい。

まだまだ知りたいこと、調べたいこと、考えたいことはあるが、今回は映画の感想とパンフレットの内容に絞ってnoteに書いていく。


▼「遠いところ」公式サイト

▼「遠いところ」あらすじ

沖縄県・コザ。
17歳のアオイは、夫のマサヤと幼い息子の健吾(ケンゴ)と3人で暮らし。
おばあに健吾を預け、生活のため友達の海音(ミオ)と朝までキャバクラで働くアオイだったが、 建築現場で働いていた夫のマサヤは不満を漏らし仕事を辞め、アオイの収入だけの生活は益々苦しくなっていく。
マサヤは新たな仕事を探そうともせず、いつしかアオイへ暴力を振るうようになっていた。
そんな中、キャバクラにガサ入れが入り、アオイは店で働けなくなる。
悪いことは重なり、マサヤが僅かな貯金を持ち出し、姿を消してしまう。仕方なく義母の由紀恵(ユキエ)の家で暮らし始め、昼間の仕事を探すアオイだったがうまくいかず、さらにマサヤが暴力事件を起こし逮捕されたと連絡が入り、多額の被害者への示談金が必要になる。切羽詰まったアオイは、キャバクラの店長からある仕事の誘いを受ける―
若くして母となった少女が、連鎖する貧困や暴力に抗おうともがく日々の中で たどり着いた未来とは。

映画遠いところ公式HP「STORY」より



感想……の前に、基本情報

「遠いところ」は、沖縄で生まれ育ち、10代で子供を産んだ少女「アオイ」が主人公だ。17歳のアオイの周りには、日常的に暴力があり、貧困の連鎖はありふれてしまっている。自己責任で片付けてしまうのは簡単だ。とはいえアオイが選べる選択肢はあまりにも少なすぎる。

沖縄は一人当たりの所得が全国で最下位。こどもの相対的貧困率は28.9%と高い。この数字は全国平均に対して倍以上だ。(パンフレットのデータより)

映画を観るまで、私は沖縄の一面しか知らなかった。というか教科書で習ったデータと人々の暮らしを繋げて考えられていなかった。

  • 沖縄では第三次産業が80%以上を占めている(平成30年)。

  • 沖縄の本土返還されるまで、27年ほどアメリカが統治していた。

第三次産業が80%占めているということは、職業の選択肢が少ないということだ。映画に出てくる男性たちからその様子が窺える。

また、本土返還までの27年で、沖縄と本土との間にズレが生じてしまっているようだ。静岡県に住む私なら当たり前に頼れる場所が、アオイには少ないように感じた。

パンフレットの山内優子氏の寄稿文によると、児童福祉法ができた1947年、沖縄には日本の法律が適用されなかった。本土返還前だったからだ。児童館は設立されず、公立の保育所も数えるほどしか出来なかったという。戦争孤児や戦争未亡人が多くいたのにも関わらず、だ。

少なくとも数十年前には、沖縄で負の歯車が回り始めてしまったのだろう。



敷かれたレールを進むと負の連鎖が広がってしまう現実

沖縄では中学からキャバは当たり前だよね

映画より(うろ覚えなので細かい表現は違うかも)

映画では、キャバを続けられなくなったアオイも昼間働くために面接を受ける。が、時給が低く月収が8万円ほどにしかならないことを知る。さらには働いている間、子どもを預けられるところもない。昼職を諦めざるを得ない。生きていけるだけのお金を、学歴のない10代でも稼げるような仕事は、違法な選択肢ばかりだ。

アオイの境遇は、私にとってはまるで別世界の話のようだったが、きっと誰かにとっては「あるある」なのだろう。その事実があまりにも苦しい。アオイがグレて悪さをしているというより、アオイはアオイの前に敷かれているレールを走っているだけなのだろう。

私だって、若いうちから留学したり学生時代に起業したりできなかったし、今も主婦で宇宙飛行士を目指したり出来ない。レールから外れることの大変さは同じだ。「なんで今から〇〇を目指さないの?出来てる人はいるやん」と偉人と比べられても、無理なことは無理だ。そんな無茶をアオイたちに求めることは出来ない。

超絶立派な人でなければ、この負の連鎖から出てこれないとすれば、それは本人ではない誰か・何かが、問題に立ち向かわなくてはならないのではないか。本人のやる気だとかそんな言葉に押し込めて、無責任に他人事にしてはいけない問題だ。

こういった、本人が足掻いてもどうしようもない問題は、身近なところにもあるのだと思う。目を背けることが当たり前になりすぎていた。これでは解決しないわけだ。少なくとも、そう感じた私が目を向けてみなければならない。



子どもには罪はない。次の加害者にもなってほしくない

アオイの息子、健吾にも思いを馳せてしまう。健吾には全く罪はない。彼はどんな大人になっていくのだろうか。

専門ではないのだけど、当たり前に暴力を受けて育った子どもが大人になって子育てをする時、暴力以外のコミュニケーションをするのは簡単なことではないように思う。子どもには罪はない。でも負の連鎖は起きやすい。

「自分が受けて嫌だったことは、他の人にしたらアカン」と責めることは簡単だ。けれど、他のコミュニケーション手段を教えてあげられなかった人が、そんな正論を振りかざすのはズルすぎる。


ならば、何かすべきタイミングと、言うべき内容、言うべき相手は……?分からない。この答えを知るために、身近なところで募集しているボランティアにもっと積極的に参加したい。主催者の方にも話を聞いてみたい。



私に出来るかもしれないこと

支援には、明日のための支援だけでなく、数年後のための支援や次世代のための支援があると思っている。どの支援も大切だ。

私は今、書くことで何かを伝える仕事をしたいと考えて修行中の身だ。

支援が必要な誰かから、どんな問題があるのかを聞き、広く伝え、みんなで考え、解決できる誰かと繋げる役割を担いたい。


負の連鎖は増えるばかりで、止めたり、減らすことはできないのだろうか。私にはサッパリ分からないけれど、何か出来ることはあると信じたい。



最後に

鑑賞直後、まず「こんなんどないしたらええねん」と映画館の椅子で思った。立ち上がるまでに時間がかかった。

どれだけ考えても、全然考えがまとまらない。けれど、noteに自分なりの「答え」を書くことより、この映画を広く知ってもらって、いろんな人と一緒に考える方が大切だと考えた。

是非、観てほしい。
問題は今起きているから、配信を待たずに今すぐ観てほしい。無理なら配信でもいい。観たら落ち込むけど、それでも観てほしい。



この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?