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僕は仕事で疲れている

先日、高校の「課題研究」で家庭内の家事の分担について調べているという高校生のインタビューを受けました。

課題研究っていうのは、大阪府の説明によると「各自の興味や関心に応じて疑問に感じたことや深く追究して みたいことを通じて、各自でテーマを設定し、研究しその成果 を発表するという内容の取り組み」だそうです。で、私のところに連絡をくれた高校生は、家の中の家事分担に興味を持って、どうやったら、お母さんが一人でやっている家事を家族内でシェアできるかに関心を持って、しらべているうちに、私の本に行き当たって連絡をくださったのでした。

で、彼女が問題だと感じていることのひとつが、「どうせ最後はお母さんがやる」と、他の家族が思っている、というところでした。
どうしたら、他人ごとの家事が自分ごとになるのか、っていうあたり。
「でも、お母さんも、「最後は私がやらなくちゃならない」って思っているんじゃない?」 私がそういうと、「そうですねぇ。確かに」という返事。

全部家事を妻や母に押しつけることができて、現状の方が楽な人たちが状況を変えようと考えることはまず期待ができない。
となると、変えたいと思う人が、まわりを揺さぶるしかない。
けれど、それには、変えたいと思っていることが大事。
現状に不満を感じていても、変えたいと思ってないかったり、
これが有るべき姿って思い込まされているとなかなか難しい。
そして、変えようとすると、場合によっては家庭内に摩擦が起きる。
それは避けられない……という現実。
彼女も、そうすることで、家庭内で喧嘩になったりしませんか、と心配する。そうなのよ。もめるの、一回か二回は。というと、彼女は考えていた。

そして、もう一つ彼女から聞かれたことが、「お父さんは仕事で疲れているから手伝いまでできないというんですけど、佐光さんはそれをどう思いますか?」だった。

僕は仕事で疲れている。僕の方が稼いでいる。
よく聞くセリフだなぁ。
彼女の大事なご両親であることを考えると、あまり切って捨てるような考え方も……と思ったけれど、一応それは「甘えだと思う」とお答えしました。
自分は疲れている。
という言葉の裏に、相手への思いやりは感じられない。
相手も疲れているかもしれない、とは思わない。
一緒に暮らしたいと思って結婚したのに、相手のことは気にならなくなっちゃうって、どうなのかしらねぇ……。そういうにとどめた。

仕事が公なら家庭は私。
公私どっちが重要かといったら、圧倒的に公っていうのが日本の社会。
だから、公の顔が大きい人は、公での役割をまっとうするために疲弊したら
私で十分休養をとって、回復することを赦される。
でも、それには、私で休養する態勢を整える人が必要で。
その整える人は、公で活動する人に仕えることで、間接的に公に仕えているのだから、その人は感謝して仕えるべきだ……といった感じが日本の家庭の根本を支えてきた。
その昔は、仕える人は女中だったけれど、戦後、それが妻に置き換わった。
そして、そこに「愛情」という言葉をまぶすことで、家族の面倒を見るのは愛情だという錯覚を起こさせたんだろうなぁ。

インタビューしてくれた高校生も、「お父さんは仕事で疲れている」というのはおかしいんじゃないか、とは思っていた。ただ、それを論理化できずに、もやもやしていたのだと思う。

お父さんは仕事で疲れている。
そうだよね。でも、お母さんも家事で疲れているんだから、実はお互い様だよね。

お父さんは仕事で疲れている。(その疲れながらやっている仕事のお陰でお前らは暮らして行けているんだから家でくらい休ませろ。)
そうだね。でも、お母さんも疲れながら家事やってくれているから、洗濯した衣類を着られて、自分で食事を作らなくても住んで居るんだから、実はお互い様だよね。

そして
お父さんは仕事で疲れている。(その疲れながらやっている仕事のお陰でお前らは暮らして行けているんだから家でくらい休ませろ。)
子どもの立場からすると、
本当にそうだよね。お父さんがお金を稼いでくれているから私達は学校に行けている。ありがとう。
というのが親の期待するところなのかもしれない。
でも、
あなただって、親のすねかじって育ったんだよね。
とも思う。
自分一人で大きくなって、自分一人で稼いで、自分一人で生活回していると思っているとしたら、大きな勘違い。でも、その大きな勘違いがなければ言えないよね、「仕事で疲れている」なんて。

そんなことを考えながら、高校生への答えを探す。
その中でふと思ったのは、
日本は家庭内を稼ぎと家の仕事、公と私に分けて分業を推進してきた。
けど、分業の結果育ったのは、家族への無関心だったんだなぁということ。
それが、戦後の企業戦士と女将兼女中のいる専業主婦家庭の最大の負の遺産。

家事シェアっていどういうこと?
といわれたら、
それは家事の分業を是正し、家族への無関心を是正し、
家族に関心持ちながら一緒に暮らす事への軌道修正なんだと
改めてにんしきした1時間。



得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)