60点くらい
「自分に点数をつけるとしたら何点ですか?」
という質問を唐突に受けたことがある。一般レベルよりかなり美意識が高く普段から身体作りに非常にストイックな男性からである。
その質問は何が狙いなのか?何点と伝えるべきか?何点と伝えたら喜んでもらえるだろうか?納得してもらえるだろうか?
質問された瞬間に私の頭の中はフル回転し始めた。何点と答えるか。そしてその点数の理由も。
そして絞り出した回答が
「60点」。
ちょっとつまらなかっただろうか。まあ、これくらいの点数であれば、自信満々で嫌な感じもせず、“自己肯定感”低過ぎて面倒くさそう感もなく、そこそこストイックで向上心もあり謙虚さも見せられるであろう、と考えた結果である。
そういえば、試験の合格正答率も大抵6割なのではないか。
私は自分を完璧だとはもちろん思わないし、人間のクズだとも思わない。あえて評価するなら“出来る限り完璧に近付きたいけどまだいろいろ足りてない出来損ない”だと思っている。この表現、なかなかしっくりくる。
「ええっ僕から見たら120点くらいに見えますよ」
なんてある程度想定内の気遣いをいただけたが、そもそもこの質問はあまり意味のないものとして気にも止まらなかった。
後日、この会話をネタにした話を共通の知り合いがいる場でその男性が述べた内容は、
「彼女(私)はご自身を65点と評価しました。僕から見たら120点くらいの女性なのに。ちなみに僕は自身につけるとしたら62点です」
???
「僕も65点と自分に評価できるようがんばります!」
いや、あなたこそ本当は90点くらいに思っているでしょう、というかあなたのお仕事柄そう思っていると伝えた方が良いですよ、と突っ込みたかった…。いや、80点と伝えた方が謙虚さも残せて印象良くなるかな?
私のしょうもない思惑の末に伝えた見せかけの“自己評価の点数”が、このように利用されるとは。少し申し訳ない気持ちになった。
自分というものは生まれてから死ぬまで一生連続するものである。
その中で「好ましい自分」と「好ましくない自分」が繰り返し表れる。
それははっきりと自覚できる場合やそうでない場合もある。なるべく自覚できている方が、自分も周りの人間も心地良く過ごしやすい。
それは数字で示せるものではなく、自身の感覚でしか掴めないものだったりする。
気分が体調に影響を及ぼすこともあれば、体調が気分に影響を及ぼすこともある。
その微妙な変化は自分自身にしか掴めない。
いちいち数字で評価しなくても良い。
一部の他人からの一方的で無責任な評価もそれほど気にすることはない。
自分自身で自分について知らない部分を少しでも減らしていけることが、心身の悩みや苦しみから解放される近道なのではないだろうか。
と、ここまで頭の中で自分自身を納得させようとしていながら、日々様々な数字や評価に振り回される私。
完璧からは程遠い自分を、少しは愛してあげよう。
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