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【短編小説】鯖と昆布

以前、文学系投稿サイトで発表していた創作物を加筆修正して再掲しています。 以前投稿していたサイトからは削除してあり、現状この作品はnoteのみで発表しています。


 無理の所以

 モノゴコロついた頃。とは言ってみたものの、モノゴコロというのがどんなココロなのか?と言うことについてはっきりと答えられないので具体的な年齢は言えないがうっすらとした記憶さえないような昔から私は「無理。」と、何かにつけてそれが口癖のように舌を滑って出るようになってしまっていて、だからそうねぇ、あんまり人から頼まれ事を頂戴しなくなって楽でよろしいのだが成り行き上やはり知人友人という存在が極端に少ないというか寂しい人生を歩んでいる現在である。

 だが、ガキの頃は今ほどポツと一人部屋に籠もり続けていたと言うこともなく、ごくふつうに学校にも通っていたし、元気に屋外を走り回り、はしゃぎ回り、度が過ぎて友人らと喧嘩になってぼこぼこの袋叩きにあって骨折したりだとか、戦争ごっこに興じていて「無理。」といいながらも戦場となっている木材置き場でこそこそと逃げ隠れしながら偶然眼前に現れた敵の歩兵、学校での通称「ピー」を捕らえてしまい、捕虜として自陣に連れ帰ったは良いものの特に聞き出すこともないのにみんなで相談して拷問しようと言うことになったからさぁ大変、いやがるピーを材木に縛り付け、その手に着火したクラッカーを握らせて爆発させた挙げ句、哀れにも掌の皮がずる剥けになって泣いているピーのロープをほどいて戦場に置き去りにしたまま帰宅し、晩飯に鯖の煮付けを喰っていたのだがそうしたらピーの親が怒鳴り込んできてしまって、我が父はへこへこと頭を下げていたにもかかわらず勇猛果敢な我が母はそんな卑屈な夫を張り飛ばし、さらにピーの父母をも張り飛ばしてしまったことから我が家庭はいよいよ孤立してしまって、その獰猛な母の噂が広がってしまった私もまた孤立してしまって寂しかったそのころについていた私のあだ名は「無理」。

 はっきり言ってムカついていたね。そのころ。
 「無理。」と呼ばれる私の心。私の気持ち。
 確かに普段から友人知人両親教師親類縁者のだれから何を言われてもとりあえず挨拶のように「無理。」とひとまず口にしていた私にも問題はあるかもしれない。だが、だからといってそれをそのまま愛称にされてしまってはミモフタモナイというか、だいたいに於いて体裁が悪い。
 小学生くらいのガキというのは無分別、無礼、無思慮でその上意地が悪いのだ。
 天下の往来で私を大声で「無理無理無理無理、オーい無理!」と呼びくさる。
 呼ぶと言うより、叫ぶ。
 絶叫する。
 しかも大群で咆吼しやがるから往来の人間は白目を剥いて驚きそして、一旦は叫ぶガキ連中に目をやるのだが最終的には呼ばれた私を凝視し、せせら笑うのだ。糞野郎共。

 更には両親に手を引かれ、幸せいっぱいで当部落銀座商店街をそぞろ歩いていた私を発見した薄汚く不幸にまみれた泥人形のようで鯖臭いガキ共は「なんだなんだ、オイ、戦争しようぜ拷問しようぜピーの野郎をよ!なっ無理、無理無理無理、無〜理、無理!」と全く思考することなくその混濁した脳の中身を直接ぶちまけるような嬌声をあげて走り寄ってくるのだ。そうして近隣住民からせせら笑われるのだ家族全体が。
 バカ野郎。
 意地汚い反吐ガキ。痔瘻の住処。垢人形共めが。
 けっ!低脳。

 我が子がそんなことを言われても父は恥ずかしげに俯いてへへへと笑うばかりだし、母は豪快にガハハと反っくり返って笑っていたのだ私の両脇で。親も親だ。
 痔瘻の住処。
 垢の浮いた風呂桶。
 かっ!低脳。

夕景に美しく殺気

 オレンジに焼ける夕方の空は部落の空でも美しくて唯一、ねじれた私の心を癒すものであった。
 私はヘドロの浮く臭い川の土手に寝そべり、夕焼けに心を癒されるのが日課であったのだ。

 そうしてすっかり心を癒されていたその日。あ、またあいつらだ、死ねばいいのに。

 もう文字にするのも嫌になる「無理。」の連呼によって、癒された私の心は一気にささくれて殺気立つ。

 ほんの些細なことなのである、こうして大人になってから考えてみたらそんなことは。悪口とも言えない程度の悪ふざけである確かに。

 だが、その当時の私の精神状態はこの無礼な徒名によって全く追いつめられていたのであってもぅ、ぶちキレる寸前だったのだ。
 親も助けてくれるわけではないし敵は増長してますます「無理。」の連呼は激しくなるしで当時、私の頭の中には文字通り寝てもさめても「無理。」が響き続けていたのだ。
 だったらまず自らを律してそんなことを言われなくても良いように「無理。」というネガティヴ・ワードを発声しないようにすればいいじゃないか、そうすれば敵方だって「無理。」の連呼をする理由をなくして言わなくなり、あなたの悩みも解決するのだから。だからそれはおまえが悪いんだよ、バカ。
 と、こんな事を言うやつ、てめぇ、ぜんぜんわかってねぇよ、わかってませんよ。こういった事というのは事後になっていかに自らの行動を改善したところで治まるものではないのですよ、なぜなら。
 鯖小僧共の罵倒はその頃すでに私の口癖とは無関係になっていて、単に囃し立てたいから囃し立てているだけなのだからですよ。
 へんてこりんな徒名をつけてそれを全員で詠唱し、小馬鹿にする。
 鰯の鼻くそ程度の脳しか持たない奴らの思考はそうなのだよ、大人のあなた。

 夕焼けによって心癒されていた分、その至福を突き破って出現した罵倒による苦痛とそれに起因する怨嗟の心。
 これは文字通り筆舌に尽くしがたいものでその瞬間ガキの私は確実に狂った。と、今は自覚できるけれどもその当時はもちろん狂ったとは思っていなくてただ、敵が憎くて額から脂汗が流れていて「ぶっ殺す」というその一心が強く強く心のの中にわだかまってしまって「ぶっ殺す」側の私の方が、もう憤死寸前だったので「あ、死ぬな、俺は、このままでは死ぬな、間違いなく。死ぬくらいならぶっ殺そう、あいつらを。」と、いわば刺し違える心意気というか、そう言った信念に突き動かされてそうなると案外、行動が冷静になってしまい、ふんふんと鼻歌を吹き鳴らし、軽やかにスキップを踏んで学校近くの文房具屋に押し入り、店主のジジイが「いらっしゃい」と言ってから店に出てくるまでに時間がかかるのをこれ幸いと彫刻刀とかカッターナイフとか、都合良くそろえて置いてある刃物類をダダダダダッと、金持ちがフグ刺しを箸で手繰るような勢いでもってすくい上げ、そのまま満面の笑みを浮かべながらくるりと反転し、スキップもそのままに店の外に出てとりあえずそうねぇ、カッターでイキますか?ってなもんでバリバリッと勢いよく包装を引きちぎり、ガチガチと刃を引き出して正面から迫る「無理。」の連呼めがけてそれを投げつけたのだ私は。

鯖の群れ

 ぽそ。

 いかん。遠かった。

 カッターナイフは私と敵軍の中間よりさらに私寄りの歩道に落ちた。

 双方共に歩道に落ちたカッターナイフを瞬時眺めていたのだが、私は「殺りそこねた。」という慚愧の念から、敵方はそもそも私が何を投げつけたのかもよくわからなかったようで互いに沈黙し、一撃目は私にとって完全なスカであった。

 だがやはりバカである。鯖並みの生き腐れ野郎共である。のこのことカッターナイフの落ちている地点までやって来て私が何を放って寄こしたのかを確認しているのである。

 「あっぶねぇなぁ。」

と、鯖のリーダーである通称オチマルが呟いた。

 「ふふん、バカめ、チャンス!」と、私はほくそ笑み、今度は彫刻刀、それもやや幅の広い平刀をチョイスして刃先保護のゴムカバーを抜き取り、オチマルめがけて投げつけた。平刀はくるっと回転し、我が人差し指の肉を薄く剔りつつ飛んだ。

 ぽそ。

 いかん。軽かった。

 やはり忍者のようには行かない。手裏剣は見た目より重量があるために結構な飛距離を出せるのであって、あまり手の油を吸っていない新品の彫刻刀それも、小学生が使用するような代物では軽くすぎて全然飛ばなかったのである。

 だが所詮、他人をあげつらう程度の楽しみしか持てない低レベル、低脳のオチマルであるので、刃物が飛んでくるというその一点に恐怖し、あわわわわという形に唇をひん曲げて阿呆の群に逃げ帰っていく。

 「けけけ、逃がさんよ!!」

 私の声は陰気に、だがけたたましく周囲に響き、オチマル軍はその声にもまた恐怖したようで「ひぃぃぃぃ!」とまるでテレビの時代劇で殺される寸前の町人のような声を上げながら逃げていくのだが、そこはやはりバカで脳が臭い鯖軍団である。とにかく群れ。一団なのである。と言うことは、私がびゅんびゅんと手当たり次第に刃物を投げつければこれは、鯖の群に網を伐つようなもので確実に何匹かは仕留められるのだ。
 本当にバカな奴ら。
 臭い奴ら。
 生き腐れの痔瘻鯖。

 そして私はその通りにした。びゅんびゅんと、ついでに自分の手の皮膚が肉が切れて大量出血し、ぼたぼたと地面のコンクリに黒い斑点を作ってゆくのを感じてちょっと気持ち悪いな、痛いなとヤな気持ちになりながらも手当たり次第に刃物を投げつけた。
 投げつけ続けた。
 憎しみも怨嗟も消え、感情ではなくてただ刃物を投げつけること。鯖を殺戮すること。
 自分がその行為そのものになっているような。そんな清々しい心持ち。

 悲鳴が聞こえていた。私を遠巻きにして女子の声で。

 私の両手は血だらけで、それはもちろん私の指の肉が裂けたために出血している私の血液なのでとても痛くて、ハナもだらしなく垂れていて、きっとたまらなくみっともなかっただろうと思う。
 みっともなく立ち尽くす私を遠巻きに見て悲鳴を上げる多数の女子。
 
 私は勃起した。

 とにかく私は呆然と突っ立っていた。

 そして突如後頭部にラリアートを喰らって私は膝を折った。

反撃のジジイ

 崩れ様見たのは文房具屋のジジイ。左手はラリアート後のフォロースルー、右手には血に染まった無数の刃物を抱えて。

 「このガキ、とんでもねぇ、万引きした商品で他の子を襲いやがって!もうじき親が来るからな!覚悟しとけ、この鯖小僧!!」

 鯖どころではない。私は昆布のような存在であった。無力だ。

 ズガンと頭に振動が伝わってジャリッと顔の皮が剥けた。
 歩道のコンクリにぶつかってちょっと頭がバウンドした瞬間、オチマルの高笑いと鯖軍団の「無理。」コールが聞こえ、見えた。

 残念だ。

 無念だ。

 私は足が遅かった。

 私が放った手裏剣はひたすら地面に落下し、ついに鯖を一尾たりとも捕らえることはなかったのである。

 鯖は速かった。

 ダメだ。体を鍛えよう。私はその時、文房具屋のジジィに愛想笑いを浮かべつつペコペコする我が父親と文房具屋のジジイを高笑いしながらブチのめす我が母親の幻を見ながら決心し翌週、部落のソフトボールチームに入団したのだった。

私はやはり昆布である。

 せっかくそうしてガキの時分に体を鍛えたというのに、大人になったらこのようにぽちと部屋にたったひとり籠もっていて数の子にまみれることすらなく。

(了)

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