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ハロー・ダークネス・マイ・オールド・フレンド 2 中編

2 中編

夜になった。
山根に連れて来られた本部は、
老婦人がいる丘の上の洋館だ。
丘の上に続く一本道の先にその建物はある。
駐車場に車を停め、門を入る。
ガーデニングや自然栽培の野菜畑が広がる庭の小径を歩き、建物の裏手に回る。
割りと大きめの温室があり、その中は枝葉の大きな熱帯植物などがぎっしりと並び、ちょっとしたジャングルを思わせる。
室内温度はかなりの高温だ。しかも湿度も高いので、着衣のままサウナルームに入ってしまった感じになる。
前を行く山根は澄ました顔で歩く。2人ともスーツ姿である。
奥の片隅にテーブルがあり、そこに老婦人が腰掛けてティーカップを手に持っていた。
「よく来てくれたわね」
「ご無沙汰しています」
高城が老婦人に会うのは実に5年振りだ。
「座りなさい」
老婦人は向かいの椅子を手で指し示した。
はいと頷いて高城は腰掛ける。
老婦人は痩せてはいるが背筋は真っ直ぐに伸びており、紫がかった髪を綺麗に纏めている。身につけている物も質素だが高級そうなものばかりだ。
「先日の永野の件、ご苦労様でした」
「あ、いいえ、こちらこそ、助けて頂きまして…」
「それは良いのよ」
老婦人は別のカップに紅茶を注いで高城の前に差し出す。
「怪我をしたそうね」
「あ、ほんの擦り傷ですから、大丈夫です」
「顔も見られたとか」
「あ、はあ」
山根からあの夜の事は全て報告が行っている様であった。
「暫く、仕事から離れて貰うわ」
「分かりました」
「けれども」
「はぁ」
「あなたには、あと一件どうしても片付けて頂きたい仕事があるのよ」
「そうですか、私で良ければ」
「そう、おそらくそれが最後の仕事になると覚悟しておいて」
「…………」
「用はそれだけ、後は山根の指示に従って」
「は、分かりました」
「ご苦労様でした」
高城は立ち上がり一礼し、
「失礼します」と呟き、老婦人の元を去る。
全身が汗だくになり、なんだか息苦しく感じる。
あんな場所に居ながら老婦人は汗ひとつ掻いていなかった。
山根と共に温室を出る。山根もまた汗ひとつ掻いていない。
そしてもと来た道を逆に戻り車に乗り込む。
別荘を出る時、高城は振り向いて洋館を仰ぎ見たが、そこはすでに霧に半分隠れ、やがて見えなくなった。


しばらく仕事を離れて貰うと言われはしたが、それがどれくらいの期間であるのか分からず、不安な気持ちのまま、何ヶ月か経過した。
いくら待っても山根からの連絡は来ない。

そんなある日、高城がゴーストライターをしているもとの作家先生と打ち合わせをすることになった。
作家とはこの所、山根を通さず直接メールでやり取りをしている。
その打ち合わせの最中、ホテルのラウンジでコーヒーを飲んでいる時、高城は隅でひとり週刊誌を読み耽っている男の視線を感じていた。
その男は手に持った週刊誌を見ている様な振りをしてはチラチラと高城の方を盗み見ていたのだ。
気にはなりながらも、作家との打ち合わせを済ませ、高城はラウンジを出た。
ロビーに降りるフリをして高城は廊下の片隅に身を潜めた。
ラウンジから週刊誌の男が出て来た。
注意深くロビーを見渡しながら歩いて行く。
高城と打ち合わせしていた作家がホテル前でタクシーに乗り込むのを、男は影に隠れて様子を伺っていた。
作家をつけていたのかと一瞬思ったのだが、終始俯き加減であったその男がふいにどこか斜め上方に顔を向けたのを見て、高城はぎょっとした。
あの時のSPの男だった。間違いない。
高城は確信した。
永野元外務大臣を暗殺した日、雑木林の先にあるコンクリート塀まで追い掛けて来て発砲したSPの男。
その男の顔を高城ははっきりと思い出した。


井上はすでに警護の仕事は辞めていた。
あの日、永野元外務大臣が暗殺された事の責任を取る形でその職を辞していたのだ。
あの時、右上腕部を掠めて行った弾丸の感触は今でもその辺りにまざまざと残っている。
雑木林を追い掛け、逃げる犯人をコンクリート塀まで追い詰めたものの取り逃してしまった。
しかし、あの時見た犯人の顔を井上は脳裏に刻み付けていた。
その男を見つけたのだ。
ホテルのラウンジで年配の白髪男と小声で何やら話し込んでいた。週刊誌を手に持ち隠れる様に男の顔を確認していたのだが、もしかすると気付かれたのかも知れない。
ラウンジを出たところで後を追ってつけようとしたのだが、ロビーに出ると男の姿は消えていた。
だが、年配の白髪男の方がタクシーに乗り込む瞬間を目にした。
どこかで見た顔だなと思った井上は、もしかしたらと、フロントに声を掛けてみた。
「あの、今ここを出てタクシーに乗られた方、有名な方でしょう? ちょっと見覚えがあるのですが、名前が出て来なくて、どなたでした?」
フロントの女性は、ああという顔で、
「作家の先生ですよ」と答えた。
「あ、そうか、思い出した。そうだったな。ありがとう。思い出せてスッキリしたよ」と礼を言ってホテルを出た。
作家先生と暗殺者との繋がりとは、何なんだ?
と井上は考えていた。
しかし、この再会が井上の心に思わぬ火をつけることになった。


ようやく高城の携帯に山根から連絡が入った。
新しい仕事の依頼らしい。
前回の老婦人の話ではこれが最後の仕事になるはずだ。
山根は今夜8時に来ると言った。
大抵、話は山根の車の中で行う事になっている。
高城は丁度良いと思った。
先日ホテルでSPと顔を合わせた件も、山根には一応伝えておいた方がいいと思っていたからだ。
時間通りに山根は訪れる。毎度の事だ。
車の後部座席に高城が乗り込むと山根は車を走らせる。
どこへ行く訳ではない。話は運転中に一方的に山根から高城に伝えられるのが常だった。
いつもの通り後部座席に封筒が置かれている。
ここにターゲットとなる人物と暗殺の予定日時や場所など付近の見取り図と共に必要な情報は全部揃っている。
「中を見ろ」山根が指示する。
高城は封筒の中から写真と書類を取り出す。
その写真を見た刹那、「えっ?」と絶句した。
「こ、これは、どういう事なんだ」
思わず高城は山根に尋ねた。
「見た通りの事だ」
「いや、でも、これは……」
「驚いたか?」
「当然だ。どうして?」
「それが最後のターゲットであり、かつ、依頼者でもある」
「依頼者?」
「そうだ」
「わけが分からない!こんな仕事は請けられない」
「では、残念だが、俺がお前を殺す事になる」
「何を言ってるんだ」
高城は写真を持つ手が震えた。
そこに写っていたのは老婦人本人であった。

山根の長い話は続いた。
話を要約すると、老婦人は病魔に冒されていて余命幾許も無いらしい。
老婦人がこんな裏の仕事を始めるきっかけは、若い頃にあった政治家永野との深い因縁によるものだったという。
老婦人は永野の様な社会に巣食う悪人達を抹殺するため、こういう裏組織を作った。
それが前回の高城が行なった暗殺によりその計画は完遂したと。
勿論、それまでに関わった他の仕事も皆それなりの理由があっての事だ。多くの人の依頼を老婦人は抱えて生きて来たのだ。
そして最後の標的を撃ち落とした時、この闇の組織は解散する。最初から決めていた事だという。

「だとしても、老婦人を暗殺する必要があるのか?」
高城の疑問は尤もだった。
山根はふっと口元を歪めると、こう告げた。
「あの人は公的にはすでに20年前に亡くなっている人間なんだ」
山根は老婦人のことをあの人と呼ぶ。
「は? すでに亡くなっている?」
どういう事だ?
「その理由は言えないが、いる筈のない人間の死体を第三者に任せる訳には行かない。あの人は俺達の手で闇に葬る」
「どうやって?」
「それはお前は知らなくていい。後始末はこちらでやる」
「それなら俺が殺しに関わる必要もないだろう? 誰かが注射一本でも打てばそれで済む話だ」
「そうだな。では、誰が注射を打つ?」
「いや、それは……」
山根はひとつ溜息をついてこう言った。
「あの人はこう言ったよ。最期の死に方は自分で選びたい、と。
これまで多くの人間を抹殺して来た。それと同じ方法で殺して欲しいと。
その時期やタイミングは俺に任す。そして実行するのは、高城、お前に頼みたいとの事だ。
それが、こんな裏稼業をやって来たあの人なりのけじめのつけ方なんだろう」
「けじめ……」
そんな気持ちがあったなんて、知らなかった。
それは、暗殺者として分からなくもないが……。
でも、どうすればいいのか。

高城は前回、老婦人と会った時の事を思い浮かべた。

(あなたには、あと一件どうしても片付けて頂きたい仕事があるのよ)

あの時の老婦人の言葉が胸によみがえる。
あれはこの事だったのか。
すでに、あの時……。
高城は老婦人の決意に強い意志を感じた。

「お前の腕は一流だよ。それは俺も認める。辛い運命を背負い一旦は死にかけたお前だが、この5年間で培って来たものがある。
永野を死に追いやったのもお前の腕があったからだ。
だからあの人も最後はお前に任せたいと、そう希望している」
「そんな……」
「今度の報酬は大きい。お前がその任務を全うすれば、もう一生、何も困る事は無くなる」
山根の言葉は高城の胸に冷たい様な熱い様な不思議な感覚を響かせた。
高城は暫く黙って考え込んだ。

結局、そのまま高城は断る事も出来ずに自分の部屋に戻った。
SPと出会ってしまった事の話も持ち出せない程、動揺していた。
暗殺を決行するのは一週間後だ。
それまでに腹を決めなければならない。
というか、逃れられない使命なのだ。
心を整理する、それしか仕様がない。
今はまだ多いに戸惑い迷っている。
気持ちを固めるのに一週間は短過ぎる時間の様な気がした。


元SPの井上はそれから作家先生を張り込んだ。
作家と暗殺者との接点は何か分からないが、必ずまた接触を試みるはずだと踏んだ。
作家を訪れる者は少なかった。出版社の担当編集員、身の回りを世話する中年の女。
一応それらの身元や経歴は調べた。SPをやめたとはいうものの警察にはまだまだ顔が利く。
特別なルートを用いて調査したい事は頼めば大抵答えが返って来る。
違法だが秘密のルートを通じて護身用の小さな拳銃も手に入れた。
張り込んで4日目の夜、その男を見た。
ぴったりとしたスリムなスーツに身を包んだ隙のない出立ちに井上は通常の人間ではないものを感じ取った。
闇に紛れて作家宅を出入りした男は通常なら見落としてしまうほど動きに無駄が無かった。
井上の経験と目がその男を捉えた。
その男の後を井上は追った。
井上の尾行能力は超が付くほど優秀であったが、それでもその男には何度も振り切られそうになった。
相手もプロであると感じた。
これはプロとプロの戦いであった。
最終的に男を見失ってしまった井上だったが、丘に続く一本道まで辿り着いた。
そして、霧の中にその洋館を見た。


続く

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