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成績表の意味とは?

小さい頃から成績をつけられ、大人になってもそれがボーナスとか賃金にあらわれてきますが、人が人を評価する事は重みがあり、見える化してはいるけれど、明確ではなく、曖昧でつける人の感情が入らない事もなく、正確なものになっていないのが現実ではないでしょうか?

私の記憶に残っているケースとして、息子の中学1年頃の事です
息子は数学が得意で、その数学がわからなくなる事や、数学の成績で上位取れなくなるのが嫌で塾に行かせて欲しいと頼まれた程でした
期末か中間テストか忘れましたが、いつものように数学の試験勉強をしてる時、「他の教科も勉強しないと総合的な点数が取れないよ」と私
息子は「全部やってたら数学の点数も落ちて結局すべてだめになちゃうよ、いいの?」と怒りだしました
その当時の私はまだ高校受験もあるし、総合的な底上げを成績アップが1番と考えていて、息子のモチベは2の次になってました

その頃の成績は数学のみ飛び抜けてよく、他が残念な事が本当に残念と思ってしまってた自分が腹立たしいです
今なら、どんどん数学だけでも自分の納得いくまで勉強しなと言えるし、その数学をめちゃくちゃ褒められるのに

今月もらった娘の成績表には、数字的なもの、また評価に自分の気持ちは左右されず、大きな枠の1つとしてかまえるようになりました

頑張ったものが正しく頑張りを他人に認めてもらえた事を、親子で素直に喜べる成績表でありたいです。

仕事になると、またこれがややこしい評価のつけかたになります
仕事の数字としての結果や、面談での自己評価、上司と部下の相性やら、本当にややこしい、しまいには、都合の良い評価につくり変える事すらしてしまい、罪悪感はないのだろうか、その人の生活能力やその家族の人生をもかえてしまいかねないのにと思います

ニュースでも度々話題になる、改ざん問題とかです

評価のつけかたと、評価を受け取った側のうけとり方、良い方向に向くものとなって欲しいですし
内容が今のままで良いのか、無くしたほうが良いのか、考えてほしいです

世の中、いろんな人がいて、評価はつけにくい、つけられないのが正解といいたいのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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