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母と猫

わたしが家を出るとき、母はひとりになる。

いつか訪れるそんな日が、わたしは怖くてたまらなかった。ひとりぼっちでリビングに座る母を想うだけで、胸が苦しくなった。

だからわたしは、猫を飼いたい。

小さくて愛らしい猫を飼う。誰にも相談せずに、猫をもらってくるのだ。今のうちに。母は、「誰が世話すると思ってるのよ」と最初は怒るだろう。ペット飼おうよ、と言うと、いつもそうやって嫌がるから。

でも、相手は猫だ。ふかふかで、キュートで、あたたかい猫。母だって、きっとすぐに大好きになるはず。そしてわたしが家を出たあとも、さみしくならないはず。

そう思っていたのに。

昨日、母が大事に育てている観葉植物に花が咲いたと喜んでいる姿を見て、「動物も飼おうよ。猫とか」と軽く、本当に軽く言ってみた。すると、「絶対いや」と、母は間髪入れずに言った。表情も声色も、がらりと変わった。

「なんで? いいじゃない。猫、かわいいよ。わたしが家を出ても、さみしくないよ」

わたしは焦って、口早に言葉をつづけた。すると母は言った。

「誰が看取ると思ってるの? 猫は、お母さんよりも長生きしないでしょう」

ぎゅ……想定外の回答に、でも納得せざるをえないその言葉に、胸が絞められた。

母は、生を見ていなかった。生の先の死だけを、見ていた。

わたしといっしょだった。母もわたしも、普通の生活を送っているけれど、父の死は身体に、見えない傷として深く刻まれているのだ。

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