saki

物書き/イラストレーター 家族と友人と恋人のこと。自分の愛し方のこと。

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物書き/イラストレーター 家族と友人と恋人のこと。自分の愛し方のこと。

最近の記事

もう会えないあなたを知り続ける

記憶のなかの父は、怒っている。 10歳のとき、わたしは父に連れてきたもらった近所のボウリング場を、3つ下の弟といっしょに抜け出した。ボウリング場に着いてから割引券を家に忘れたのを思い出し、「少し待ってなさい」と言って取りに戻った父を、数分後に追いかけたのだ。気持ちよく晴れた日曜日の午後の風のなかを、懸命に走った記憶がある。けれど結局追いつけず、別の道から帰ってきた父と入れ違いになって、散々探されたあと「どうして待っていなかったんだ、警察を呼ぼうかと思ったんだぞ」と、こっぴど

    • 今日から変わってゆく、愛されたいわたしの話

      「ずっと、あなたのことをパートナーとして見れなかった」 付き合ってもうすぐ2年の彼が、電話口でそう言った。 わたしは、その言葉をどこか他人事のように、眺めるように、聞いていた。ショックを受けないように、自分を目一杯に防御していたのだ。 彼とは、もうすぐ結婚すると思っていた。 * ちょうど1年前、「いつごろ結婚したいと思ってる?」と聞いてくれたのは彼だった。仄暗い彼の部屋、夜の始まりの空気のなかで。わたしはその問いに驚き、照れて、思わず涙がこぼれてしまったのを覚えてる。

      • 海暮らし 終わり

        桜が咲いて、散った。 春が来るまでの旅と決めていたので、荷造りをして、街を出た。 約1ヶ月を過ごした部屋は、ものの数時間の片付けで、わたしが住んでいた痕跡をなくした。小さくて、四角い、日当たりの良い、わたしの居場所だった空間。 街のあちこちに、愛おしい日々のかけらが散らばっていた。 新芽を見守っていた街路樹。野良猫に出会えた小径。毎日外から眺めていたお惣菜屋さん。いつものスーパー。お団子を食べたベンチ。親切なお花屋さん。先月末に閉まってしまったお肉屋さん。遠くに海が見

        • あなたの死で、今のわたしが生きている。

          いつぶりかに、父からの手紙を読んだ。 父が亡くなってから渡されたもので、わたしはそれを何度か読んだけれど、内容をぜんぜん覚えることができないので、いつも「そんなことが書いてあったのか」と泣いてしまう。 今回も、ひとりの部屋でわんわん泣いた。 小さなワンルームだけど、人目を気にせず大きな声を出せるのがなんだか嬉しかった。 父。わたしの卒業も、就職も見届けられなかった父。これから、結婚も、出産も、見届けられない父。 あなたが居てくれればと、何度思っただろう。 それは父

        もう会えないあなたを知り続ける

          ドンマイを贈る

          ご飯すらうまく炊けないのか。 わくわくしながら炊飯器を覗き込むと、そこには水分をたっぷり吸って、いつもとは違う様相のごはん。 わたしは本当にいろんなことがうまくできないなあ。 そんな自分に笑いながら、もったりとしたごはんに茹で卵とネギを乗せて……うん、これはこれで悪くない、って味を確かめながら食べる。なんでも実験的で、おもしろい。お米は、水が多すぎたのだろうか。それとも炊飯器の調子が悪い?だとしたら、次回は水を少なくして……などと、頭の中で算段。こうやって少しずつなんで

          ドンマイを贈る

          わたし、息を吹き返す

          月曜日。この街へ引っ越してからはじめて海へ行った。 空は雲が多かったが澄んでいて、気持ちの良い朝だった。海まで歩く途中、すれ違う人々の人生を想った。 とんびがピィヒョロロと軽やかに鳴くのが聞こえたら、目の前に海が広がった。海。風は優しく、もう冷たくない。春。 遠く水平線と、すぐそこの波打ち際をぼんやり交互に見つめて、家から持ってきた白湯を飲んだ。 瀕死だったこころが、少し息を吹き返した感覚があった。 これこれ。この調子。こうやって少しずつ、わたしがわたしであることを

          わたし、息を吹き返す

          そのひぐらし

          朝、部屋は光が射していて眩しかった。 不動産屋さんの言っていた通り、日当たりだけは良いみたい。安心した。 朝から小さいお風呂に身体を丸めて浸かり、それから卵をたくさん茹でた。味玉を作り置きしたいのだ。でも、殻がうまく向けず、白身がぼろぼろになってしまった。卵の殻すらうまく向けないのか……と、ひとりで思わずにやにや。 今日は、数ヶ月放置してすっかりプリンになった髪をたずさえて、美容院へ。初めて訪れる場所にどきどきしていたが、あたたかで優しい美容師さんたちばかりで、話すのが

          そのひぐらし

          海暮らし 1日目

          この街に来たのは初めてだった。 駅に着くと、柔らかな太陽の光がいっぱいにホームに降り注いでいて、とても良いなと思った。この街の第一印象は、日当たりが良いことだ。 家から電車で運ぶには大きすぎる、でも1ヶ月間暮らすには小さすぎるスーツケースをなんとか転がしながら、引越し先のマンションを探す。 線路沿いののんびりとした道をまっすぐ進み、小さな坂に苦労しながら、わたしの今日からの家を見つけた。外観は写真の通りだが、扉をくぐると嘘みたいに古いポストたちが並んでいる。その中から鍵

          海暮らし 1日目

          願いなのか、空想なのか

          海辺の街で暮らしたいな。 これは、昔からのわたしの夢。ずっと海無し県で育ったわたしにとって、海の臨む家に住むのは、憧れだった。 水面のきらめき、潮風のかおり、季節によって変わる波の様子。そんなものを楽しみながら生活できたら、どんなに素敵だろうと思う。 好きな環境で、素敵なものに囲まれて、暮らしたい。でも、わたしは実家を出ない。海無し県の実家を。 1人になるのはいつでもなれる。でも、大切な人と一緒にいることは、いつでもできるわけではないからだ。その考えを正しいと信じて、

          願いなのか、空想なのか

          雨の日の公園で寝ていたわたしが、人生で初めて睡眠を好きになった話

          家に帰るのが嫌で、小雨の降る秋の公園で、夜を明かしていたことがある。 わたしの杜撰な睡眠体験は、これだけじゃない。 受験生活は、深い眠りを避けるために、机に突っ伏して毎日寝ていた。大学に入ってからは、飲み会から深夜に帰ってきて、メイクも落とさずそのままベッドへ。布団も枕も気にしない。翌日も早朝から遊びやバイトに出かけるので、睡眠時間は長くても5時間程度で、徹夜もいとわなかった。 寝なくても大丈夫だった。 寝ないことで、日々のパフォーマンスが下がっている感覚もなかったし

          雨の日の公園で寝ていたわたしが、人生で初めて睡眠を好きになった話

          抜け出し方がわからない

          去年まで、わたしの仕事は最高だった。 何をしても楽しくて、成長実感を得られて、周囲の人に恵まれて、同期の中では少しばかり成果も上げて。 これ以上ない職場だと思った。1年間勤めて、たった一回も「今日は会社に行きたくない」と思ったことがなかった。幸せだと思った。 なのに、それは、たった一度のトラブルで急転してしまった。 新年度になった途端、コロナにより完全在宅となり、コミュニケーションが難しくなった。もともとオンラインが苦手なのもある。少しずつ、フラストレーションは溜まっ

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          母と猫

          わたしが家を出るとき、母はひとりになる。 いつか訪れるそんな日が、わたしは怖くてたまらなかった。ひとりぼっちでリビングに座る母を想うだけで、胸が苦しくなった。 だからわたしは、猫を飼いたい。 小さくて愛らしい猫を飼う。誰にも相談せずに、猫をもらってくるのだ。今のうちに。母は、「誰が世話すると思ってるのよ」と最初は怒るだろう。ペット飼おうよ、と言うと、いつもそうやって嫌がるから。 でも、相手は猫だ。ふかふかで、キュートで、あたたかい猫。母だって、きっとすぐに大好きになる

          母と猫

          これまで、身の回りに困ったことの無い大切な友人について

          とある大切な友人のことばを、今でも時折思い出す。 あれは大学4年生のとき。同じゼミに所属していたわたしたちは、卒業論文のテーマを決めたばかりだった。 その日も、わたしたちはいつものように隣の席に座って、お互いのテーマについて話していた。彼女はわたしのテーマを聞くと、笑いながら「やっぱりすごいな、いいなぁ」と言った。 わたしは社会に対して日頃から感じていた問題をテーマを選んだ。心から解決したいと考えていたことだった。そしてそれはゼミ内では異例のテーマで、これまで誰も、類似

          これまで、身の回りに困ったことの無い大切な友人について

          君の家族も、いっしょに担うよ

          彼と付き合って、たくさんの宝物のような言葉をもらったけれど、その中でも特別に心を温かくしたのは、この言葉かもしれない。 父が他界し、母と弟と3人で暮らすわたしは、小さな家族の中で幸せに暮らしている。大きな不自由はない。 しかし自室にいると時折、薄い壁一枚隔てたリビングから「母の寂しさ」を感じた。それはじんわりと壁を通して滲み出てきて、わたしのからだに重く染み渡るのだ。 自分が母の傍に居てあげなくては。他に母に誰がいるの。 「家族があと、5人くらいほしいな……」 ぽろ

          君の家族も、いっしょに担うよ

          1人でも幸せだけど、2人ならもっと幸せ、は崩れやすい

          「あなたがいなくても、わたしは幸せだよ。でも、あなたがいると、もっと幸せ。」 わたしたちは、当たり前のように、心からそう思っている。 この考えを持っていると、楽だ。相手に過度に依存せず、期待しすぎることもなく、自然体で一緒に生きていける。 わたしは、この関係性が好きだった。 でも、彼と会うことのできない日々が続くなか、わたしは一人の休日を過ごしながら、自分の不完全さ、物足りなさに気づいた。 自分はひとりで幸せだったはずなのに、彼のいないベッドをただ恋しく見つめてしま

          1人でも幸せだけど、2人ならもっと幸せ、は崩れやすい

          小説を読むことは美しくて、非効率で、嫌いになりたくない

          社会人になって、ここ1年間は、ひたすらにビジネス書を読んでいた。 上司に紹介してもらった本を、期待に応えなきゃ、成長しなきゃと片端から詰め込むように読むうちに、ずっと大好きだった読書が好きではなくなった。 きのう、久々に小説を読もうと、本棚に手を伸ばした。少し前に話題になった2部作の物語で、母が貸してくれたもの。 外は雨だった。風の音を聞きながら、ページに目を落とす。 ぱら、ぱら、ぱら。 ものの数分で、10ページほど読んでしまい、気づく。 自分が文章を読んでいない

          小説を読むことは美しくて、非効率で、嫌いになりたくない