見出し画像

一流の職人さんの現場で体験した「見ようとしないと見えない世界」

私がまだ若かれし頃に体験した話。超が付くほど一流の左官の親方の現場に参加させていただいたときにパラダイムシフトしたことをつらつらと書いてみます。


狭い世界で天狗になることの重要さ

20代だったと記憶してます。田舎町でそれなりにデザイン的なお仕事などもしたり、建材メーカーさんから表彰されたりそりゃもう天狗を通り越してました。
技術の追求。究極を目指す!など息巻いていた私は、ご縁を頂いて
とある老名人と知り合うことが出来ました。
建築雑誌の世界の中の人とリアルで繋がることが出来たのはもう奇跡。
思いは現実化するなぁぁと実感した出来事でもありました。

天狗野郎だった私は生意気にもメンターの榎本さんにも無礼な振る舞いをしwまた、榎本さんのご紹介で超一流の私には場違いにもほどがあるほどの現場を体験させていただきました。
まあ、世界の広さを知らないからこそできる行動で、身の程知ってたら
行けないよw 天狗になってへし折られるって結構大事ですねw

技術的なことももちろんだけどそれ以外の学びが半端ない

超一流ですから、技術は超一流。当たり前かw
そんなところで私は何ができるか?ってなにもできず。ただただ存在していただけw
毎日毎日必死にくらいついていくだけ。
そんな日々の出来事で印象深いのは
とにかく親方は非常に明るい。よくお話されるし、よく笑う。
仕事は厳しい「鈴木君そこ1mm違うぞ」とか。
だけど、仕事中に少年のように目をキラキラさせて、「そうか!!わかったぞ!!これはあの技法とおんなじ理屈だ!!鈴木君!!!!わかったぞ!」と無邪気に仰る。
雑誌のインタビューでも「ハッピーなのが一番だ!」とか「現場に行ったら俺がヒーローだ!」ということを仰る。
今思えば、その時代に合わせた若者にこの左官という仕事の魅力を知ってほしいという発信で、どこか親方は意識されてそう私にも接しておられたのではないか?今思うとそんな気がします。左官の未来への投資だったのかもしれませんね。
親方は、現場で作業はあまりしない。職人が常時5人いるのでほぼ掃除と片付けと指示。
マネジメントも沢山学んだ。
また、監督さんや他の職種の方とのコミュニケーションの能力の高さ。
全然フレンドリー。楽しそうに言葉を交わされる。利害関係を見事に一致させられていた。
その現場は、3大巨匠の仕事というメインコンセプトで石工・漆塗・左官が看板。
元請けのメガゼネコンさんの掲げているコンセプトの重要パーソンの御一人。
そりゃ待遇も特別なわけだけど、あまりそこに興味なさそう。
どんな仕上げが作ることができるか?どんな空間になるか?
シンプルにそれしか考えていらっしゃらないのではなかったのでは?

20数年経った今、私の視点も大分変ったのであの時の親方の言葉や教えが
また別の意味で降り注ぐのです。ありがたい。。。。また時間が経つと
違う意味で降り注ぐのだろうな。

先輩に言われた「見ようとしないと見えない世界」

ご一緒させていただいた職人さんから「鈴木君。この世界には見ようとしないと見えない世界があるんだよ」と教わった。
その現場自体、ITバブル全盛の億ション。なので見ようとしないと見えない世界だったわけだけど・・・
どうやら、「思い込み」とか「常識」とか、なにか世界を狭くする鎧を身にまとわされているのかもな。と後になって気が付くわけですw。
世界を小さくいびつにしているのは自分自身だ。また、自分の可能性を小さくしているのも自分自身なんだ。そんな思い込みを木っ端みじんに砕いていただいた貴重な体験でした。

この経験を通じて後にでる副作用

あのですね、この現場を体験させていただいてから20数年たつのですが。。。今思いますとね。
この巨匠達は、どうやら思い込みとか社会とか関係ない
世界で生きている方達だと今はそう分析できるのですね。
何が言いたいか?と言いますと。コトの本質で動いていらっしゃる。
産業とかではなくて、生活とかではなくて、生命の営みの中で生きていらっしゃる方達ではないか?と今は分析しております。
そんな価値観に触れてしまった私。
結構トラブルが多くなってしまったwwww
その原因に気が付くまで結構年数がかかりました。

当初、私が榎本さんとお話が通じなかったのは、意識の階層にギャップがあったから。そこまで深く物事を掘り下げずに、表面的に暮らしていた私と本質で生きていた榎本さんだから会話が成立しなかったのではないか?
それが、実際に話だけでなく現場を体験し、全然別世界を覗いたもんだから、パラダイムシフトが起こり。
尚且つ親方にも「人の気が付かないような細かい違いに気が付くことが大事だ」なんて教わったもんだから・・・・
私のコミュ障がそれに追い打ちをかけて、グサグサ他人の心を切り刻んでいたのかもしれない。ごめんねw
そう思うと、親方は私にもわかるレベルでお話をしてくださったのかもしれないと、ここでまた感謝が深くなるのです。。。。
あの時の学びの濃さは、いつまでもいつまでも永遠に形を変えながら学ばせてくれる、凄い体験だったんだなぁと今思うようになりました。

意識の階層を把握して話す

別に上だ下だじゃなくて、例えば私と息子の関係であったり。
どこまでどうやって嚙み砕いて説明したら、メインテーマまで話がスムーズになるか。とか。
昨今流行りの世代間ギャップも、まさにこの意識の階層の差をこちらがしっかり距離感を測定することが大事なような気がします。
これは先に生きているものの宿命として課せられた宿題。
なので、この作業を面倒臭い=パワハラ 認定ですw
ただ、この説明に要する時間を逆算すると、時間が凄いかかるなぁぁぁぁという若者もいますし、全然時間が必要ない若者もいる。
それは育った環境や境遇に左右されるんだろうな。
なので、なるべくそこに投下できる時間はこちらの愛情の深さに比例してしまうんだよなぁ。
そのこちらの愛情に甘えてしまうと、投下する時間が0になっちゃう。
ただそれだけなのだ。
私は私として、「こんなの当たり前じゃないか」とか「もちろんこれはできるよね?」などという思い込みを極限まで減らすように努める。
面倒くさいけど、その作業を丁寧にやっているこ
その人物の可能性の部分が見えてくる。
そうやって、良いところ悪いとこを補完し合える枠組みを作るのが
最近の私のお仕事のような気がします。

思い込みというやつは年とともに厚くなりますが、
それを剥がしていく作業が大事だと思うのです。
そうやってバランスをとることを「デザイン」と私は解釈しております。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?