私のメンター。左官屋さんの師匠
私は18歳で左官業に入りまして、試行錯誤しながら勉強してました。
普段の現場での出来事。横須賀に当時はあった職業訓練校での勉強。
いろいろ身近なところの日常の積み重ねの学びをしていたら急に
インターネットの世界が広がりました。。。。。何時代の話だ?
私は1975年生まれなので、WIN95が発売されたのは20歳のころでして、
インターネットがまだダイヤルアップだったころの話。
そう、昔話ですw onece upon a time・・・・www
インターネットで世界の扉が開いた
インターネットを開いて、日本の左官屋さんのことを知るようになりました。
当時は東京杉並にありました、巧左官工芸さんに魅了されました。
世界の漆喰のことがかいてあって、えらく興奮しました。
実際にお会いしようと事務所にアポなしで押しかけ、留守だったので
トボトボ帰った記憶が。。。。アポはとりましょう(^^;)
そんな経緯をご本人(私と同じ鈴木さん)におっしゃったら、
たまたま隣町の横須賀に現場があるので遊びに来るかい?とのお誘いが。
嬉しくて行きました。そこで擬岩石風の仕上げ工事をされていて、
参加した職人達で一斉に見本を作ったら、私の仕事が鈴木さんの
目に留まったらしく、メインの仕事をやらせていただきました。
すっかりそんなこと忘れておりましたら、この記事書いて思い出して、
思い出し笑いならぬ、思い出し嬉しい気分になりました。懐かしいなぁ。。
その後も可愛がっていただいて、色んな現場を経験させていただきました。
都内の店舗工事や、フレスコ壁画の現場。古民家の移築など。
また、その考え方や哲学にもだいぶ影響受けました。
くしくも早く亡くなった父親が言っていたことと、鈴木さんの言っていたことが同じで、「人は1+1が2ではなくて、3にも4にもなるんだよ。」
そう教わった記憶があります。この言葉、46歳の今の私にはそうとう深い言葉だなぁと感じます。当時は、そこまで響いてなかった・・・・(^^;)
また、鈴木さんからは日本にいる凄い左官職人さんたちのお話も聞きました。また、ご自身の勉強方法も教えて頂きました。
今の私のスタイルのコアな部分がこのころ形成されたのかなと、今は思います。
思考が現実化する話
その頃、このコンフォルトという業界紙に日本の左官職人さんが掲載されておりました。鈴木さんのおっしゃっていた方も掲載されてます。
「いつか、僕もこの方の現場に参加したいなぁ」
結果、参加するんですけどwww
これほんと自分でも凄いことだなぁと思うのです。
思考が現実化する。順を追って説明していきますw
あれこれ、ネットサーフィンをしながらとある施工法について研究をしていたところ、ある方に辿り着きました。田村さんという方。
設計士さんで土の事、左官の事など深く精通されている方。
磨きという技法について質問したところ、「榎本さん知ってるかい?紹介してあげるよ?」
榎本さんとは、先の雑誌に出ていた東京は千石に住む名人(故人)
「はい!ぜひお願いします!!」
ということで、実際に榎本さんにお会いできる機会を頂きました。
初対面の時の記憶は。。。。。あまり覚えてないwそのあとの出来事が凄すぎて。。。。wでも、はっきりと覚えているのが、
「お前みたいのは左官屋っていわねぇんだよ。詐欺師なんだよ」と言われた記憶が。。。。w これ、最近知ったのですが、詐欺師ではなく、左官技能士の略で、左技士という意味だったようです。。。w
当時の私は、時代が時代でして、見習いなんて人間扱いされない生き物でしたからw そういった言動には慣れていて、「ああ、そうか左官屋って名乗っちゃダメなんだ。」と真正面から受け止めておりましたw なんて素直な良い子なのでしょう。。。w
この怒涛の江戸っ子の榎本さんとの出会いで人生は180度、いや
186度変わりましたw きっちり反転じゃすまないパラダイムシフトが起こるのです。
榎本さんの教え
「あ、馬鹿だな!なんでそんなことすんだよ」
「ちがうちがう、まったく何にも出来ねぇなぁ」
その後も幾度となくお邪魔させていただき、いろいろ教わりましたが、
厳しい表現しかできないお方でしてw また、会話が成立しなかった。
ご高齢だったのでちょっとボケていらっしゃるのでは?なんて
若いアホな私はそんな風に思ってしまったり。。。。(ほんとすみませんm(__)m 若かったので許してやってください。。。。w)
でも、まぁ見習いでの経験値もあったり、俺なんてそんなもんだからなぁと
落ち込まずに通っていました。
そんなある日。「おう!お前久住君の現場に行ってこい!」
久住さんとは先の雑誌に掲載されていた、業界では知らない人はいない左官さんです。私も、ものすごく憧れている方。
「はい!行きます!!」そう、この時は見学できるのだと思っていましたw
憧れの親方の現場を見れるんだ!そんなわくわくが止まらなかったです。
が、実際の現場にお邪魔すると、なんと私も仕事をする段取りになっておりました。。。。ひぇーーーーーーーーーー(^^;)
私のようなほんと邪魔でしかならないのに、最後まで参加させていただき、尚且つ技術的なことはもとより、人として、人生についてまで
沢山沢山のことを教えて頂きました。
およそ3か月でしたけど、それはそれは夢にような毎日でした。
榎本さんに報告に行くと。。。
沢山の学びを得た私はもちろん真っ先に榎本さんのところに。
「おぉ、うれしいじゃねぇかよ」と喜んだ顔で迎えてくれました。
先の現場で沢山のことを学んで、自分の弱さというか分かっていなかったことが分かったので、以前より榎本さんのお話する内容がわかるようになった。
田舎の左官屋が、いきなり日本で有数な現場を経験したことで
半ば死にそうになりましたがw 大きなパラダイムシフトををしました。
その後も榎本さんに近況報告に行ったりしました。
そうそう、「お前は31歳まで結婚するな!」と言われ
なんで31歳なんだ?30歳ではない理由は何なんだ?と不気味に思い、
31歳と2日で結構しましたw 業界の先輩にその話をすると「いやたぶんそれ本人(榎本さん)は言ったこと覚えてないよw」と言われましたがww
長女が生まれたときには、顔を見せに先にアポをとってkら妻と一緒に伺ったり。
「おお!そういやぁ、ちょうど赤ん坊のお菓子があったなぁ・・・」と
タマゴボーロを。絶対嘘だ。たまたまじゃない。絶対用意していたと思うw
榎本さんが考案した、現代大津磨きをアレンジして持っていくと
「おおお!こりゃすげぇ!よく作ったな!!でも色が気に入らねぇな!!」
一言多いw
現代大津磨きのサギ型文様仕上げ。
榎本さん言動で一番印象に残っているのが、左官業界の方々が集まる席で、
「こいつはよぉ、親父が死んで苦労してんだよ、可哀想なんだよ」
いつもとはまるで違う表現で私のことを紹介してくださって、
横の繋がりを作ってくださいました。
ああ、今思うとまったく世間を知らない私に愛想尽かさず、いろいろ教えてくださったなぁと。なんで見ず知らずの生意気なガキをこんなにも。。。
ありがたい。
人生を豊かにする仕事が左官だと思うのです。
左官とういう仕事を就いて、一番面白いのはこの人との出会い。
求めれば手を差し伸べてくださる方がいる。
素直に知らないことは知らないと言える勇気があると、
与えてくれる方たちがいるということ。その中で培った技術は私のもので
はなくて、左官という職種の所有する技術。脈々と受け継がれている日本古来の技術。
その一端を担っているという自負が生まれる。それが左官。
「俺はこんなことができるぞーーー!すげぇだろーーー!」と
叫んでいた時期もありました。ごめんなさいw
自分のための技術ではなくて、お客様を喜ばせる。
それが文化につながって、社会を豊かにする。
そうなんです、左官は社会を豊かにする仕事なんですね。
私は左官という仕事のおかげで豊かさに気が付いたと思う。
経済的豊かさだけでなく、ただ壁を創るということにこだわったために、
出会う多くの方との繋がりで、豊かさに気が付く。
社会と完全につながったからこそ、完全に自由になれる。
そんなことがわかりつつある年齢になったと。
ありがとうございます。そしてこれからも追及をしていきながら、
私にしていただいたことを今度は、若い人たちにしていこうと思います。
それによって、左官は次のステージに上がると信じて。
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