無常感と罪業性-お寺で踊る夢叶えるプロジェクトの進捗-
先週はじめて、法話というものを聞きにお寺さんへ詣りました。
私が今度踊らせていただく、浄土真宗のお寺さんです。
こちらのお寺さんでは、アートプロジェクトというものを開催されていて、年間を通して、だいたい月替わりペースで様々なアート(平面、立体作品、映像、アニメーションなど)を制作するアーティストさんの作品を展示しています。
『 聞法道場 』
古来より浄土真宗のお寺さんは、地域の人々が集まり仏様についての話を聞く空間として存在していたそう。
また同時に、文化発信や交流の場として地域と深く繋がることで、家庭や職場ともまた違う、サードプレイスのような場所としての役割も果たしてきたとのこと。
現代においても、お寺をもっと身近にとの思いから、アートをひとつのご縁として、かつてのお寺さんの役割を取り戻したいと、このプロジェクトを始められたそうです。
今回私は有り難いご縁に恵まれ、このアートプロジェクトの一環として踊らせていただくこととなったわけなのですが、
お寺さんという特殊空間で踊らせていただくにあたり、たとえば浄土真宗の教えみたいなものを、表現のテーマにすることは可能なものか、住職さんにご相談しました。
それでしたら、と、
月に一度お寺さんで行われる、聖典講座を聞きにいらっしゃいませんかと提案してくださったのです。
『仏様のはたらき』をテーマとした表現での作品づくり。
もちろん、一度や二度法話を聞くだけで、浄土真宗の教えを理解することなんてことは、図々しさも甚だしいのですが、
頭でっかちに、参考本を探そうとした私に、まずは本をお読みになる前に、一度法話に触れてみてはいかがでしょう、と、
その場に身を委ねて感じとることを勧めてくださった、素敵な住職さん。
そんな経緯があり、お詣りと法話を聞きに、足を運んだのでした。
浄土真宗の教えについては、その内容を間違って解釈されることも多かったという、非常に深く難しいものだそうで、
意味を捉え咀嚼し、自分の腹に落とし込むのは、とても慎重な作業に思えました。
私が今回、住職さんの法話に触れ感じられたものは、遠い昔から伝えられて受け継がれてきたものの中の、ほんの上澄み程度。
はたしてそれで、作品のテーマとして扱っていいものか、いったいどうやって表現できるのか。
作品テーマについてご相談をした自分が、軽々しく思えて少し恥ずかしくなってしまいました。
でも聖典講座がおわった後、
浄土真宗の教えについて、仏様のはたらきについて、さらに時間を割いて丁寧にお話しをしてくださる中で、
作品づくりに生かすいくつかのヒントをくださいました。
仏様が私たち人間を照らして救ってくださるという『 光 』について。
私たち人間がもつ、無常感と罪業性について。
このあたりが、表現するにあたりテーマの拠り所になるのではと。
そしてお寺さんに置いてある本を、幾つか貸して下さいました。
この中でも、
『 図解 浄土真宗 』千葉乗隆 著 / ナツメ社
浄土真宗の流れを歴史とともに解説されている内容は、ここ最近で歴女入門をした私にとって面白いことこの上なし。笑
そんなこんなで作品づくりのテーマは、パズルのピースをひとつずつ集めている最中ですが、
現時点で私が感じとれたものを、キーワードのようではありますが、載せておきたいと思います。
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人間の
無常感と罪業性
無常とは
あらゆるものは変化する
ということ
そして
命は儚い
ということ
罪業とは
悪
悪とは
煩悩
妬み 嫉み 疑心
そういったものからくる
苦悩
法に触れるものでなくとも
人間にはそもそも備わっている
照らされる光で
苦悩が明らかにされ
身を委ねることで
救われる
*
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浄土真宗の方で、これをお読みになり何か違和感を持たれる方がもしいらっしゃったらごめんなさい。
あくまでも個人的な解釈で、これまであまり仏教というものに深く触れる機会のなかった私が、今の感覚で感じとったものです。
来月の法話は、前住職さんがお話しされるとのことで、こちらもぜひ聞きに伺おうと思っています!
自分の腑に落ちるもので、自分に嘘がなく、作品がつくれるといいな。
長文お付き合いくださりありがとうございました💐
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