見出し画像

自由奔放な神々

ギリシャ神話って、世界で最も知られている神話じゃないかと思います。

いろんな国、いろんな地域に神話がありますが、
ギリシャ神話に出てくる神様の名前なら、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

その理由としては、西洋文明発祥の地と言ってもいい古代ギリシャの物語なので、
西洋文化圏に育った人なら大抵知っている、ということもありますが、

もう一つ大きな理由は、
惑星や星座の名前のモチーフになっている、ということでしょうか。

惑星や衛星の名前は基本、ギリシャ神話から付けなければならない、
というのが、確か国際的な規定だったと思います。


それにまつわるちょっと不思議なお話があって、
1978年に冥王星の衛星カロンが発見された時、
発見者のジェームズ・クリスティさんは当初その衛星に奥さんの名前をつけようと考えました。
でも、先に書いた理由でそれが叶わなかったため、
「Charlene」シャーリーンさんのニックネームだったCharにonをつけ(元素の名前にonをつけて呼ぶことが当時流行っていたので)Charonという言葉を作り、辞書を引いてみたところ、
ギリシャ神話に出てくる冥土の川の渡守の名前がCharon「カロン」であることを偶然見つけたのでした。

冥王星は英語名でプルート、ギリシャ神話ではハデス、冥土の神様です。
その衛星に冥土の川の渡守の名前が図らずも付けられた、
というのは結構すごい話だと思うのですが、どうでしょう?

何だか、宇宙の采配、というか、
全てがあるべき形に決められていて、わたしたちの歴史が粛々とそれに沿って流れている、というふうに思えて仕方がないのですが……


西洋占星術とギリシャ神話は、実は切っても切れない関係でして、
星座や惑星の基本的な意味合いは、ギリシャ神話から来ています。

なので、ギリシャ神話の本はいろいろ読んだんですが、
知れば知るほど、
神様たちの自由奔放な姿に圧倒され、興味をそそられました。

とにかく強烈、というか自由なんです。
神様だけど、ものすごく『人間らしい』というか……

例えば、オリンポスの主人であるゼウスは、ものすごーく惚れっぽくて、
たくさんの愛人を作り、子供も作りました。
結果、奥さんのヘラにキレられるんですが、
そのキレ方も尋常じゃなくて、
夫の子を身籠った愛人を騙して死に追いやる、なんてことも結構平気でやってしまいます。

そしてどこにでも子供を作るゼウスへの腹いせに、
たった1人で身籠り、生まれてきた子供が自分の気に入らなかった、という理由で海に投げ捨ててしまったり……

ちなみにその子は海の女神さまに拾われて、大事に育てられ、のちに美の女神ビーナスと結婚します。
まさに、捨てる神あれば拾う神あり、です。

そんな神様たちのお話は、強烈だけれど何だか妙に親しみが湧いてくるというか、
わたしの中の神様のイメージは、完璧で慈悲深く、勧善懲悪な存在、でしたが、
ギリシャ神話の神様たちは、ある意味善悪を超越した存在だと感じます。


『ハベクの新婦』という韓国ドラマがあるんですが、
神様たちが出てくるお話で、その中の水の神様が、
「神とは自然そのものだ」
というようなセリフを言うんです。
神の世界にあるものが本当の自然で(多分神様自身も含めて)
人間世界にある自然は全てその模倣なんだと、

……なんとなーく理解できるような気がします。

ギリシャ神話の神様たちを『人間らしい』と感じたのは、
神様が、まさに人間の本性そのものだから、
なのではないかと、

ある意味残忍な部分も、慈悲深い部分も、
心という自然が生み出す正直なもので、
それこそが『人間らしい』と感じさせるもの、ではないかと思うのです。

自然とは善でもなければ悪でもない、
自然の一部である人間も然りです。


ふと思ったのですが、
完璧なものとは、偏ったものなのではないでしょうか。

完璧な自然、なんてものはないです。
人がいう完璧とは、人によってコントロールされたもの、コントロールできるもの、
であるように思います。
ある意味自然とは相反した状態なのかなと、


人類が生まれ、進化していく過程で
人は自分達が生きやすいように自然に手を加え、コントロールしようとしてきました。
その結果、自分の首を絞めるようなこともあったけれど、
その度に、ちょっとずつ修正しながら、今の文化や文明を築いてきたわけです。

昔読んだ本の中で、
『人間が自然を破壊しているというけれど、人間自身も自然の一部なんだから、人間が成しうることもまた自然そのものじゃないか』
と言っている人がいて、
確かに!
と思いました。

どんなに文明が進んでも、
この宇宙に住む限り、
私たちは自然の一部でしかない、
当然のことですが、


完全さを求めれば、
それだけ不完全さを知ることになる、
宇宙以上に、自然以上に、
完全なものはないと思うし、その完全さとは誰にもコントロールできないことにあるのではないでしょうか、

個人的には、心というのも超自然なものだと思っています。
心の奥底の無意識の領域は、宇宙と同じで善悪がなく、コントロールが効かないものなんじゃないかと、
(なんだったら宇宙と繋がっているのかも)

善悪を超越したギリシャ神話の神様たちは、
それを体現しているようにも感じます。

でもわたしたちの中には、確かに善悪の基準、っていうものがありますよね、
人によって微妙に違うかもしれないけれど、
悪いことをした、と思えば、
良心の呵責を感じます。

どちらかというと、
そういった善悪の基準をしっかり共有していくのが、
人間文明の根底にあるもの、のようにも思えます。

つまりそれも『人間の本性』なのではないかなと、

人は確かに自然の一部だけれど、
過酷な自然の中で生き残っていくために、
自然に相反して、人独自の価値基準やルールを作ってきた、
人類文明の進化は、人間精神の進化でもあるんだ、
と勝手に思っているわけです。


どこ目線で話しているのか、自分でもさっぱりわかりませんが、

今回もお付き合いくださり
本当にありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?