移植の前処置で1番辛かったこと
まず、前提として6年前19歳で受けた骨髄移植と
今回25歳で受けた骨髄移植は全然違う過程でした。
※前処置……骨髄移植でドナーの骨髄を新たに生着させる為に致死量の抗がん剤や全身放射線照射で自分の免疫力を0にする処置。ドナーの骨髄が生着しなかった場合、生着不全で死ぬ可能性もある。
6年前の骨髄移植
先生達は【1回で治す】と気合十分。移植を受ける前から心臓に負担のかかる抗がん剤を連発して受けており、移植の前から食べられないことが多くてヘロヘロ。『もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ』状態でそのまま移植に突入。痛みが強く前処置の段階から医療薬麻薬も投入して、視界も頭もフワフワでラリっててやっとなんとか生活出来る感じでした。
この時の前処置はえぐ強い抗がん剤のみ。正直、医療用麻薬でラリってて覚えてないことも多いです。覚えてるのは食べられずに胃液を吐いて過ごしたぐらい。
今回の移植
今回はまず退院期間に右胸しこり(本丸)への放射線の部分照射。そして、入院してからは全身への放射線照射を4日間して2日間の抗がん剤投与という内容でした。
正直、抗がん剤は6年前ほどしんどくはなかったです。
本題の1番辛かったこと。
ずばり、4日間の放射線の全身照射(TBIと言います)
なにが辛かったかって、
殆ど全裸・パンツ一枚になって大勢の大人に囲まれること。
それも放射線技師さんは男性比率が多くて男4・女1。
女性がいないときもありました。
一応20代の女としては多くの男性の前でパンイチになるのは、すごくすごく抵抗がありました。
正直なによりも嫌でした。
放射線がズレないように頭や全身をガチガチに固められて身動き取れない状態にされ、胸にはマーカーが引かれていきます。
そして放射線が始まる頃、だだっ広い部屋に1人残されて全員が部屋から出ていきます。
けたたましく鳴る放射線照射中の音と、生暖かい風となんとも言えない匂いが漂ってきて、『あぁ、始まったんだ』と意識せずにはいられませんでした。
照射にかかるのは大体1時間。1時間1人で耐えなければなりません。
好きな音楽をかけられるようになっていて、放射線の鳴る音の奥にかかる、J-POP。なんやこれ。
なんやこれ
なんやいま
1日目、放射線で何をされるのか、どうなるのかよく分からないまま受けて、必ず連れ添ってくれる主治医に『初めてのことだったから楽しかったです!』なんて強がりを言いました。
2日目、これがあと2日続くんかと。なんやねんこれ。なんでこんな恥ずかしくて辛い想いを私がせなあかんねん。と涙が止まらなくなって1時間泣きながら過ごしました。
3日目、今日とあと1日。と何も感じない様に。人形のような気持ちで天井の模様を見つめて、時間が過ぎるのを待ちました。
4日目、やっとこれで終わるんだと。嬉しくて初めてJ-POPを楽しんで聞く余裕が生まれました。
終わってからの嬉し恥ずかしかったこと
4日目の放射線照射が終わり、いつもならまだかかってるJ-POPが早めに切られて『お、今日は早く切ったなぁ』と思ってたら大音量でかかってきたのが
映画【アルマゲドン】
エアロ・スミスの名曲【ミス・ア・シング】
しかもサビからかかったので絶対狙ってかけてる!笑
パンイチの私におじさん達が
『お疲れ様ー!』『よく耐えたね』『よく頑張ったね』
と沢山の拍手を送ってくれました。
頑張った。たしかに頑張った。嬉しい。
そして照れ臭い。あとちょっと恥ずかしい笑笑
私も、もうパンイチとか関係ないや。
有難う。という気持ちでした。
部屋を出て車椅子にのってエレベーターを待ってる間、
連れ添ってくれた医師が
『あんな光景初めてみた。みんな沙姫ちゃんのこと応援してたんだね』と。
技師さん達はみんな、私が恥ずかしいことを察して機械的に作業のように接してくれていたけれど、心の中ではとても応援してくれていたんだなぁと。嬉しくなりました。
最初はとっても恥ずかしかったけれど、優しさや気遣いや応援されていたことが嬉しかった。
このことはずっと忘れずにいようと思います。
みんな優しくしてくれてhappy(*´꒳`*)
そして今日はおばさまの『若いのに可哀想に』に、
『私、可哀想だったことないです。今までずっと幸せに生きてきたので』と言い返しました。
私、たくさん愛されてると実感してて幸せです(*´꒳`*)
白血病の私はコロナや特発性大腿骨頭壊死症などで働くことが難しいのが現状です。頂いたサポートは医療費や生活費として大事に使わせて頂きます。私の経験がお役にたてば、応援して頂けると幸いです😌