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なにもしていなかった娘のお遊戯会から、見せてもらった世界

「うちの子、固まってて、な〜んもしてへんかったわぁー!」

そんなだれかのお母さんの声が、聞こえてきた。
わかる、わかる!私の娘 (3 歳) も、前回の保育園のお遊戯会で、な〜〜んにもしてなかった。ただ座っているだけだった。こんなお顔で。

(・o・) 


その日は保育園の発表会だった。
昨今の状況下なので、クラスごとの入れ替え制のお遊戯会。

発表会場に入ることのできる人数も制限されていて、発表会を見終わったある園児のお母さんが、会場の外で待機していたお父さんに、子どもの様子を、そう、告げていたのだった。

「な〜んもしてへんかったわぁー!」

すごく、わかる。
私の長女 (当時 2 歳)も、前回のお遊戯会で、な〜んにもしていなかった。
動画も静止画も完全に同じで、はじめから最後まで、かたまって、ぽけ〜っと座っていただけだった。

(・o・) 

あれから半年。

今回のお遊戯会。
なんと感激的なほどに、長女は「つばめのあかちゃん」になりきって、お歌を歌って、踊っていたのだ…!

前回から、たった半年。もう、すごく、上手だった。

つばめのあかちゃんになって、飛び跳ねている姿、一生懸命歌っている姿。
おともだちが前に出てきて、後ろの影に隠れてしまったとき、舞台上で一歩前に出てこようとした意志。
頭が床につきそうなほど、深くお辞儀する姿。

前回、な〜〜んにもしていなかった。
と思っていた。
けれどそれは、まちがいだった
と知った。

きっと、前回のあの短い発表会の時間の中で、長女の頭のなかではぐるぐると、ほんとうに、一瞬の舞台上で、ぎゅっと、さまざまなことを、いっぺんに感じていたのだと思う。

“ 非日常な舞台の上。
  いろんなお父さんお母さんがこっちを見ている。
  いつもの保育園なのに、いつもとちがう。
  みんな、応援している。”


なにもしていないように見えて、すごくたくさんのことを吸収して処理していたのだと思う。

すごく、じょうずだったよ。感動したよ。

お遊戯会のあと、長女に、ありったけの言葉で、抱きしめた。でも、前回の、な〜んにもしていなかった時にも、もっとたくさん、褒めてあげればよかった、と思った。
きっと、そのときも、今回と同じくらい、がんばっていた。



子どもたちは、なにもしていないように見えるときが、よくある。

公園で遊んでいても、じっとたたずんで、みんなが楽しそうに遊んでいるのを端から眺めていたり。

自分も遊んだらいいのに、と思ってしまいそうだけれど、たぶん、そういうことじゃないんだな、と思う。

先日も、すこし秋めいた公園で、長女 (3 歳) が次女 (1 歳) の手を握って、じっと、たたずんでいた。ふたりとも、ずっと遠くの方を見つめて、遊具で楽しそうに遊んでいるほかの子たちを眺めているように見えた。

すると、しばらく沈黙していた長女が、ぽつりと言った。

「〇〇 (妹) ちゃんね、おねえちゃん (自分) のことが、だいすきなんだって。

 だ〜いすきなんだって♡
 なにが、すきなのかなぁ♡ 」

私はずっと、遠くの方の遊んでいるおともだちの様子を眺めていると思っていた。
けれど、長女はそんな遠くのことではなくて、次女といっしょに繋いでいる、手のなかのぬくもりを感じていたようだった。

ずっととなりで、握り合っていた、妹のちっちゃな、あったかいお手々。

” ○○ちゃんは、お姉ちゃんのことが、大好きなんだって、
 どんなところが好きなのかなぁ。”

…そうなんだ、そんな幸せなことを、考えていたんだ。

じんとした。

私の見ているものと、娘たちの見ているものは、ときによって、ちがう。

もっとこうすればいいのに、と、思うことがあるかもしれないけれど、それは、子どもたちの頭の中で行われている大切ななにかを、妨げてしまうことかもしれない。

なんにもしていないように、ぱっと見、見えるのは、娘たちの頭のなかが、いそがしいからかもしれなくて、ぽけ〜っとして見えるのは、肌で大切なものを感じているからかもしれない。

だから、最近は、なにもしていなくても、安心するようになった。

きっと、娘たちの頭のなかは、私が思っているよりもずっと、素敵なんだろうな

って。

もうすぐ、秋の運動会がある。今回も縮小版。
でも今度は、今年保育園に入園した次女 (1 歳) も登場する。

娘たちは、どんな姿を見せてくれるだろう。

なにもしていなくても、泣いていても、じょうずにできても。
それぞれが、その小さな頭のなかで、最大限にがんばっていることを、褒めてあげたい。

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