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JOCV参加までの振り返り②

前回に続き、新卒での入社から海外協力隊に参加するまで。


■会社員としての4年間

仕事は忙しくも楽しかった。
環境の部署に所属し、河川、港湾、面開発と様々な現場を経験させていただいた。土木における環境配慮は課題も多く、難しさもあったが、それに伴い面白みもある。
一方で、解決の糸口が見つからない人間関係もあった。
歪んだ正義感の押し付けは、ここまで受け入れられないものなのかと、自分の許容力の限界を感じた。仕事に対する想いや技術的な面で尊敬できる方でもあった分悲しかった。
周囲に助けられては悩み、救われ…といった時期が休職までの2年程続いた。

話が脱線するので、協力隊応募から合格までを以下に記載したい。

■休職、海外協力隊へ

「入社3~4年目のタイミングで状況が許せば海外協力隊に応募する」というのは就職した際に決めたこと、なんなら高校生の頃から選択肢として考えていたことだった。もともと海外への興味が強かった。

仕事や生活を海外にこだわるわけでもないが、考え方、また今後の生き方の選択肢を増やす為の経験として海外で長期の仕事をしてみたかった。
自然環境保全に関わりたいという気持ちは変わらない。
インフラにおける環境配慮も重要だが、環境教育も同等に重要と感じていた。実際、自身が様々な環境教育を受け、ここにいる。

会社員になってからも環境教育にはボランティアとして自然観察会に参加したり、保全活動に顔を出したりしていたものの、もっと時間を割いて携わってみたい気持ちがあった。

海外協力隊の制度は上記の私の希望に合致していた。
その土地の環境を知るのに季節2サイクルは滞在したいことを思うと、2年間は適切なのかもしれない。

第3希望まで国はすべて中南米を選択した。
理由は過去に図書館で幾度となく開いていた本がガラパゴス諸島のものであり、生物多様性の宝庫を有する大陸で生活がしたかったからだ。
そこで自分にできる自然環境系の仕事があるなら喜んで関わりたい。

ただ、合格発表の通知は自分が応募した国とは異なった。

「エルサルバドル」

まさかの国名に虚を突かれた。
仕事終わりの現場でこの通知見て、思わず国名をつぶやいた。

確かに応募した第3希望までの要望は自分の経験に今一つ合致していない自覚はあった。
合格した要請は募集締め切り直前に追加されたもので、確認していなかった。要請内容は「技術専門学校での環境教育」である。私に学校での教育経験はない。
しかし、面接時の「中南米」「環境(グリーン系)の職種」「1次隊」という希望はすべて通っていたので、JICA側としても考えがあっての決定なのだろう。

親や上司へは書類選考通過時に海外協力隊への応募について説明をした。
ただ、いざ合格し国名を伝えると一部強く反対をされた。
上司については深夜0時に電話が掛かってきて「考え直せ」と言われた程である。
様々な想いがあったとは思うが、国名で止められたのはネット上で記載されるエルサルバドルの治安の悪さが大きな要因である。
画像検索すれば全身刺青のギャング集団の写真ばかり、殺人率は2018年まで世界一、女性が被害に遭う犯罪も多いというから反対意見も致し方ない。

もちろんリスクはあるが、JICAの安全基準は厳しいという実態もまた事実。自身の安全管理は必須、これで犯罪に遭えば不運だったということになる。

「今の経験値、語学もゼロベースで何ができるのか」
「留学という選択もある。わざわざ途上国に行く必要があるのか」
「うちの娘なら絶対に行かせない」
「定年後でも行けるのでは?今行く必要があるのか」
「もっと前に相談してほしかった」

何故書類選考通過してから周囲に伝えたか。気持ちがぶれるからである。
応募時28歳。帰国時31歳。いろいろ考えないこともない。
私なりに様々な選択肢を検討し出した結論であり、決意だった。
何より誰かに止められて諦めた時、必ずいつか後悔する日がくるので折れることはできなかった。
ただ、反対する方の意見は無下にはできない。ありがたいことである。

「おめでとう。応援する。」
同時に激励の言葉で送り出してくれた先輩や同期、家族、友人の存在が本当に嬉しく、心強かった。自分の選択が正しいかなんて迷っている時は分からない。不安も大きい。
そんな中の応援の声はあたたかい。

愛すべき会社の同期。元気に帰って、また一緒に仕事して飲みに行って旅に行きたい。

■派遣前訓練

休職から2週間後、バタバタと派遣前訓練が始まった。
新しいのことを始めるのはいつだって楽しい。

語学や国際協力などの学びはもちろんだが、
行動力と意志のある多くの同期との交流は本当に楽しく、有意義な時間だった。

また、2ヶ月という期間で初対面の111名との交流、自分の長所と短所を否が応にも知ることになる。
訓練期間中は常に何かに追われていてあまり気づけていなかったが、終えてから自身や周囲の行動、言動、活動、コミュニケーションの取り方などを振り返ると気づきは多い。

なんにせよ、この年齢でこれからも繋がっていたいと思う友人達に出逢えたのは本当に幸せなことだと思う。

最終日に班員の方にオリジナルチロルチョコをいただいた。
私も皆さんに出会えてよかったです。
元気な姿でまた会いましょう。

過去を振り返って文章を書いていると、多くの人の支えがあり様々な選択をし、ここまで来れたことを痛感する。
今回は海外協力隊を目指すにあたり関連することを主に書いていたので、
登場していない話、お世話になった方も多い。
出国前に挨拶ができた方もいればできなかった方もいる。

2年間を健康・安全に過ごし、帰国したら各所挨拶をしたい。

出逢いに感謝。




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