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#000.令和を駆ける昭和のおっさん物語

※2021/6/5 リライトしました。

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ミョウガヤノブヒサです。
読んでいただいてありがとうございます。

簡単に自己紹介。

京都で旅行雑誌の編集、広告ページの制作、ライティングなどをしています。シゴトはいろいろありますが、最近は「京都のライター」で通してます。

さて、突然ですが、noteに文章を書くことにしました。なぜかというと、人生の転機が訪れたからです。

こういう場合の転機はピンチや苦難の顔をして訪れるのが常でして、例にもれず私にも色々なものがやってきました。ちなみに今年(2019年)は本厄です。子どもたちの不登校問題、事務所の台風被害に契約トラブル、体調不良(腰痛、首痛、背中痛)、キモチの障害、仕事の業績不振、そして友だちの死。

この2年間、人生ベスト3に入る「苦難」に見舞われました。色々やってみるものの、何も改善されない。心が晴れない、苦しみが止まらない。あがいてもがく日々が、続きました。

一念発起しブログをはじめてみたのですが(日本酒好きが高じて利酒師の資格をとりまして)BADなサイクルに入ると全てが滞るのもので、なんにも発信ができなくなってしまいました。

そんな七転八倒の2年間を過ぎ今に至るのですが、この数週間で少し心境の変化がありました。

もうええわ、何やったってどうせ苦しいねんから苦しいままで進んでいけばええやんか。血反吐を吐いても構わず前に行こう。

そう、単なる開き直りです(笑)。

そして、こんなことを思ったのです。

仮に、誰かが私と全く同じ出来事に見舞われたとします。
「大した事ないやん?」という人もいれば「もう堪忍して」という人もいるでしょう。

つまり「苦しみ」とは、出くわした当事者だけの持ち物で、他の誰にも味わうことができない特別なものなのであると。そう、この「苦しみ」は私だけのもの。オーダーメイドの「私の人生」そのものなのだ、と。

「苦しみ」は「私の人生」であり、「苦しみ」故に「幸せ」がコントラストとして輝くのではないか、と。

そんなことに気がついたのです(シャカか)。

色々なものを失った気がしていましたが、私の周囲には、たくさんの幸せがありました。

家族はみんな元気です。妻は優しく子どもはかわいいです。親や祖父母、ご先祖さまから受け継いだものが私の中に生きています。仲間や友人たちは私の心にそっと寄り添ってくれます。そして酒も飯もウマい(笑)。

そう、生きてるだけで丸儲けです。


そんなわけで、状況は何も変わっておらず相変わらず大変なんですが、些細なことだと笑い飛ばせる、そんな心境になってきました。

新しい令和の時代になりました。

苦悩しながら進む昭和生まれのお父ちゃんの生きざまを新時代を生きる子供たちに伝え残したいなぁ、という思いもあります。

今からこの状況がどんな風に好転していくのか。おっさんは新時代にどう馴染んでいくのか。日々の気づきや学びをここに綴っていくことで、少しでも皆さんのお役に立てればと思っています。

不定期でいろいろと発信していく予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

ミョウガヤノブヒサ

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最初に書いた記事です。改めて読むとチョット重いですが(笑)noteを始めた理由が伝わるかなと思いましたので、リライトしてみました。

最後まで読んでいただき感謝です。


ほな、また。

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