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#01 うるわしい酒|坂口謹一郎 『日本の酒』

"古い文明は必ずうるわしい酒を持つ"

1964年に出版された『日本の酒』。
世のあらゆる酒本が判を押したように、冒頭に次の一文を引用している。

世界の歴史をみても、古い文明は必ずうるわしい酒を持つ。 

『日本の酒』

「うるわしい酒」 、日本における日本酒のように、ヨーロッパにはワインがあり、中国には紹興酒がある。坂口先生は『日本の酒』の出版に先立って、『世界の酒』を出版されている。日本酒はもちろんのこと、世界中の酒に精通した方なのである。

とにかく、酒は文化の結果であって、決して原因ではないことはまちがいのない事実であろう。しかも悪い方の結果であるなぞのお説の方もどこかそのへんにあることは想像にかたくない。

『世界の酒』

発酵・醸造学者、坂口先生

麹菌の研究やワイン酵母の発見など、醸造・発酵に関する数々の華々しい経歴を持つ坂口先生。『日本の酒』で紹介されている話題を追うだけでも、その見識の広さと深さがうかがえる。

冒頭より数多の酒の香味表現(ごくみ、にくがある、くどい、ざらっぽい、こしがある、尻ピン...)を紹介したかと思えば、次に品評会の功罪や等級制度の経緯、三増酒や合成清酒について語られる。そして酒屋や酒問屋の歴史を通って、万葉集の大伴旅人「酒を讃むる歌」、カビの科学にパスツーリゼーション、サリチル酸や火落酸...。
醸造、文化、歴史、文学、発酵と、あらゆる領域にまたがる話題が、次々と流れるように推移していく。

これだけの話題を自由自在に闊歩しながらも、ちょうど坂口先生が好んだ「さわりなく水の如くに飲める酒」のように、するすると文章が入ってくるのである。

うちに千万無量の複雑性を蔵しながら、さりげない姿こそ酒の無上の美徳であろう。それはちょうど、おいしいクリームを含む牛乳が特に美味を感ぜず、太陽の光線が、内に七色の華麗を蔵しながら、何の色も示さないのと同じである。

『日本の酒』

文芸家、坂口先生

坂口先生は1897年、現在の新潟・上越市に生まれた。
旧一高の農科に首席で入学した坂口先生も、はじめは国内外の文芸作品を読みあさる文学少年だったようだ。

周囲のものから「お前のような意気地なしは、農科へでも進むほかないだろう」と、よく言われたことを、しばしば思い出していた。文学書の乱読少年が、なんとなくつい、そのことばに従ってしまったわけである。

『私の履歴書 文化人18』

50歳ごろになると、独学で詠歌を始められ、歌人として数多くの歌や句も詠まれている。歌集『醗酵』『愛酒樂酔』など、タイトルからも想像がつくように、酒に関する歌も多い。

うま酒はうましともなくのむうちに酔ひてののちも口のさやけき 

『歌集 醗酵』

うまい酒はついつい杯が進み、気づいたら飲みすぎてしまうのだが、それでもなお、口が清けきもの。それこそ、まさに極上の酒である。

この歌だけでも酔えそうだ。

坂口先生に伝えたい、令和

『日本の酒』には、執筆当時の日本酒が置かれていた状況が描かれている。

1960年代は、うるわしい酒・日本酒にちょうど翳りが見え始めていた頃だった。ビールや洋酒の流行に加え、戦後の三増酒の悪影響も尾を引き、「日本酒はベタベタと甘くて二日酔いする悪い酒だ」と清酒離れが加速していく。料理屋に行っても、ワイン・リストのようなサケ・リストはなく、特級・一級といった謎の税制基準から選ぶしかない。

一方の酒蔵も、相次ぐ構造改革や労働基準法の適用によって機械化が進み、酒質の均一化・画一化が進む。どこの地酒も似たような味わいになっていく。

アンドレ・モロワのいいぐさをまねるわけではないが、「酒びんは、依然さまざまに異なるラベルをつけてはいるが、なかの酒の組成は次第に似てきつつある」ということになってゆくことが、酒の通人にはお気の毒ながら、将来の酒の傾向のうちで、比較的確実にいえることだろう。

『日本の酒』

そんな時代の状況を見ながら、坂口先生は将来への懸念をこぼす。

しかし主流はそれとしても、そのほかには、伝統的な線をたどる、いわゆる凝った酒、名物の酒も少しは存在を続けてもらわないと、本もののお手本が永久になくなることになる。

『日本の酒』

時代は巡り、令和。
地酒は吟醸一辺倒ではなく、生酛・山廃の復権や、独自酵母の開発など、酒質の多様化が図られている。清酒離れは、数値上は引き続きではあるものの、特定名称酒を中心とした日本酒ブームは何度も波が来ているし、数十種類を超える別紙の日本酒メニューが提供される店も多くなった。渋谷や六本木のSakeフェスには、若者がたくさん押し寄せている。

一たん殺された酒である。濁酒も、古酒も、樽酒も、また「ねり酒」の復活も、また合成酒や三増酒、吟醸酒や活性炭酒や「アル添酒」も、すべてはおそらくすぐれた将来の酒への大きな試練の道の一つの階段となろう。

『坂口謹一郎酒学集成 1』いずこへ行くかわれらの酒

坂口先生は現代の活況を見ることなく、1994年12月、筆者の生まれた3日後に亡くなられた。

令和を坂口先生に見てほしかった。
ご存命であれば、どんな酒を嗜まれただろうか。


こぼれ話

坂口先生は、当時軽視されていた「熟成酒」への可能性を語っている。
古くは鎌倉時代の日蓮上人の手紙に見える「人の血の絞れる如くなる古酒」から、室町時代・江戸時代には三年酒や九年酒が新酒の2~3倍の値がついていたことなど、日本にも昔から熟成酒の価値を認める向きはあった。そんな熟成酒を坂口先生は「日本の酒の卒業生」と表現している。
今では古酒のみを専門に扱う酒屋や会社があるが、当時は売れなかった不良在庫として顔をしかめられていただろう。

1973(昭和48)年に旧国税庁醸造試験所が開発した「貴醸酒」についても、その開発の10年ほど前に、すでに言及している。

日本で昔、古酒といわれていたものには、もう一つほかのつくり方のものがあったようである。それは古くからあった中国の酒の一種で、ふつうならば米と水とで造るはずの酒を、水のかわりに酒を使ってつくる善醸酒(シャンニァンジォウ)という紹興酒の一種がある。この手法に似たものもあったことは、『本朝食鑑』など江戸時代の初期から中期のにかけての文献に見えている。

『日本の酒』

今でこそ人気の高い古酒や貴醸酒を、半世紀前にすでに認めている。なんという先見の明であろうか。幅広い文献を整理し、それらをつぶさに調査した上で、本来あるべき理想を論じる。その先生の考えに、半周遅れで時代が追いついてきた、といったところか。

また、坂口先生は東大農学部での学生時代に、のちに「合成清酒」を発明する鈴木梅太郎先生に師事している (途中より高橋偵造先生へと移る)。『日本の酒』や他の著書でも、三増酒や合成清酒についての批判がなく、むしろ好意的に捉えているのは、「酒の価値は将来の消費者が決めるべき」という坂口先生の信念に加えて、鈴木先生をはじめとする日本の偉大な科学者への敬意もあるのだと思う。

鈴木梅太郎博士による理研合成酒の発足当時に、理研から出された出版物の巻頭には「理研酒は日本酒にあらず、日本酒に似て、より衛生的なる現代的 "天の美禄" なり」と強調されている。いかにも、科学時代の人類の新しい飲みものという意気ごみが、端的にいいあらわされていてほほえましく感ぜられるとともに、合成清酒の現状をかえりみて、往年の意気いずくにありやと、まことにもの足りない感がするのである。

『日本の酒』

戦中・戦後の米不足を背景に生まれた三増酒や合成清酒は、高度な科学技術に基づいた優れた発明品であり、当時の酒呑みひいては国民を支えたものであったことは、まぎれもない事実だろう。米が余る時代になっても、原価の安いそれらばかりが作られた結果、清酒離れが進んだことに対してのみ批判が向けられるべきである。

最後に、日本の酒の系譜について。
坂口先生は『日本の酒』の中で、以下のような系譜を提示している。

  • 民族の酒

  • 朝廷の酒

  • 酒屋の酒

  • 本場の酒・田舎の酒

  • 合理化の酒

古くは『魏志倭人伝』に伝わるような「歌舞飲酒」「人性嗜酒」の風習から、朝廷に造酒司 (みきのつかさ/さけのつかさ) が設けられ、寺社の僧坊酒の台頭や、洛中でも「柳酒」など良酒が醸されるようになる。やがて寒造りが主流になると、池田・伊丹・灘目などの銘醸地が誕生する。ついには西洋の科学が輸入され、醸造技術の向上や合成清酒の開発まで走り抜ける。この辺りは第四話、そして少し戻って第三話を参照されたし。

参考文献

坂口謹一郎, 日本の酒, 岩波文庫, 2007 (岩波新書, 1964)
坂口謹一郎, 世界の酒, 岩波新書, 1957
坂口謹一郎, 坂口謹一郎酒学集成 1~4, 岩波書店, 1997-1998
日本経済新聞社, 私の履歴書 文化人18, 日本経済新聞出版, 1984
石原道博, 新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・ 宋書倭国伝・隋書倭国伝, 岩波文庫, 1985
理化学研究所, 理研酒 ─ 合成酒の発明と事業化の成功, 閲覧2023年6月15日
新潟県上越地域振興局, jaM旅「特集 ”発酵”の謎に挑んだ応用微生物学の権威 生誕120年 坂口謹一郎博士」, 2017, 2017-18秋・冬号, vol.13, 閲覧2023年6月15日


酒にまつわる本を「酒本」と呼ぼう。

酒本は、たくさんある。学術書、新書・文庫、小説・エッセイ、漫画、雑誌。
ジャンルも、有機化学や経済学や飲食や醸造など。ページをめくるのが億劫なものから、読んでいると酔っ払ってしまいそうなものまで。

こんなにたくさんありすぎるので、積ん読になるのは避けられない。
それらの積まれた酒本を、一つ一つ順番に読み干していこうとする試み「呑ん読」。
これから少しずつあげていきます。


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