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178. 「おまけ」と「ふろく」展 子どもの夢の小宇宙 【展覧会】

文学フリマ無事入稿できましたー!
これでやっと人心地ついて、落ち着いてnoteの記事が書けます……(笑)

文フリの宣伝はまた別記事できちんとさせて頂くことにして、今日は先月観に行ってきた展覧会の感想をば。
少女漫画に関わりのある展示品も多々あり楽しい展覧会だったので、本当は会期中に書きたかったのですが、間に合わなかった、残念……。

でも会場となった神奈川近代文学館では面白い企画展をちょくちょくやってますので、お近くの方はぜひ足を運んでみて下さいね。今は井伏鱒二没後30年展をやっているらしい。(けっこう最近までご存命だったことを知って驚きました)
毎回キャプションががっつり書いてあって、きちんと読んでいると半日がかりの展示も多いです。時間には余裕を持って行くことをお勧めします!

では本題に入りまして。
今回行ってきたのは『「おまけ」と「ふろく」展』という、お菓子や雑誌についてきた子供向けのおまけやふろくを通して、”少年少女を取り巻く世相の変遷”を辿る展示でした。
残念ながら基本的に写真撮影は禁止だったので、会場の雰囲気はお伝えきませんが、時代の流れに翻弄されつつ常に子供の気を惹こうと試行錯誤されてきたおまけの数々に心躍り、またあれこれ学びもありました。

展示は時代順となっており、今回は大雑把に
1 最初期のおまけ(明治)
2 グリコのおまけ
3 少年少女雑誌のおまけ→戦争に突入
4 戦後
という4つに分けて、それぞれ思ったことなど書いていきますね。


1 最初期のおまけ
19世紀後半から1940年代、“たばこカード”というものがあったそうです。
これは紙巻たばこの箱を補強する目的で入れていた厚紙に様々な絵柄をプリントすることで、コレクター心を刺激して売上に繋げる目的のもので、人気女優やスポーツ、自然などその題材は多岐に渡りました。

アメリカで誕生し、その後世界各国で見られるようになったこのたばこカードは、おまけ・ふろくの最初期のものだとか。
何が当たるか分からないドキドキ感、なきゃいけないわけじゃないけどあったら嬉しい“ちょっとしたおまけ”感が、購買意欲の増進に一役買ったことは、想像に難くありません。

調べてみると、何でコレが? と突っ込みたくなってしまうような絵柄もありましたが、フルカラーで豪華だし、今見ても欲しくなるような絵柄も沢山ありました。
当時の流行や大衆文化を知る資料として、これらのカードを研究している方もいるようです。

そうしたおまけ文化勃興ムーブメントの中、日本では明治半ばに創刊した幼年雑誌に紙製のふろくがついていました。
組み立て式のものと双六が二大ふろくだった模様で、私的には川島龍子という方が描いた「少年未来旅行双六」が特に好きでした。ロケットやらロープウェイやら電車やらペガサスやらが盛り込まれ、絵も綺麗だし一枚の絵としても鑑賞にたえる力作でした。

2 グリコのおまけ
基本的に紙製だった初期のおまけに新風を吹き込んだ(多分)のが、グリコです。大正11年(1922年)に森永ミルクキャラメルに続いて発売されたキャラメル、グリコは、販売開始の翌年からおもちゃが同封されるように。(グリコのおまけと呼び習わしていましたが、公式にはおまけとは言わないのだそうです)現在も販売されている長寿ブランドです。
ちなみに“グリコ”という名前は、グリコのキャラメルに含まれている、糖分を貯蔵する働きを持つグリコーゲンからきています。

現在ではほとんどがプラスチック製のグリコのおもちゃですが、過去には陶器や竹、鉄など様々な素材が使われていました。“お菓子とおもちゃは対等”というブランドコンセプトで、戦争の影響で資材のなかった1940年から数年は、おもちゃを中国・天津で製造していたという気合の入れよう。

また、いわゆるおもちゃ以外に、グリコについてくるカードか何かを何枚か集めて応募する懸賞もあって、グリコ日記という名前の日記帳だとか、戦艦型の文鎮とかが当たったらしい。キョロちゃん式ですね。

グリコと言えば道頓堀のグリコサイン、という人が多いのかなと思いますが、わたしにとっては2001年から2005年にかけて発売された「タイムスリップグリコ」が思い出深いシリーズです。
「タイムスリップグリコ」は昭和の暮らしや、鉄人28号、ウルトラマンなどをモチーフにしたおもちゃを封入した、大人がターゲットのグリコ。

このシリーズが売られていた頃、わたしはちょうど小学生で、主にぷちシリーズの食玩集めに熱中していました。同じ頃、父がこの「タイムスリップグリコ」を集めていて(というか父が買っていたからわたしも食玩にハマったような気もする)、ダブったものをあれこれもらっていました。

父は乗り物シリーズ以外はほぼ全部買っていたんじゃなかろうか……。
わたしはくらしシリーズが特に好きで、学校給食のやつが欲しかったのにダブらなくてもらえなかったんだよなあ。
もらった中では、昔のミシンとか、七輪で焼いているさんまを猫が狙っているセットとかが好きでよくそれを使って遊んでいました。

父の買わなかったシリーズに「思い出のマガジン」という懐かしの雑誌をミニチュア復刻したものがあったようです。ラインナップには「花とゆめ」1985年1月号もあり、何で買わなかったんだと、調べながら二十年前の父を恨めしく思っています(笑)
当時、フィギュア以外に食玩付きCDというのも発売されていて、こちらもシングルCDではありますが、錚々たるラインナップ。しかも300円という破格!
もう一度復刻しても売れそうです。(さすがにシングルCDだとちょっとアレか)

何だか書いていて当時の楽しい記憶が蘇ってきました。
最近のグリコはどうなっているのか気になります。

3 少年少女雑誌のおまけ→戦争に突入
少年少女雑誌に初めてふろくが付いたのは、昭和始めの「少年倶楽部」です。
これは紙製のもので、その後大型の組立ふろくなどへ展開、少女雑誌にもふろくが付くようになります。

少女雑誌のふろくでは、中原淳一をはじめとした美麗なイラストを使用したものが人気を得ました。
この時期はまだ少女雑誌のメインは漫画ではなく少女小説だったので、ふろくになるのも小物以外では美しいイラストで表紙を飾った薄い小説本が多かったようです。

中原淳一以外で展示数が多かったのが、松本かつぢが装画を担当したふろく。
松本かつぢと言うと、可愛いの元祖キャラクター・くるくるクルミちゃんの印象が強かったのですが、大人びた美しい絵も多く描かれていたんですね。
松本かつぢ資料館が二子玉川にあるという情報を得たので、年内に行きたいな。

ところでこの当時の児童雑誌は50銭だったらしいのですが、これは現代に換算すると4000円くらいだとか!高い!
当時、雑誌は裕福なおうちの子たちだけが読むことを許された贅沢品だったのですね。少女雑誌では特に「少女の友」より「少女倶楽部」が高級感があって憧れの的だったのだとか。

そんな高級品である少年少女雑誌、無論戦時下には統制を受けることになります。内容が戦意高揚のプロパガンダに寄っていったことは言わずもがな、ふろくも廃止を余儀なくされました。

「少女の友」から中原淳一の絵が廃された際、誌面に掲載されたお知らせの文句がひどい。
曰く、「国民の健康のために活字を大きく(弱められやすい眼を守る)、振り仮名をなくし、なよなよしい絵を排す」必要があるため、中原淳一の絵は掲載できないと言うのです。
この理不尽な声明文の裏にあっただろう断腸の思いだった編集部や、そんな訳の分からん理由で、と悲しみに暮れる少女たちを想像すると切ないです。むしろ厳しい状況下にこそ、心のオアシスとして綺麗な世界があってほしかった……などと当時を経験していないわたしなんかは思ってしまいます。

4 戦後
さて、戦後になり、おまけ・ふろくが子供達の前へ戻ってきました。
お菓子の世界では、カバヤキャラメルの、点数カードと引き換えにもらえた「カバヤ文庫」。名作がずらりとラインナップされ、表紙はカラー、多分B6程度の大きさ。戦時中はなかなか味わえなかったであろう甘いものと楽しいお話を提供してくれるこの商品は、全国で大ヒットしたそうです。

漫画の世界では、戦後すぐは貸本漫画が主流だったのが次第に週刊誌へと人気が移り(蛇足:テレビが週単位の放送になったのに合わせて、雑誌も月刊誌から週刊誌になったのだそうです)、ふろく商戦も加速します。
別冊漫画や探偵グッズなどのふろくが登場するなど、どんどんふろくが豪華に大きくなっていく中で、とうとう郵便の規定が変更され、紙製の軽いものしか付けられなくなりました。

雑誌等の定期刊行物を郵送する際、”第三種郵便物”という区分になります。
現代の規定では、付録も込みで重量1kg以内・付録は本紙の重量を超えず、本紙と同性質の記事、写真、書、画又は図をその大部分に掲載し又は録音若しくは録画した物件であって、本紙の題号、逐号番号、発行年月日及び「付録」の文字を記載したもの(冊子としたものにあっては、紙面の大きさが本紙の紙面の大きさを超えない2部以内にの物に限る)となっています。
変更された当時の規定=現代の規則と同様なのかは、ちょろっと調べただけではちょっと分からなかったのですが、今の規定もけっこう厳しいですよね。

今朝インスタグラムにてご紹介した谷ゆき子「バレエ星」。

こちらは雑誌「小学一年生」他に連載された作品ですが、ほとんど毎号のように紙製の着せ替え人形や、紙箱やレターセット、シールなんかがついてきたと書いてありました。懸賞では光る人形が当たったりしていたようなので、やっぱり紙もの縛りがあったのはふろくだけみたい。
同じくバレエ漫画の牧美也子「マキの口笛」はもう少し前の時代の作品ですが、こちらではふろくの宣伝はほとんど見掛けず、代わりに懸賞がとっても豪華。漫画のキャラクターが着ている可愛らしいお洋服を、自分のサイズに合わせて送ってくれたりするのです。(羨ましい……!)
両作とも高度経済成長期の作品なので、限られた人だけがもらえる素敵なグッズからみんなが貰えるちょっといいモノへと、数年の間に日本全体の経済力がどんどん上がってふろく事情も変化したことが窺えます。
※谷ゆき子、牧美也子他のバレエ漫画については、今度改めて少女漫画断想の記事を書きたいと思っているので、乞うご期待!

そういった状況下で、学研は郵便を使わず自社で発送していたために、多様なふろくを付け続けていたのだそうです。実験キットなどの教材ふろくが付いてきたとのことで、きっと多くの科学少年・科学少女を生み出したことでしょう。


今回の展覧会で充実した資料で解説されていたのは、この時代辺りまででした。
70年代以降も、少なくとも少女漫画の世界では可愛いイラストを使用した多様なふろくが展開されましたが、そういったものを見られなかったのはちょっと残念。(別に漫画に着目した展示ではないので仕方ないのですが)

最後に現代のふろくがちょろっと紹介されていましたが、2022年に発行された雑誌「ようちえん」のふろくだったという“自動改札機”には思わず呆気にとられました。ICカードもどきでタッチすると、本物のようにドアが開く、改札機のミニチュアなのです。
自動改札機がふろくになる時代なのか、と驚くと同時に、幼稚園児は果たしてこんなふろくをもらって嬉しいのか……? と困惑しました。

その他、ふろくとは関係ないのですが、瀬戸内寂聴がデビュー前に少女小説を書いて少女雑誌に投稿していたことも初耳でした。


個人的には特に戦前の少女雑誌の展示が一番楽しかったなあ。
家族づれから年配の方まで、幅広い年代の方が観に来ていて、懐かしんだり感心したりしている会話がちらほら聞こえてくるのも何とも微笑ましかったです。
特定の漫画家を扱ったふろくも展示されていることはありますが、展覧会でふろくに着目した展覧会ってあまり見掛けないような? またどこかで開催されているのを見掛けたらぜひ遊びに行きたいです!


ヘッダー画像:吉澤廉三郎

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