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宝石泥棒

猫は街の街の宝石屋の軒先でよく見かけられた。
ガラスのショウウィンドウの前にひとり、お行儀よく座って顔を見上げる。
視線の先には赤い宝石。
ライトアップされて、キラキラと輝いている。

猫は別に宝石が欲しいとかそういうことを思っていた訳ではないただ、退屈そうに輝く宝石が面白くて、ちょっかいをかけたらどんな反応をするのか見てみたかっただけだった。

赤い宝石は、人気者だった。
それ故高慢で、そして孤独だった。
猫は疎まれ者だった。
それ故偏屈で、けれど頭が良かった。
猫は、自分の手足でもって好きなところに行けない宝石を可哀想だと思った。
宝石は、住む場所もその日の食い扶持すら危うい野良猫を哀れだと思った。

お互いに、ひとりぼっちであった。

『あんたが肉や魚なら、おいらが美味しく食べてやったのに。』
猫は笑う。
人気者なのに誰にも引き取ってもらえない宝石を憐んで笑う。

『お前なんかに食われるくらいなら、海の底自分から沈んでやりますよ。』
宝石は笑う。
ひとを笑った猫も結局は同じようなもんだと、そんな自分に気づけない彼を馬鹿にして笑う。

彼らは似た者同士だった。
赤い宝石の隣にいた別の色した宝石が何度目かの入れ替えを終えたある日。
ショウウィンドウの電気も落ちて、それでも次の光で輝く宝石が、ほんの少しその明るさに翳りを落として呟いた。

『ここから出られたら、どれほど幸せか。』

あいも変わらず宝石を笑に来た猫が、たまたまその言葉を聞いていた。そして音もなくその場から立ち去った。

宝石は、猫には気づかなかった。

あくる日、いつものように宝石屋の前に来た猫は、いつもとは違ってショウウィンドウの前でなくて、入り口の前にちょこんと座った。
店の店主は、猫がよく店の前に来ていたことを知っていたし、気のいい男だったので、腹が減ったのかと猫を招き入れた。

猫は、開けられた扉をするりと抜けて、生まれて初めて宝石屋の中に立ち入った。
店主が後ろを向いた瞬間、ひょいと戸棚に飛び上がった。

その棚には、日ごろ互いを憐れみあった赤い宝石が、力なく光っていた。



ぱくり



猫はその赤い宝石を飲み込んだ。
そして店主が気付く前に、さっと店から飛び出した。


宝石は驚いて、そして怒った。
いきなり視界が真っ暗になって、かと思ったら揺れる揺れる。
自分を飲み込んだ猫に対して、大きな声で起こったのだった。

けれども、宝石の叫びなんて何のその。
気にせず猫は走り続けた。
途中、猫が宝石を盗んだ事に気づいた店主が、鬼のような形相でこちらを追いかけてくるのを、猫は気が付かないフリして、また走った。


驚き、怒り、そしてなんだか急に、どうでも良くなってきた宝石は、猫のお腹のなかで笑い出した。カラカラと笑い出した。
『哀れな猫よ、私を飲み込んでどこに行くつもりだい?私を連れ去って、恐ろしくはないのかい?』
猫は答えた。
『恐ろしくなどないさ、陰気なあんたに見せたいものがあるからね。』
宝石は、やっぱりこの猫は馬鹿だと思って、揺れる胃袋と今まで経験したことのない暗闇に包まれて、久方ぶりに、眠りについた。

次に目を覚ましたのは、大きな衝撃だった。
吐き出されたのではない、猫が、どうやら腹部に打撃を受けたようだった。

宝石を奪われた店主に見つかり、蹴飛ばされたようだった。
宝石を吐き出させようと、お腹の当たりばかりを狙って店主は猫の腹に蹴りを入れた。
宝石は叫んだ。
そんなこと、私に見せたいものなんてどうでもいい、だから吐き出して、さっさと逃げろ、と。

それでも猫は聞きやしない。頑固な猫は、命からがら逃げ出して、それでも宝石を吐き出さなかった。

『あんた、人気者のくせして人気ないだろ、だからおいらが貰ってやるよ。』
なんて、失礼なこと吐かしながら。

猫は、もうボロボロだった。
歩けているのが奇跡なくらいに。
それでもって、ようやっと宝石を吐き出した。

宝石は、久しぶりの外の明かりに、眩しくて思わず目が眩んだ。
しばらくして目が馴染んできた頃、果てのない大きな、大きな大きな水溜まりがあることに気がついた。

『あんたは知らないだろうけど、これが海さ。』
果てのない大きな水溜りは、海だった。

『ここに連れてくるためにそんなにボロボロになったというの?』
宝石は呆れながら猫に聞いた。
猫は少しだけ気まずそうに、でもほとんど自慢げに頷いた。

『当たり前さ。あんたは人気のない人気者だけど、こんなにでっかい海と比べちゃ、よっぽどちっぽけさ。だから、くだらないことでくよくよしてるあんたに、現実を見せてやろうと思って』

宝石は、猫は嘘をつくのが下手くそだと思った。
思ったけれど、何も言わなかった。
押し寄せては引き返す、穏やかな波の音だけに耳を傾けて。傾きかけた太陽の光を反射してキラキラ光る水面にだけ瞳を向けて。

お互い、なにも喋らずにいた。


果ての彼方に太陽が沈んで、明るい月が昇った頃、ふいに“ぼちゃん”と音が聞こえた。
隣を見るとさっきまで横にいた猫の姿が消えていた。
音の正体は猫が海に落ちた音だった。

人間にボールの如く蹴飛ばされた猫は、力尽きてしまったのだ。
抵抗もなく沈んでいく猫に思わず、宝石は後を追いかけてしまっていた。

“ぽちゃん”

小さな小石が海に落ちた音は、波にかき消されてどこにも届くことはなかった。



街の港の海底には、とびきり綺麗な赤い宝石が沈んでいる。太陽や月の光りを反射して、キラキラ輝く赤い宝石。
彼の足元には、かつて毛皮だった猫の骨たち。

宝石は、あいも変わらずひとりだった。
けれど、宝石は、もう独りじゃなかったのだった。

海から上がれず、誰にも見られないまま、それでも宝石は幸せだった。

『お前の腹の中も存外に、決して悪いものでは無かった。』
赤い宝石は、誰にも見られず。今日もひとりでキラキラ輝く。
勝手に連れ出して勝手に死んだ、身勝手な猫を宝石が恨むことは、ただの一度もなかったのだった。

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