セブンアワーズ
『今から7時間後、あなたの記憶はリセットされます。』
無機質な白い壁の何処からか響く、同じく温度のない声。
『あなたにはミッションを行って頂きます。ミッションのクリア過程により続行、保持できる記憶が決まります。』
ひらり、上から一枚の紙が落ちてくる。
部屋と同じく白い紙には何やら指示の書かれた紙が書いてある。
『それでは、悔いのないよう7時間をお過ごしください。』
プツンと音を立ててスピーカーのスイッチが切れる。
とりあえず、状況を把握するためあたりを見渡すけれど、これといってなんの変哲もない部屋だった。
白い壁に白いベッドに白い机。本棚や他の部屋はなく、クローゼットの中には外出用の服が1セットのみ。
仕方なく、部屋着のようなものからこの服に着替える。
なんとなく、鏡で髪を撫で付けてみたりしてすぐに辞めた。
ドアを開けて外に出ようとするが鍵がかかっているのか開かない。
7時間、これに何か意味でもあるのだろうか。
そういえばさっき落ちてきた紙、あそこには何が書かれているのか。
もう一度よく見てみることにした。
『ミッション1:この部屋から出る。ヒント・21 14 4 5 18/20 8 5/16 9 12 12 15 23』
ヒントにある暗号はさほど難しくなかった。
示された場所を探すとそこから鍵が出てきたので外に出る。
空は青く晴れていて、太陽は真上に来ていた。
タイミングよく、郵便屋さんがきて手紙を渡してきた。
見覚えのある封筒には先ほどと同じミッションカードと紙幣が何枚か入っていた。カードには、
『ミッション2:地図の示す場所へ向かえ。真実の愛を手に入れろ。』
……まあ、なんてロマンチックなのだろうか。
なんて冗談はさておき。
カードの裏に書かれた地図を頼りにその場所へと向かう。
途中、このままどこかへ逃げ出しても誰にも気づかれないだろうとか、そんなことも過ぎったりはしたけれど、なぜだか従うべきだという気持ちが湧いてきて、結局地図を頼りに足を進めるのだった。
地図が示した場所は花屋だった。
『真実の愛』もとい、その花は簡単に見つかった。
これはよく覚えている、だって、……あれ、なんでだっけ。
花の前で固まっていると声をかけられる。
これで花束を、そう放った自分の声がなんだか記憶に引っかかる気がして、わからなかった。
花束を作ってくれた店員が頼んでもいないのにメッセージカードまでつけてくれた。
よくみるとそれは、先ほどからミッションの書かれていたものと同じカードだった。
『ミッション3:36.1416/136.0731 真実の愛を届けなさい。』
お店の人に無理を言ってパソコンを借り、座標を打ち込む。ここからそこへの行き方と今あるお金で乗れる乗り物を探してメモをとる。
なんだかこの遠回りなミッションがすごく楽しいもののように思えてきた。
駅に向かい、列車に揺られて目的地へとゆらゆら向かう。
流れる景色が新鮮で、不思議と眠くはならなかった。
なんだか、眠ってしまってはいけない気がしたのだ。
着いたのは、崖の上だった。足元に覗く荒れる海が、美しくも恐ろしかった。
右手にずっと持ったままの花束を見て、途方に暮れた。
何をしたらいいのかわからないのだ。
ミッションの通りに来たは良いもの、人なんていないし先程までのように新たな指示もない。無論、真実の愛の花束を渡せるような人も見当たらない。
ただここで無駄に時間を過ごして、それで7時間が経ってしまったらどうなるのだろうか。第一、ミッションを指示してきた人はどこでこれを見ているのだろうか。
いろいろなことが頭に浮かんで、なんだか急に馬鹿らしくなってきた。
なんで素直に話を聞いていたのだろうかとか、これで結局記憶がリセットされず笑い者になるのだろうかとかそういうことを思って腹が立ってきた。
もう帰ろうと思い後ろを振り向いて固まる。
自分がどこから来たのか、どうやってきたのか、どこに行くのか。
そんなこと全部、何もかもをうまく思い出せないのだ。
『ミッション、お疲れ様です。ここで一つお知らせがあります。』
後ろ、つまりさっきまで見ていた前。誰もいないはずの崖の方から声がする。
恐る恐る振り返ると、そこには誰かが立っていた。
立っていた、という表現は少し違う。なぜならその姿は透けていたから。
大方ホログラムなどで投影されているのだろうその姿を見て、何か違和感を覚えた。
見覚えが、あるのだ。
思い出せないのだけど。
『残念なお知らせ、になるのかな。少なくとも今の状態の君にとっては。』
今までとは打って変わって、急に態度を崩したその姿に若干気が抜ける。
『ミッションなんて銘打ったけど、そのクリア過程がどうであれ、君の記憶は結局消えるんだ。君のことだから薄々勘付いてはいただろうけど。』
こちらをちらりと見やる目に罪悪感など一切ない。まるで受け入れることを見透かしているような、いや、分かりきったような表情だった。
あ、そうか。
『君——、ねえこれちょっとキツイや、もうネタバラシだから全部言って良いよね?』
ホログラムの正体に気付いた時、答える前に先んじられる。
さらに明け透けになる態度に困惑の気持ちが浮かぶが、次の言葉が続くのをまった。
『君は僕だよ。断崖絶壁の上で放り出されて、訳の分からんホログラムに言い寄られている未来の僕。僕は君、過去の君さ。細かい説明は省くけど、色々あって君は一定期間の記憶しか保持できなくなる、今の僕もそうなんだけどさ、7時間ではないんだ。そうだね、もうちょっと多いくらい。それでさ、なんでこんな回りくどいことをしてるのかっていうと、実は理由はなくてただの時間稼ぎなんだけどさ、目的はシンプルで。』
そこで少し言葉を切ってホログラム——過去の僕は、息を吸った。
『今日は君にとって大切な人の命日なんだ。』
そう言って笑う昔の僕の顔は、なんだかとても悲しそうだった。
その姿は今朝、鏡ごしに見たときよりも、花屋で受け答えをしたときよりも若々しい顔と声が、みるみる萎びていくようだった。
『今はまだ、昔のことは覚えてられるんだ。今日がリセットされるだけ。でも段々と”今日”が短くなっていっている。過去の記録を見る限りではね。昔のことも、こうなる前のことも思い出せないことが増えてきた。僕はきっといつかこんなに大切なあの人への気持ちや記憶も忘れてしまうのかもしれない、そう思うとなんだかやるせなくてね。』
びゅうっと強い風が吹く。
髪を乱した風は、ホログラムの陰影もかき乱していく。
『約束をしたんだ、約束を。昔、彼がまだ生きてた頃、自分の命日には花を供えて欲しいって。どうか忘れないで欲しいって。忘れる訳ないと思ってたからさ、良いよ。なんて簡単に返事をしたんだけど、ダメだね。いつか忘れてしまう日が目前に迫ってきて僕は、こんな無駄なあがきをしてる。』
右手に握ったままの花束は『真実の愛』もとい、勿忘草の花束で、勿忘草の有名な逸話は、
「私を忘れないで」
『おかしな話だよね、自分のことも思い出せないのに、忘れたくない人がいるだなんて、忘れたくない約束があるだなんて。もうきっと、今の君には思い出せない。』
「覚えてない、思い出せない、なにもかも。それは確かにそうだけど、」
『馬鹿なことだとはわかってる。これは仕方のないことだって。彼は飛び切りに優しいから、覚えているのに忘れても怒らないだろうけど、この状況ならなおさら笑って許してくれるだろうけど、けどね、彼との約束を忘れてしまっても続けたいのは、これは僕なりの愛の表現なんだ。』
「だけど、心が切望してることは分かる、体が勝手に向かったのはまだ覚えてる。その人のこと、君の気持ち、何にも思い出せないけど、大切だってことは分かるんだ!」
『勿忘草の花束を、海に返して。あの人が好きだった花なんだ。ここは二人でよく来たところ。覚えてないだろうけど、覚えてなくて良いけど、知って欲しくて。』
「忘れない、忘れないよ、残りの時間の間は絶対に。」
『帰りのことは心配しないで、今はもう少しだ、そこにいて。』
それだけ言うと、ホログラムは姿を消した。
思い出せないから苦しいのか、忘れてしまったから涙が出るのか。
きっとそのどっちでもなくて。
忘れてしまった彼のことを想って、心が泣いているような気がした。
他人事みたいな自分の感情を宥めるために、崖の岩の上に座り込んで、ひとしきり。たくさんたくさん、涙を流した。
顔どころか、存在すらも忘れてしまった大切な人を想って、淡くオレンジに移り変わる空の下、枯れるんじゃないかってくらい、泣き続けた。
あれ、なんでこんなところにいるんだろうか。
夕暮れの崖の上に座り込んで一人、頭がなにやらぼーっとする。
ザザザとなんだか音が聞こえる。
後ろを振り向いてもなにも見えない。
どこからとなくスピーカーからの声が聞こえる。
絶景とは似合わない、無機質で温度のない声。
『今から7時間後、あなたの記憶はリセットされます。』
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