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本職?人間だ。

WAKARIMI ga FUKAI.
Salut!
2月の終わり、やっと行ってきたよ。
「展覧会岡本太郎」

わたしの愛する県美に、太郎さんが来ている。
クリムトは今スウェーデンとのこと。常設展も現代美術な感じで新しく増えていたので、ぜひみなさんにも観てほしいと思う。
チケットの上側、残ってるよね。物販で帰っちゃうのはもったいない。
けどまあ好きにしとくれ。
太郎さんがめちゃくちゃ人気者でした。(激混みの意)

痛ましき腕
筆の跡研究家、じつは彼の油彩画を観たくてやってきた。
鮮烈な色彩からこぼれる痛み。
「その拳は力強く握られている」

その時代によって、作品によって違う、サインたち。
彼をカテゴライズすることはナンセンスであり、はたまた人類を分類することなど困難なのだと思う。
多様性などという言葉が不要な世界であるべきだ。
などと曰う人間は、たぶんとても孤独です。ひたすらにその孤独と向き合うことを余儀なくされる。
ただ、孤独のその先を知った人間は、とても強い。
先人がいることで救われる、未来の人類。
なんだかありがとうと思ったよ。
そしてこの方も、戦争によって生き方が変わった人であることにはかわりなくて。「それ」を知らないわたしたちは、こうやって影響を受けるしかないのだ。そして未来をつくってゆく。

岡本太郎氏の作品は前衛芸術といわれているが、つくっている側にとっては前衛かどうかはわからない。とても普遍的なテーマをぶちまけているだけなのかもしれない、などと思った。

そしてやはり、県美の展示は毎度本当にすてき。
クリエイティブディレクターを呼んでくれ。礼を言いたい。

学芸員さんが作ってるのかな。すんばらしいです。


彼は言った。
「情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ。(ゴシックMB101かな)
自覚を持ててたら、ね、たぶん、流されない、と思う。
吐きそうになるよな。嫌気がさして。
煩悩をもコントロールできるようになることを、悟りや解脱というのだとしたら、それはもう俗世で生きることは難しいだろう。衆生は、人間は、流されてもいい生きもの。
そこをも意識してしまう人間は、芸術を貪る。それは宇宙と繋がる行為だと太郎さんも言っている。
その声で。

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