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小説:初恋×初恋(その4)



「相川さんはずっと福岡なんですか?」
返事は無かった。前方の一点を凝視し、意識の奥で何か他の事を考えている。でも私はそんな沈黙には耐えられなかった。元来、喋り好きなのだ。だからシェアハウスもやっていけた。色んな人達と話しをした。色んな人生を知った。私の人生以外の他の人生だ。私はそんな話しを聞くたびに、強い関心を持った。他人ではいられなくなった。やがて同化し自分がその人生を生きた気になった。豊かな人生を歩んで来たかの如く勘違いをした。しばらくするとそれが勘違いである事に気が付く。その繰り返し。

「私はずっと福岡。祖母が倒れてから丁度一年。管理を引き継いでるんです。引き継いでると言っても、これまでとやってる事は同じなんですけど。相川さん、結婚は?」

私はセンセイの事を思った。昨日センセイと相川さんがダブって見えたけど、今日冷静に見てみると全く違っていた。遠くに見えるものって同じに見えることがある。昨日はそんな感じだった。でも今日は違う。相川さんとセンセイは似ても似つかない。そして相川さんは、なんとなく私の中に在るものに似ている。でも何だろう?心に引っ掛かるけど、何かがわからない。相川さんはまだ私の質問に答えようとはしない。いや、聞こえていないのだ。さっきからずっと何かを考えている。そしてたぶんそれはたった今考えなくてはいけない事なのだろう。

「私、結婚願望が強いんです」相川さんはやはり無反応だった。私は構わずに続けた。「私、早く結婚して家庭を持ちたいって、ずっと大学生の頃から思ってました。これでも大学を出てるんです。私立の文系だけど。何の資格もないけど。あ、車の免許は持ってます。昨日話しましたよね。それが条件だったんですよね?この仕事の。条件なんでしょ?でも私、運転しなくて良かったのかしら?得意ではないけど、嫌いではないの。よく買い出しに行ってたから。ワゴン車で。ワゴン車があるのよ。この車よりちょっと大きいわ。週末にね、大きなショッピングセンターがあって、そこに買い出しに行くの。以前は祖母と行ってたけど、去年から一人で行くようになった。でも正確に言うと二人かな。センセイが付いて来てくれたから。祖母がセンセイと入れ替わった感じね。センセイというのは、私が勝手に呼んでるだけで、本当は大学の教授なの。あ、准教授だったかしら。講師かな。よくわからない。でも毎日大学に教えに行ってるの。何を教えてるのかしら?真剣に聞いた事なかったけど、建築か何かよ。法規とか計画とか、そんなこと言ってたから。民間に就職しないと?って一度聞いた事がある。僕が教えてる事は、社会ではほとんど役に立たないって言ってた。だったら教えるなって話しよね。他に必要な事が山ほどあるでしょうに。でもそれがこの国の決まりだって。おかしいわよね。だけど社会に出たらこの程度のおかしい事もまた山ほどあるって。本当かしら?結局私、社会人にはなれなかった。銀行に就職が決まってたけど、祖母が倒れてシェアハウスの管理を一人でしなくちゃいけなくて、銀行の内定断っちゃったの。意外と大変なのよ。ハウスの管理。最近のシェアハウスはさ、住人が率先して当番でトイレ掃除だとか庭掃除だとかやってるみたいだけど、そもそも管理人なんて居ないんだけど、うちは違うのよ。始めた当時から祖母が何もかも世話してたから。トイレや風呂掃除。トイレットペーパーの交換。床磨き。冷蔵庫の食材の仕分け。言い出したらきりがないわ。結局は住民を甘やかしてしまったのよ。何でも最初が肝心ね。でも、センセイがいつも手伝ってくれたの。良い人。本当に良い人。歳は三十八歳らしいけど。もうちょっと歳に見えるかな。でもその方が良いんだって。学生になめられないから。私ね、年上が好きなの。両親を早くに亡くしたからかな。それに見た目がこんなんでしょ。背は低いし髪は短かいし胸は小さいし。だから歳よりも若く見られると言うか、まあ大人ではなく子供よね。センセイと並ぶとまるで親子にしか見えない。でも私から好きになったの。センセイも好きだって言ってくれたのよ。愛してるって。これほど好きになった人は初めてだって。でもね、一昨日よ。私、祖母の看病で病院に泊まる事になって、センセイに鍵の管理をお願いしたの。いつも快く引き受けてくれるからその日も甘えて。だけど携帯を忘れた事に気が付いてハウスへ取りに帰ったの。そしてセンセイの部屋に行ったわ。そしたら真っ暗でもぬけの殻。でも時間にはルーズだけど約束をすっぽかす人じゃないの。ハウスには他に六人いて、私とセンセイを含めると八部屋あるの。私、全部の部屋を見て回ったわ。センセイが来てないか確かめる為に。センセイは祥子さんと仲が良いの。商業デザイナーなんだけど、同業者だから話が合うみたい。だから最初、祥子さんの部屋に行ってみたわ。でもセンセイは居なかった。祥子さんは絵を描いていて、私が来てもピクリとも動かず、声だけで返事をしていた。結局私は全部の部屋を見て回ったんだけど、何処にも居なかった。仕方なく私、自分の部屋に携帯を取りに行ったの。本来の目的がそれだったから。そして扉を開けると中から物音がした。カサカサって人の気配。恐る恐る照明のスイッチを付けた。そしたらセンセイが居たの。知らない女の人と一緒に……。

 私、息が出来なかった。喉に詰め物をされたみたいに。でも意識だけはとてもはっきりしてた。コマ送りの映像をみるみたいにその女の顔が目に映ったわ。心が遠くに行ったような虚ろな目。それが宙を彷徨ってた。そしてその目が私を捕えて濡れた唇で言ったの。あんたが黄色いタクシーなのね、って。女はセンセイの下で笑い始めたわ。小さな声で。でも段々と大きくなっていった。部屋中に聞こえるような大声。私は声も出せずに震えていたわ。両方の腕を抱えて。振り返ると祥子さんが居た。腕組みをして。やがて住人の一人が奇声をあげた。発情した猿みたいに。あいつら全員グルだったのよ。賭けをしていたの。私の部屋で最後までやり遂げる事が出来るかどうか。馬鹿な人達。でも本当はみんなして陰で私の事、馬鹿な女だって言ってたの。私だって誰でも良いって訳じゃなかったのに」

 私はそこまで一気に話すと大きく深呼吸をした。こみ上げてくるものがあったから押しとどめようとした。でも涙と言うのは不思議なもので、堪えようとすると出てくる。あとからあとから。声は出なかった。ただ流れるのだ。はらはらと。

 車は大宰府のインターにさしかかった。これから九州自動車道に入る。この車は大宰府から南下するのだ。
「熊本に行くの?」と私は聞いた。でも上手く声にならなかった。それでも相川さんは黙って前を向いたままだった。
「いつの間にか、タメ語で話してたけど、私の話、聞いてる?」私がそう言うと相川さんは私の方を向いた。そしてポケットティッシュを私の膝の上に置いて再び前を向いた。
その程度の男とは別れた方が良い。それほど好きでもないんだろ?何も君が逃げ出す必要はない。法的に退去してもらおう。弁護士を紹介する。白でも黒にしてくれるやつだ」そう言うと相川さんはアクセルを踏み込んだ。車は一気に加速し本線に入った。景色が流れる。私は移動している事を実感した。何処かへ連れて行かれる。でもそれが今は心地よかった。少しでもあの場所から遠くへ離れたかったから。


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