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【ミステリーレビュー】その裁きは死/アンソニー・ホロヴィッツ(2018)

その裁きは死/アンソニー・ホロヴィッツ

山田蘭の和訳によって2020年に日本語版が発表された"ホーソーン&ホロヴィッツ"シリーズの第二段。


あらすじ


作家や脚本家としての仕事に勤しむホロヴィッツのもとに、再び元刑事で、警察の捜査協力も行っているホーソーンがやってきた。
有名な離婚案件専門の弁護士が殺害されたのだという。
現場の壁にはペンキで描かれた“182"という数字。
これは、誰が何の目的で残したものなのだろう。
すっかり謎に引き込まれたホロヴィッツは、ホーソーンに振り回されながら、またも事件に首を突っ込むことになる。



概要/感想(ネタバレなし)


原題は「The Sentence Is Death」。
日本人作家が作中の重要人物として登場しており、その俳句の一節からタイトルが付けられているのだが、さて、原文ではどのような表現になっているのだろう。
季語が入っていないのは海外作家だから目を瞑って、という話なのか、邦訳される際に、俳句という設定に置き換えたのか。
日本語でないと、あのリズムは成立しないだけに、作品の本題ではないが気になってしまう。

そんなわけで、著者の日本人観などがうっすら見えなくもない描写も楽しいところではあるのだが、前作よりも構成は洗練された印象。
現実世界の著者と、作中の"ホロヴィッツ"を同一視させるために、実際に手掛けた仕事をチラ見せしたり、ドラマの撮影裏話を織り交ぜてみたり、おそらくジョークの一環で純文学へのコンプレックスを少々盛り込んで、という手法は踏襲。
小ネタを拾えない日本人としてはやや冗長には感じるものの、事件と無関係の部分がだいぶコンパクトになっていた。
ホーソーンのパーソナルに迫ろうとする寄り道はあれど、純粋に犯人当ての部分にページを割いて。
ホーソーンについては、まだまだミステリアスな部分が多く、提示された謎はほとんど解決しないままだが、それはシリーズが進むにつれて明らかになっていくと信じている。

いかにロジックから犯人を導き出すかに特化した、正統派ミステリー。
大掛かりなトリックが用意されているわけではないので、やや地味に見えるものの、一度読みはじめると、どこに着地していくか予想できないワクワク感に包まれて、右肩上がりに面白くなっていく。
ポイントとなるのは、作中でホロヴィッツがホーソーンに諭されたように、全体像をどのように見るか。
殺人動機は何に起因しているのか、旧友の事故死は偶然だったのか等、ひとつひとつ要素を潰し込んで犯人を炙り出す必要があるのだが、ひとつ解釈が動くと、その先の推理も大きく動いてしまうため、これがなかなか難しい。
著者と一緒に悩みながら物語を進めることで、少ないヒントで真相に近接するホーソーンの凄まじさに気付く仕様だと言えるかもしれない。


総評(ネタバレ強め)


癖のある登場人物が多いので、ある種、誰が犯人でも驚かない。
そう思っていたのだが、まさか、の先があったとは。
多重解決的であり、どんでん返しもあって、というミステリーのお手本のような結末。
これがオチだと、ちょっとモヤモヤが残るな、というホロヴィッツの推理シーンから、更に二転三転と物語が転がっていき、最終的に意外性のある犯人が浮かび上がってくる展開は、わかっていても手に汗握る。
美しい伏線回収に加えて、ワトスン役のホロヴィッツが活躍しつつ、その上を行くホーソーンという構図も、王道と言えるだろう。

一方で、前作同様にスタンドプレーをして最後に死にかけたことについては、同じく王道ではあるものの、本作においては蛇足的に感じてしまった。
子供に余計な罪を背負わせただけで、名誉の負傷という感じでもなく。
シリーズを続けていくつもりであれば、まだまだ殺人犯に立ち向かう場面も出てくるだろうし、今、無理にそのくだりを入れなくてもよかったのでは。
早とちりで勝手に体を張る描写なら、謎の男を追いかけるシーンで足りていたので。

全体的には、前作からの正当進化といったところ。
事件が起こってから探偵に依頼が入る、という古典的な流れは、当事者が事件に巻き込まれていく現代ミステリーに比べて、臨場感に欠ける部分はあるものの、主観がはっきりしているおかげで、メタ視点で余計なことを考えなくてよいシンプルさがある。
ギミックよりもロジック重視、だけど古典は無理も多いし読みにくい、という読者にとっては、ある種、童心に帰って読める1冊。
アートワークの統一感も、一目でそれとわかって良いな、と思う。

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