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親子への模索


 関係性がどうであろうと今までの思い出がどうであろうと、人間皆親がいる。人間生まれ落ちたら血縁という呪縛は永遠に付き纏う。毎日会っている自分のことを1番知っている親友でも血縁というものは超えられない。それほど血縁というもの、親子や兄弟、親戚というものは強い結びつきである。

 最近嬉しいことがあり、父に報告のLINEをした。その際に今までに見たことのない『うんうん』という相槌の返信がきた。ここ25年親子をしてきたが初めての相槌だった。

 我が家は紆余曲折あり父と私の二人家族である。親戚付き合いも希薄で、父方の祖父母は小学校4年生からほとんど会っていない。二人家族になってから一度会ったが、正直思い出は蘇ってきても親しみは感じられなかった。親戚付き合いもほとんどないに等しい、正真正銘の二人家族だ。父は私の唯一の家族であり、きっと父が頼れる唯一の家族は私だ。

 最近益田ミリの『痛い靴の履き方』というエッセイを読んだのだが、そのエッセイにファミレスで店員とのやりとりを全て自分が担ったこと、父と母が並んで座った姿をみたことから親子関係の変化、親の老いを感じた(個人的意訳)という話があった。私が親子関係の変化を感じたのは、父の涙を見た時だった。きっとこれまで娘に隠してきた涙を見た時、親子関係を変えなくてはならないと強く感じたのを覚えている。親子であることには変わりないが、"唯一の家族"を担わなければいけないと強く感じた。それまでも比較的私を子供というよりは一人のオンナとして扱う父であったが(こんなブラジャー捨てろ、眉毛は整えろ、もしもに備えて下着は必ず上下セットにしろ等とにかく口うるさかった)、この時子供であることは変わりないが一人の家族としてこの人を支えなければいけないと強く感じた。この時からファミレスでは私が先頭を切って禁煙席、大人二人と伝えるようになったし、父の注文は私が言うようになった。もちろん父を弱いものだとは微塵も思っていないが、なんとなく守らなければいけない存在だと思うようになった。

 父の中では"一人のオンナとして娘と付き合っている"という事実が親子の成功形らしい。酔うと『お前とこんな話ができているのが嬉しいよ』とよく言う。私からすれば、そんな話したくないし聞きたくないと思うことも多々ある。私を如何なる時も子供として扱ってくれる存在が欲しいとも思う。ただ父がそう思うならそれでいいとも思う。父からしたら、周りから見たら十分私を子供として無条件に守り可愛がってくれているのかもしれないが、私からしたら、なんか違うのだ。父には言わないが、母だったら今の私とどう接してくれるのだろうと考えることもよくある。ここで父の相槌の話が出てくる。

 去年の秋に「7ヶ月前から彼女がいる」(なんでそんなに微妙な期間の今伝える、と正直思った)とサイゼリアでワインをしこたま飲んでいる時に言われた。正直その時の感情はよかったね、だった。私の中では父はいい人間でいい男だから、父には報われてほしいし私に向いている父の熱視線が分散するためにも彼女ができればいいなとは思っていた。先日までは、どんなに実家にその彼女の影があろうと(謎に整理された冷蔵庫、知らないタッパーなど)見過ごすことができていた。バレンタイン直後の帰省の際の冷蔵庫の手作りブラウニーも、それにより冷蔵庫に充満するシナモンの香りも見過ごすことができていた。でも、この妙に優しい『うんうん』という相槌だけは引っ掛かってしまった。うん、と打ったらうんうんと予測変換が出てくるであろう父のiPhoneに引っ掛かってしまったのだ。正直なんかすごく嫌だった。この感情、どうすれば処理できますか?私が甘えているだけなのでしょうか?

 私は自分の親しか親は知らないし、親子関係しか知らない。なんでも話せる親子になりたいとも思わないし、親に見せるようの自分がいたっていいと思う。正直私の家庭はそういう家庭で、父と母にものすごく気を遣って私は過ごしてきた。父親用の私と母親用の私、3人でいるとき用の私。それもあって父の見ていた私と母の見ていた私は全く違うものだったのだろう。よく、父からは『自己主張がつよい冒険家』母からは『小心者の心配性』とほぼ真逆の性格を言われていた。中学の国語の授業で親ってどういう存在ですか?と先生が聞いたときに、『1番素を見せられる存在』と答えたクラスメイトに目から鱗と共にドン引きした記憶もある。私はもっと父親として繕った父を見ていたいのだろうか?これから続く親子関係はどうなっていくんだろうか?

 そんな私はアマゾンプライムで『生きるとか死ぬとか父親とか』というドラマを見ている。それを見て、とりあえずこの気持ちをnoteに残すことにした。ドラマを見ていてもきっとどの親子にも何かしらしこりはあるし、私たち親子のしこりはちっぽけなのかもしれないとも思う。父親が嫌いとかそんなこと一生思わない。父が死んだら、一人になったらどうしようとものすごく怖いし、父は私の最高の味方であることもわかっている。でもなんか嫌でなんか噛み合わない親子関係が続いている。そしてそれを父が悟っている気配は皆無だ。時間が経てば解決するのだろうか。一生消えないのだろうか。まあいいやと思えるようになるのだろうか。

 親子ってなんなのさ。なんてことを、オカモトショウが父親について書いた二曲を聴きながら綴ってみた。

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