ドスケベの赤井さん
エロじじい、なんて言葉がある。
文字通り、エロい老人のことを言う。
ただ、このエロじじい。
漫画の中の世界ではよくいたりするけども、例えば亀仙人がエアロビクスの映像を見て鼻血出すだとか、
らんま1/2で八宝菜が下着泥棒の常習犯だとか。
ま漫画のチョイスの古さはイジらないでほしいのだけど、兎に角、現実世界の介護施設で、認知症だったりするご老人に「エロ」はさすがに無縁だと思っていた。
そこでご紹介したいのが、
赤井さん(仮名)というお爺さまである。
赤井さんは背が高くて立派な髭を蓄えており、盲目のご老公だった。
耳もかなり遠い方で、話すときはかなり耳に近づいて伝える必要があった。
――初めて赤井さんがいらっしゃった日。
自分は夜勤で出勤した。椅子に座っている赤井さんに近づいていってご挨拶をした。
「どうもはじめまして! 夜勤の坂巻です!」
「…………」
赤井さんからは返事がない。
言われた通り耳元で大きな声で言ったのだが、聴こえてないのかしら?と思い、
もう一度さらにボリュームをあげて、区切るように言った。
「どうもっ!!! はじめましてっ!! 夜勤のっ!! 坂巻ですー!!」
「…………」
赤井さんからは返事はない。
耳が遠いという説明を受けてはいたが、なかなか聴こえないレベルなんだなぁ…と思った。
「そろそろ寝ましょうかー!?」
とこれまた大きい声で言うと、返事はやはりない……
しかし手を伸ばすと、その手を握られたのでそのまま立ってもらい手引きでベッドへ誘導した。
――次の日の朝。
交代のおばさまのスタッフAさんがやってきた。Aさんも赤井さんとは初対面であった。
「おはようございますー! Aです! はじめまして~!」
昨晩の自分のように、Aさんが赤井さんに挨拶をしたが、自分はこう思った。
ダメだ、今のボリュームでは、と。昨晩その倍以上の声で通じなかったのだから。と思い外野から
「あ、Aさん。赤井さんかなり耳遠いんでもっと大きい声で――」
と挟もうとしたら
「どーーーもっ!!!」
と赤井さんが返事をした。
………聴こえるんかい。
「よろしくね! Aです!」
「よろーしーくーー!!!」
「立派なお髭ですね!」
「あーりがーとっーーー!」
Aさんの声はなぜか届いてる。ガンガン会話してる。
そしておもむろに、赤井さんが握手をするように手を差し出した。
「あら、握手?」
といってAさんが自然に手を差し出すと、赤井さんがその手を掴んだ。
そのまま手の甲に唇を近づけ、何を思ったか?
チュ♡
っとした。
おお、愛しのマドモアゼル。
みたいな感じで……自分は目を疑った。
「…ちょちょっと何すんのー赤井さんー!ヤダーぎゃはははははスケベ!」
Aさんはなんかちょっとまんざらでもなさそうに笑っている。
この介護施設ではあるまじき、なんか淫らな光景を見て、自分は思った。
――おれ、男だから無視されたんじゃないか?
と。昨日の自分の「坂巻ですー!!」は今のAさんのボリュームの倍はあったと思うのだ。
後から出勤して来た男性の先輩スタッフがやってきたので、
そのことを訴えてみたら彼はこう言った。
「あ、俺も昨日無視されたわ」
「え」
「うん、まああれが無視なのか、女の声にしか反応しない耳なのか分からんけど。とにかく女好きであることは間違いよね」
「絶対そうすよ。だってさっきAさんの手の甲にチューしてましたよ」
「昨日、Bさん(別の女性スタッフ)の手にもチューしてたよ」
「マジっすか?」
「なんかさ赤井さんって昔、インテリアデザイナーの走りみたいな感じでさ、超一線でやってたらしいんだよね」
といった先輩スタッフの仮説によれば、
インテリアデザイナーという今でも合コンで言ったらカッコいいー1といわれそうなシャレオツ系でバリバリやってた赤井さんは、若い頃かなりブイブイいわしてたはずである、と。
相当モテたろうし相当遊んだろう……年老いてなお、そのプレイボーイたる名残が残ってるのではないか?
それを訊いてから赤井さんを見ると、なるほど。たしかに背は高いし、髭の風情もシブメンだし、ファッションも、他の利用者さんが年相応の地味めな洋服が多い中、赤井さんはちょっと派手なネルシャツや、カーディガンを着こなしている。
「年期の入った女好きなんでしょうね……」
という結論で意見はまとまった。
――こうしてこの、赤井さんの女尊男卑?とまでは言わないけども、男性スタッフにはそっけなくて、
女性スタッフにはアイラブユー。手の甲にチュー♡ デレデレして上機嫌、特に女性スタッフによる入浴介護は超うれぴー。みたいなエロじじい然とした性(さが)は、施設内では周知になっていった。
一度など、別の事業所から20代の若い女性スタッフがヘルプで来て
何も知らずに赤井さんに挨拶したら、
例のごとく手の甲にチュー♡されて
「ちょっとっ!!? やめてくださいっ!!」
と手を叩かれたらしい。
そりゃそうだ。そんな子もいる。いくら老人介護でも男女のルールある。この話を訊いた時は、どんまい赤井さん、と自分は同情したものである。
そんなある日――
朝方寝ている赤井さんを起こそうと
「はい、そろそろ起きましょうか!?」
と声をかけたが、何回声をかけても反応してくれなかった事があった。
聴こえてないのか? 眠たくてまた無視されてるのか……?
朝方は仕事が山のようにありバタバタしているし、といって無理に起こすのよくないし……参ったなぁ、と思ってると
ふっとこんな作戦が浮かんだ。
――女性の声色で声かけたらどうなるのだろう?
女子の言うことはぜったーい。のエロじじいたる赤井さんならいけるかもしれぬ。いう、かなりダメ元、というか半分冗談で
「↑↑赤井さんー!おはよーうですー!↑↑」
と裏声の高音で言ってみた。
しばらく間があってから赤井さんが目がパっと開いた。
「・・・・おーはーよーっ!!!」
と返事があった。
………いけたっぽい。
こんな気持ちのいい返事をくれた事は無い。グンバツのチャンネーだと思われてる可能性が高い。こんなうまくいくものかと思いつつ
「↑↑トイレいきましょうかーー?↑↑」
と甲高い声でいうと
「はーーーいーっ」
と元気のよい返事があった。
そのままムクッと座る体制になると、自分は調子にのってさらに裏声で
「↑↑じゃ立てますかーっ↑↑」
と言って手を差し出した。
すると赤井さんはその手を掴み、そのまま唇を近づけた――
そして手の甲に
ちゅ♡
とした。
「………や…………あう……」
――ご老人に手の甲をチュ♡される。
という想定外の体験に、自分は思わず変な声が漏れた。
妙な幻術を使ったばっかりに。なんだろうあの複雑な気持ちは? 嬉しくもないし、といって別に嫌って感じでもない……喜怒哀楽のどれでもない。
「…‥ふふっ、あの………ぐふふっ。ぐふふふふふっ」
男性諸君は一度でいいから、ご老人に手の甲にチュ♡されてみるとよい。
脳内でその現象を処理しきれなくて、結果、
もうなんか笑うしかなくなるのである。
――すません自分はそこそこ中年にきてる男性です
と赤井さんに若干申し訳ない気持ちもありつつ、トイレには行ってもらわないと困るので
「↑↑↑さあ立ちますよーーー↑↑↑」
と引き続き自分は甲高く声をかけた。赤井さんはぐんっと力強く立ち上がった。
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