ミスター偏食の岡爺
お年寄りは好き嫌いをしない。
というイメージが自分にはけっこうあった。
その背景はお年寄りイコール『戦争をガチ体験した人達』という印象が強いからだろう。
「好き嫌いせず食べなさい!戦争中は食べ物がなくてみんな大変だったんだよ!」
というお母さんの説教は常套句。ご老人への敬意でもある。
え、ストップっ!それ言うならさ、
好き嫌いせず食べなさい!アフリカには食べられない子供がいるんだよっ! じゃない?
という人がいたら、そのパターンも確かにあるけど話の筋とアフリカは関係ないからそれは無いことにほしい。
とにかくお年寄りは食べ物の大切さを身をもって知っており、食べ残しをしない!好き嫌いをせず食べる!という教育において見本のような存在である。
と自分は思っていた。
しかしここで、この、いち介護従事者が一石を投じてみる。はっきりいって
お年寄りはけっこう残す。
…いやいやいやいや年を重ねれば食が細くなるから、しょうがないでしょ?
とフォローを入れる気持ちはわかるけども、違う。食欲がないから残すとか、健康上の問題で残すとか、そういう仕方ない系の食べ残しの話ではない。
シンプルに好き嫌いでけっこう残す。
ぜんぜん珍しいことではない。論より証拠。その最たる例として岡爺を紹介したい。
岡爺――
とは苗字の頭文字にスタッフみんなが親しみをこめて、爺、を付属させ、岡ジイ、岡ジイ、呼ばれていたご老公であった。(※「岡」というのは仮名)
自分が介護をはじめたての時すでに施設に何年もいらっしゃった方だ。
――ある日の朝食後。
ちょうど食後の岡爺の皿を引っ込めようとした時である。思わず自分の手が止まった。
皿の端っこにニンジンが完璧に残っていたのである。
「マジかよ」
と自分は思った。ちょっとしたカルチャーショックであった。
ニンジンがきらーーーいっと叫んでるようなその光景は、幼い子供のものではない、まぎれもなく齢90も過ぎた御仁の作であり、ニンジンというチョイスも、皿の端に寄せるという演出もニクいくらいにベタで、ガラスケースにいれて玄関に飾りたいくらいであった。
一応、自分は訊いた。
「岡爺……これはもう食べないっすかね?」
「ええー? あああ! もうー! いらないよぉこんなーん。ダメだよぉー!」
と、なぜか逆ギレ気味に岡爺が言った。
「ニンジン苦手なんすね・・」
「食べないよー。こんなんー! でしょ?」
「え?」
「でしょ?」
………でしょ??……
の意味がよく分からなかったのだが、察するに
『ニンジンなんてクソ不味いもの全人類が嫌いなんだから食べるわけないでしょ?』
の『でしょ?』じゃないかと推測する。
さて。
この岡爺の好き嫌いは、何もニンジンに限ったことではなかった。
また別の日――
今度は朝食を提供したときである。岡爺の前に皿を置いて戻ろうとすると背後で声がした。
「ちょっとちょっとー! ねえーこれ食えないよー? ちょっとー」
「……はい?」
「これいらない、ダメだよこれー! これこれこれ、こんなの!」
岡爺が指さしているのは、鶏肉であった。
朝食にはタンパク源として、卵やら豆腐やらをよく使うのだが、その日は食材を切らしており鶏肉を煮たものをお出ししていた。
「え? あ、え、鶏肉ダメっすか?」
「食わないよーこんなの! でしょ? こんなん、もうーー!」
また、でしょって言った。
しかも今回は食べ残しではなく
『食べず残し』
というなかなかダイナミックな戦法である。自分は思わず
「好き嫌いせず食べなさい! 戦争中は食べ物がなくてみんな大変だったんだから!」
と説教しようかと思った。しかし戦後の人間が戦争体験者にそれを言ったら空間が歪むと思うので止しておいた。
「もうダメだよぉ! 食べれないよぉこれー!」
わーわー言ってるの岡爺の皿を引っ込め、
代わりに油揚げを炒めたみたいな変な料理をお出しして場を収めた。
「岡爺って、めっちゃ偏食すね?」
あるとき先輩スタッフに訊いてみた。
「あーそうそう。ごめん訊いてなかった? 教えとかないとダメだったね」
「いえ、いいんすけどこの前はニンジン残してたし」
「あーニンジン食わないね」
「鶏肉もいらないって言われました」
「ああ、鶏肉は食わないわ」
「そうなんすね……」
「てか肉食わないからね」
「……肉全般すか?」
ベジタリアン? もしくは何か宗教的な理由だろうか? と思って訊いてみると
「いや、シンプルに嫌いらしい」という返答があった。
「あとパンもダメだから」
「マジすか」
「麺もほぼ食べないね。小麦がダメっぽい」
「……ええ」
「ご飯は好きだよ。あ。けど雑炊みたいのはダメ」
「えええ」
「あと冷たいお茶もダメね。夏場もあったかいお茶出して」
「…………」
「あとニンジンがダメっていってたけど根菜系が基本ダメっぽい。確かゴボウもダメ」
なんてどばどばどばどば出てくる岡爺の偏食家っぷりは想像以上で、
「あ、でも甘いものは好き」
と最後の補足もいかにも偏食家である。
そんな岡爺の偏食っぷりにもある程度慣れた――ある日。
また朝食後であった。
岡ジイの皿にオクラが残っていた。
オクラ嫌いは訊いていないが今更この程度で驚くこともない。
「これ下げて大丈夫です?」
と岡爺に訊いてみると間髪入れず
「もうー、いらないよぉこんなん。食べないよー」
といつもの返事があった。「ほんじゃ、じゃ下げますよ」なんて皿をとり、他の利用者さんのテーブルを回ってみて
……え!?
と思った。
その日の利用者さんは8人中くらいだったのだが、内の5人。半数以上の利用者さんが
オクラを残していたのである。
「え、これ食べないですかキヨさん?」「」あ、ご馳走様でした」
「フサコさんこれもう下げていいの?」「けっこうです。どうもでした」
「山崎さん食べないこれもう?」「うんいらない」
みんな一様に「ハナからこんなもん食べる気ございません」って雰囲気なのである。
さすがにこれは異常事態で、てか、むしろお年寄りってオクラが好きそうな感じすらあるし訳がわからない。
なぜだ……?
分らないことはスマートホーンに聞く現代人の自分は、
『オクラ』
でググって、スペースお年寄り、スペース歴史、などで検索し、野菜ナビ:オクラなるホームペエジを読んでハっとした。
引用しよう。
「オクラの原産地はエジプトやエチオピアなどアフリカ北東部と考えられていて~中略~
日本へは幕末にアメリカから入ってきましたが、一般家庭の食卓に並ぶようになったのは1970年頃から。それまではおもに花を鑑賞するのが目的で~」
そう。実はオクラは1970年代に一般家庭に普及した野菜だったのだ。
利用者さんの平均年齢を 90歳だとすれば
40歳すぎて普及した野菜ということになる。
なんてハイカラな。
要するにいまのお年寄りが、おっさんおばはんと言われる年齢になった時になんか急に流行り出した野菜なわけだ。カテゴリー的にはモロヘイヤとか、アボカドとか、ズッキーニとか、パクチーとかの類か。もちろん好きな人もたくさんだろうが相対的に見て、10代、20代だったら受け入れ体制はあるが、30代、40代、50代……と年代が上がるにつれて新しいものを許容する絶対数は減少する。
さらにオクラってのはご存じのように、独特な食感をしている。
「何これ? え、なんかネバネバしてる。ししとうじゃないの?じぇじぇじぇ気持ち悪い。最近の若い子こんなん食ってんの? 山芋でも食お」
なんて人が多かったのではないか?
オクラの不人気の訳もこれなら納得がいく。どうだろうか?
「じゃ下げますね……」
三角コーナーにオクラがむなしく溜まった。オクラに罪はない。オクラは美味しい。
しかし考えてみれば同世代でタピオカが好きな人に会ったことはない。
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