普通を注文する。
ラーメンのスープの濃さは普通で注文する。油の量も、ねぎの量も普通。麺の量も普通。でも、大盛無料ならちょっと考える。あとバリカタ。
普通科出身、サカイです。今回は「普通」に考えていることを「普通」に書き留めてみます。
他人とは分かり合えない
普通
ってなんやねんという話です。
世の中には、沢山の「普通」がはびこっていますが、その言葉の正確な意味ってみなさん説明できます?私はできません。なぜなら、「普通」の感覚って人の数だけあると思うからです。辞書で「普通」という言葉を引いてみても、「とくに変わっていないこと」とか、「あたりまえであること」とか、「通常」とか…。だからそれって人によりません?
例えば、「いつも通り普通に生活してください」といろんな人にオーダーしても、きっとみんな違う生活を送りますよね?それは人によって「いつも通り」とか「普通」が違うからじゃないんでしょうか?
解釈や捉え方は人それぞれなのに、共通言語として使われている言葉が日常には多く存在するなぁとこの頃よく感じます。別にそれがいけないとか、ダメだという訳では全くないんですけどね。
コナン最高(は?←猫ミームの顔で)
私ね、「名探偵コナン」が好きなんですよ。それで、コナンの作品の中にも有名なセリフがあるじゃないですか?
(話の切り替え急すぎて怖いよね。わかる。)
一度口に出しちまった言葉はもう元には戻せねーんだぞ。言葉は刃物なんだ。使い方を間違えると厄介な凶器になる。言葉のすれ違いで、一生の友達を失うこともあるんだ。一度すれ違ったら、2度と会えなくなちまうかもしれねぜ。(ー名探偵コナン 沈黙の15分 よりー)
このセリフ大変共感できますし、こういうところがこの作品の魅力だと感じています。(面接?)
実際には、言い合いをする元太と光彦に対してコナンが放ったセリフなんですけど、要は悪口や喧嘩に対しての言葉なんですよ。でも、言葉が刃物になる条件って、別にこの状況だけに限らないなと感じることがあったので少し長くなりますが、よかったら聞いてください。
私は健康-ハナ-
結局また職につきました
前回記事執筆後、なんやかんやありまして無事に転職いたしました。結局、前職と同じような仕事をしておりますが、一応、大手航空測量会社のコンサル部門に入社できまして、無事キャリアアップと言えるような結果となりました。(よかった。)そんな話はどうでもよくて、今日は転職活動時の話をします。
転職活動時には沢山の企業の求人票やHPを確認しました。求人票には、応募条件や応募資格なんかが掲載されておりまして、前職でこういう経験を何年以上している方とか、この資格を持っている方を歓迎しますとかいろいろと書かれているわけです。
そんな応募条件の中に、たまーーにですけどこんな条件があることがあります。
「心身ともに健康な方」
この言葉をみて、これを読んでいる皆さんはどう感じますでしょうか?別によくあることだと感じる人もいれば、何も感じない人もいるでしょう。当たり前です。考え方は人の数や時の数だけありますから。
私の考える健康
ただ、私は少しモヤりました。というのも、私事ですが大腸に持病を抱えておりまして、潰瘍性大腸炎という指定難病に罹っております。詳細は省略しますが、簡単に言うと、症状が出るときと出ない時があって、現状では完治する治療法がないので、薬飲んで症状が出ていない状態を保ちましょうねーといった感じです。
私は薬を飲み始めてからは殆ど症状が出ていないので、基本的に私生活には全く支障がありません。(ご心配なく!!!!)
ちなみにWHO憲章では、「健康」を以下のとおり定義しています。
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)
つまり、私は難病を抱えてはいますが、毎日の服薬、定期的な通院をとおして症状を抑えているわけですから、個人的にはここでいう「肉体的な健康」を保てている訳です。
大丈夫よ、私は最k…健康
世間の考える健康
とは言えですよ、WHOの健康の定義なんて皆さん知らないですよね。正直私もこの文章書きながら知りましたよ。世間的な「健康」のイメージなんて
・異常がないこと
・からだに悪いところがなく、丈夫なこと
とかなんですよ。そうなった時に今一度私の状況を思い返してみましょう。
指定難病、服薬、通院……………不健康じゃねーか!!!?!!??
なんなら、指定難病の時点で不健康じゃねーか!!!?!!?!!
という訳です。
私自身がどれだけ満たされた状態であっても、私を知らない人がこの情報だけを見たら、心身ともに健康だなんて思ってもらえない可能性が高い訳です。これ、メンタル的な病気もそうだと思ってて、しっかり治して健康だと本人は思っていても、そういった病歴があるだけで、心身ともに健康だと思ってもらえなかったりするんですよ。(実際転職で不利だったりするそうですよ。)なので、私は後々面倒になるのが嫌なので「心身ともに健康」を必須条件にしている企業には応募しないようにしていました。
世間の全員が全員、上記のような考えでないとは思っていますが、必須条件としてこういう表現をされると、自分の意志で罹った病気でもないのに、経歴とか資格とか以前に、まるで私という人間が必要とされていないような気がして、少なからず悲しい気持ちにはなりました。
相手の気持ちなんて分かるはずがない
言葉よりも大切なもの
♪~切りとったメロディー繰り返した 忘れないように~言葉よりも大切なもの
\\\ここにはーーー????///
※無視(説明なし)(わかる人にはわかる)(平成の音楽は最強)
私には人と接するときに大事にしているモットー的なものがあります。
ー正しい日本語よりも愛想!!ー
です。ある意味日本語をうまく使いこなせていない人間の言い訳でもあるんですが。
学生時代、販売のアルバイトをしていました。そこでは、接客用語として様々なセリフを教わりました。バイトを始めたばかりの頃は、それらをセリフとして一生懸命お客さんに伝えていました。(初々しくてかわいいよね(圧))
ただ、仕事に慣れてきたころに、私の接客ってあまりにも生気がないなと思いまして。というのも、決められたセリフを言うことにいっぱいいっぱいになって、お客さんの表情とか自分の表情とかまったく気にしてなかったんですよ。それって接客以前にコミュニケーションとして成り立ってないじゃないですか?
で、もちろん正しい日本語で接客することは大事なんですけど、商品を販売する上で、一番大切なのってお客さんの気持ちだと思うんです。私がお客さんの立場だったら、正しい日本語で生気のない接客されるより、ちょっと日本語変でも愛想よく接客された方がうれしいですもん。なので、仕事に慣れてからは、少々日本語が変になろうが、笑顔で「お客さんに好かれるぞ!」という意識で接客していましたし、バイト以外の場でも人と話すときは愛想を意識するようにしていました。
まあ、正しい日本語で愛想良いのが一番良いに越したことはないんですけどね?
相手の気持ちを考えましょうってなに?
とはいえですよ、私はそう思っていたとしても、ある人にとっては「正しい日本語で話すこと」が最優先かもしれないんです、これが。何が言いたいかというと、極論「接客をする上で一番大切なこと」という共通した言葉に対して、考え方って人それぞれなんですよね。私が相手のためを思って、良かれと思ってやった接客を不快に思うお客さんがいる可能性だってあるわけです。悪気なくてもね。
要は、相手の気持ちなんて分かるわけがないんですよ。よく「相手の気持ちになって行動しましょう」とか言いますけど、あくまで、相手と同じ立場や環境に置かれたときに、【自分だったら】どう感じるかを想像することは出来るけど、【相手が】どう感じるかは本人しか分かるはずが無いと思うんです。
今回、この記事では「普通」とか「健康」とか「接客」とかを例に挙げてみましたけど、そのほかにも共通の言葉に対して考え方とか感じ方とかが完全に一致する人って多分いなくて、相手がどう感じるかを完全に理解することなんてできないと思うんですよね。
普段違和感なくコミュニケーションを取れている相手というのは、その考え方が自分と近しい人なんだろうなと思った次第です。
だからこそよ
ここまで考え方とか、定義とか、長々と話してきましたけど、結局共通言語は日本語な訳です。最終的には言葉で表すしかない訳です。「心身ともに健康」という言葉に少し傷つきましたけど、じゃあなんて言えば良いんだって話ですもんね。それ以上でも、それ以下でもない。多分企業にとっては、通院歴とかそこまで考えてなくて、単に「元気な人」「病んでない人」と言いたいだけだと思いますし…ぶっちゃけ。
ただ、この世界で生きていくには、考え方が合う合わないとか関係なく、沢山の人と接していかなければいけません。だから、相手の気持ちを理解しようとする努力とか、思いやりとかはもちろん大切です。でも、頭の片隅に「完全には理解しきれない」、「相手の考えていることなんて分かるはずない」ということを置いておいてもいいんじゃないですかね。いっその事そうだと割り切って人と接することも大切なのかなと思います。
まあ、あくまでサカイの考え方の話なので、押し付けるつもりは全くないし、これを読んでくださっているあなたはあなたの考え方があるはずなので、サカイはこういう考えなんだなーという気持ちで読んでいただければ幸いです。
追い飯です。
「終わりに」という意です。そういえば最初ラーメンの話で始まったので。(?)
実はこの記事、前の記事を執筆した直後に書き始めてたんですが、途中で飽きてずっと放置してました。なので、もう誰も使っていない猫ミームとかが出てきています。(猫ミームの終末早すぎ)
今回執筆した内容を考えていたのは、まだ無職の時でした。あの後無事に転職しまして、今は大阪で一人暮らしをしています。(前回から環境変わりすぎ。)
前回の記事を読んでくださった方への報告ですが、ちゃんと能登の復興に関連した仕事もしています。有言実行してるでしょ?褒めろください(?)(冗談ですヨ)
執筆放棄していたこの記事の事は、すっかり忘れていたんですが、転職とか転居とかいろいろと人生の分岐点を過ごして、いろんな出会いがあったので、改めてコミュニケーションとかいろいろと考える機会があり(いろいろって言い過ぎ)、そういえばそんな記事書こうとしてたなと久々にnoteを開いた次第です。
もしこれを読んでくださったあなたが、人付き合いとかコミュニケーションとかで悩まれている場合や、今後悩んだ際には、こんな考え方もあるんだなーくらいに思っていただければ幸いです。
(やっぱ文章書くの苦手だわ。今読み返したら全然一貫性ないし、何言いたいのかやっぱりわかんないわ。ほんとすいません。)