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#22 何のための語学?

こんにちは。sacaikumiです。

この「考える」マガジンでは、私が関心を持ったトピックを幅広いテーマで自由に書いています。今回は英語学習を通して語学を習得する目的について整理をした話です。

語学は多くの人にとっての課題のひとつだと思います。私も大人になってから英語と真剣に向き合うようになって、地道に勉強を進めているひとりです。

日常的な英会話は日本の中学英語までで網羅出来る様になっているという話をよく聞きます。日常会話という枠をどこに設定するかにもよるけれど、確かに的を得た指摘です。
今の私はというと、異国で暮らしていくには事足りているレベルです。私位の英語力はあっという間につくと思います。肝さえ座れば怖いものはありません。

問題はそこから先の語学力をなんのためにつけるか、そしてどういう方向性でつけていくかの検討です。言語習得にせよ何にせよ、私は私自身を納得させる裏付けがないと努力する意義を見出せない人です。元々IELTS(英語能力試験)のスコアを目的にしていましたが、よくよく考えてみるとそのスコアはビザや仕事の為で、言語そのものには紐付いていませんでした。
なのでここから先の言語習得の方向性は自分自身の母語との付き合い方を通して検討するのが良いのではという仮説を立ててみました。

例えば、私は日本語であっても自分が感じたことを会話で瞬発的に言葉にするのがあまり得意ではありません。集まる人数が増えるほど、私は静かになっていく傾向にあります。
だけど、意見や想いはいつも有り余るほどにあります。自分の感情とじっくり向き合って、その後それに合う言葉を選びとって、点検して、一語一句まるで習字でも書くかのように熱をこめて文章を組み立てていく事が好きで、ほとんど取り憑かれています。昔からの友人に、恐ろしく長いLINEを送りつけてしまったり。

だから私の場合、沢山の人に会ったり社交の場に通い詰めたりして基本的な口語スラングを頭に叩き込むより、想いを英語でも文章として書き起こす力をつけていった方が性格に合っているのかもしれません。

これは仮説の段階だから、しばらく自分の意見をエッセイに起こして英語の先生に添削をしてもらうことを試してみようと思っています。

頭の中に新しいルールを叩き込むまでは、言葉が思考に追いついてくれなくてどうしてももどかしい気持ちになってしまうけど、英語だろうと日本語だろうと言葉であることに変わりはないから、何語かという枠を一度外して、私と言葉というシンプルな関係性を通した向き合い方を思い出してみました。

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