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空白の時間を恐れるのは現代病なのか

7月1日から毎日一投稿と目標を立てたにもかかわらず、さっそく2日も穴を開けてしまいました。予期せぬトラブルに見舞われて、そのことで文章を書く気持ちの余裕が全くなかったのです。

この文章を書くことと、書いた文章を将来読み返すことは自分自身のためになるので引き続き、立て直して書いていこうと思います。

さて、自分の人生に予期せぬ出来事が起こると必然的に生活を一時停止することになります。
具体的に起きた事象についてはまだ表にしたくないのでここでは控えておきますが、人生に「止まれ」のボタンをひさしぶりに押さなきゃならないことがこんなにもどかしいのは、私が今人生に焦りすぎているからなのでしょうか。あるいは現代病みたいなものなのでしょうか。

もともと私は何かひとつ中くらいの頑張れば届きそうな目標を置いてそこに向かってこつこつと走るのが好きでした。いうなら人生を42.195kmのマラソンで区切って、走っては叶えて一休みし、また走っては叶えて一休みし…という感じで生活を組み立ててることが多かったように思います。ただしマラソンと違ってそれぞれのゴールまでの距離も、其々のゴール目掛けて私が走れるスピードもバラバラなので、とっても歪なマラソンランナーなのが実際のところ。下手すると、同じ場所を行ったり来たりしている時さえあります。

でも、そんな風なかたちで人生の舵を切る時間が10年以上続き、もがき続ければ大抵のゴールには辿り着けるような感覚になってきていたので、「早く着きたい!そのためになんだってしてやる!」みたいな焦りが最近の私自身にはあったように思います。だからこそ足元を掬われてしまったのかもしれないなと。

なんといっても学生生活がとっても慌ただしいスケジュールで、日々がジェットコースターのように過ぎていく景色に若干見慣れてしまっていたので「早くまたフルスピードに戻りたい…」みたいな気持ちがウズウズと心の中を充満している感覚でした。

そんな最中での青天の霹靂のようなトラブル。「ええ、こんな大事な時にストップするなんて嫌!」と心の中で叫ぶ自分の声が内側から聞こえるし、外側では問題が起こっているので止まらざるを得ないしで、なんとももどかしい気持ちになりました。
Covid-19が世界に蔓延していた時にも似たようなPauseがありましたが、あの時はみんないっしょに一時停止していたので世界の流れに沿って止まる感覚がありました。でも今回は、加速し直している世界の中で自分だけがストップしたので、その事実がまずは苦しかったです。

そんな相反する状況と気持ちの矛盾の中で、そもそも人生ってそんなに焦るためにあるのかしらとも考えました。なにせスイスに行って好奇心や前にぐんぐん進みたいエネルギーばっかり蓄えてしまったので、急ブレーキは想定外で、そのことは確かに私を焦りの気持ちに向かわせました。でも、神様か誰かが私にストップを掛けたことにもし何らかの意味があるとするならば、今しかやらない、やれないことともっと向き合ってみても良いのかもしれません。
一度止まってでしか考えられないことに手を伸ばさないとこの先へは進めないのかもしれないですね。
あるいは夢は手を伸ばして叶えるんじゃなくて、どっしり待ってればコンコンと向こうからたずねてくれるものなのかもしれません。

それから、今回のことでまた改めて色んな方にお世話になってしまい、おひとりおひとりの人間的な包容力、優しさ、暖かさに、感謝しても仕切れないほどのギフトを頂きました。そうやって優しく手を差し伸べられる余裕が無い自分の姿もこれまで沢山あった中で、こんなに助けて頂く経験をさせて貰ったことは、もっと人間として成長したいと思わせて頂ける出来事でした。私はまだまだ人間として未熟なところばかりで、自分のことだけで手一杯になってしまうことも多いけど、大切なひとが困った時にすぐ動ける人になりたいと思わされるきっかけになりました。

人生、良い時も悪い時もあるけど、でも幸いまだ続いていく。そのことと周りの人に感謝して、大切に今と向き合っていきたいと思いました。

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