祖母とダブリン
こんにちは。sacaikumiです。
この「考える」マガジンでは、私が関心を持ったトピックを幅広いテーマで自由に書いています。
私がアイルランドに来てみようと思った理由が何個かあるのですが、そのうちのひとつは、祖母の65年前の卒論が「ダブリナーズ」だったからでした。
ジェームス・ジョイスの短編小説「ダブリン市民」のことです。(ダブリナーズをダブリン市民と訳すなんて、江戸っ子を東京都民と訳すくらいナンセンスだと思いませんか?と、私の素敵な友人の1人は憤慨していました。笑)
この本は近々読んでみるとして、私の祖母はダブリナーズについて卒論を書いて、ヨーロッパ旅行を過去何十回としているにもかかわらず、アイルランドには行ったことがないんです。
不思議だったので、どうして卒論をダブリナーズにしたのか聞いてみました。
祖母曰く、私は英文学部に居て、卒論を書く上で何人か先生が居たんだけど、当時慕ってた岡本先生の好みだったから。とのこと。シェイクスピアを題材とするより、ずっと今っぽくて、いけてたんだろうな。
それから、当時カリフォルニアにペンフレンドが居て、その人が(一度もあったことはないんだけど)、おばあちゃんに随分と熱を上げてくれて、毎週のようにジェームス・ジョイスが特集された雑誌と手紙を送ってくれたのよ。と。
「彼とお互いの写真を送り合ったりして、卒業したら絶対にアメリカに来て欲しいってアプローチを受けていたの。おばあちゃんその当時は随分アメリカに憧れてたからねえ…」(いろんなことを思い出していたんだろうな)
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それからおばあちゃんは勿論アメリカへは行かず、なんなら生涯一度もアメリカへは行かず(国外旅行は100回くらいしているのに)、日本で英語教師になった後、お家柄決められた結婚相手(つまり私のおじいちゃん)と結ばれることになった。
当時の結婚は、その時代裕福だった家同士が娘さんを交換する形で行われていたから、私の祖母と、祖父の妹が交換される形でふたつのカップルが出来上がった。それが当時の結婚。
祖母の時代、女性で大学を出ているというのはまだ珍しいことだった。だから(?)、当時はおばあちゃん随分モテたのよ、と言うけど、最終的に心惹かれる人(いなかったわけがないと思う)との結婚より家庭のしきたりに沿うことを選んだことは、きっと若き正子さんの中でも色んな葛藤があっただろうな。
私の祖母は87歳という年齢から考えると凄く国際的な人だと思うけど、その年代の人が抱える社会の常識と折り合いをつけて人生を築き上げてきた。
そして私の父もまた、外国に住みたいという本音と、社会の常識との間で折り合いをつけて、日本で家庭を築き、私と弟を育てた。
だから、私の父が、おばあちゃんが、もし私の年に生まれていたら、やっぱり私とおんなじようにコンピュータでデザインを作って外国に住んでたんじゃないかなぁと時々思ってしまう。
世の中にはいろんな家族の形があって、それは必ずしも美談だけではないっていうことは承知しているけれど、それでもやっぱり、私は両親や祖父、祖母からいろんな影響を受けて育って、今外国にいるんだろうなと思う。
でも、大学生だった祖母は、まさか65年後に、自分の孫がダブリンに滞在することになるとは思わなかっただろうな。
それから祖母が見てきたヨーロッパの景色は、ちぎり絵の作品として再構築されている。私も今の体験を私なりに形に残したいなと思っています :)
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