見出し画像

小説に関する二つの誤解

小説はフィクションでエッセイは事実。これが一つ目の誤解です。うーん。どうだろな。誤解と言うより建前かもしれません。

私は平成元年より塾業界におります。

小学生から浪人生まで、小説はフィクションでエッセイは事実、そう教えて参りました。入試問題はそのスタンスで作問されます。

本当かな。怪しい🗿

いつも疑っておりました。小説って、自分のこと書いてるんじゃないの。エッセイって、事実を正確に描けるものだろうか。

 ⭐ ⭐ ⭐

そこで、この【物語講座】を構想する折り、もっと自由に捉えたいと考えました。

小説でありエッセイであり。事実でフィクション。堅苦しい枠組みを超えた新しい物語。

それがナラティブ🙌

1年半に渡り、そのスタンスで書いて参りました。別サイト【在り方革命】三部作。いよいよ12月6日で完結致します。

 ⭐ ⭐ ⭐

もう一つの誤解、かつて私がプロ作家を目指していたことに起因致します。ベテラン作家さんの添削指導を受けていたのです。

初めのうち調子よく進んでおりました。それまで、どうして新人賞の選考を通らないか、理由がやっとわかってきたのです。

デビューできるかも💖

先生からご好評頂き、希望が見えて参りました。でもある時、意見は食い違い、どうにも引けなくなってしまったのです。

若かったなあ( ̄。 ̄;)

 ⭐ ⭐ ⭐

あはは~私もう還暦過ぎてます。今から見て若いのでアラフィフだった。でもやっぱり、若かった( ̄▽ ̄;)

読者を喜ばせるため🌸

これが受け入れられません。どうしても。いえいえ。プロなら当然のこと。私だって初めはわかっていたのです。わかったつもり。

でも添削指導が進み、抱え込んだ疑問は膨らむばかりです。とうとう、ある課題について衝突。長文メールのやり取りでした😱

 ⭐ ⭐ ⭐

振り返れば、添削の先生には感謝しかございません。私の小説と将来性を認め、プロの道へと引き留めて下さったわけですから。

最後、お互いの立ち位置を議論し尽くして、円満ではあるものの袂を分かちました。

後悔ありません🌿

あそこで自分に忠実だったから今がある。そう思えるのです。プロ作家にはなれませんでした。でも今、お読み下さる方がある。

 ⭐ ⭐ ⭐

自分のことを存分に書けばいい。そう思うのです。自己憐憫で構わない。抱えきれない想いを吐き出して。書いて読んで泣けました。

バレンタインで妖精を見て、亡妻の声が聞こえる。ここは天国か。そうです。こんなこと書いたら、もう尋常ではございません。

もしかして妄想❔

でも、ファンタジーとお断りすれば、本当のことが書けてしまう。いや。なんというか。あれって本当にあったことなのか。

 ⭐ ⭐ ⭐

よくありますね。願えば叶う。成りたい状況をイメージ、成り切った気分を味わえ。

願望実現メソッド🎊

文やイラストや写真で、欲しい物リストを作る。自分に宣言するアファメーション。潜在意識を使えば、何でも望みのままに叶う。

あれ、うまくいきませんでした(;¬_¬)

 ⭐ ⭐ ⭐

いや。それどころか満足しちゃう。

こうなったらいいと想像し、空想し、浸っていると、本当にそうなった気分。やりたいことができて嬉しくなる。ああ、シアワセ🙌

できたからいいや🌈

すっかり達成して終わってしまう。もはや甘美な過去の思い出となるのです。あ。それ、もういいよ。オレの中で済んでる。

実現する前に、シミュレーションで終わる。

 ⭐ ⭐ ⭐

いいかもしれない。
そう思います。

だって、叶ったら怖い願望って、ありませんか。これはマズいだろう。ヤバいよね。でもつい、なんというか、妄想しちゃうこと。

紙上で叶えて満足💏

成り切って浸り切って叶えるのです。意識の世界は自由自在。何でもできる。どこへも行ける。どんな自分も思いのままです。

 ⭐ ⭐ ⭐

従来通り、小説とエッセイを分けてお書きになる。大いに結構なことだと思います。

私は、小説とエッセイの枠を取り払い、自由自在に羽ばたくナラティブで楽しめました。本当に心地よい1年半だったのです🌿

皆さまに心から感謝🙇

本当にありがとうございます


ではまた♡



ありがとうございます│頂いたお金は巡りめぐってあなたの元へ還っていくでしょう│何倍にもなって☆