18/10/2020:『Lazy Bird』
「もし鳥になれるとしたら、お前ならどれを選ぶ?」
彼は酔っ払うと、いつもこの手の”もしもシリーズ”を吹っかけてきた。この前は”もしスーパーカーになれたら”、昨日は”もしギターになれたら”だった。”もし水になれたらどこを流れたい?”というのもあった。
時折、面倒臭く感じることもあったけれど、それでも彼のいいところは、決してその”もしも”の内容では、決してイヤらしい意味を取り扱うことがなかったことと、誰も傷つけないテーマだったことだった。
きっと、根が素直でいいヤツなんだろうな、といつも思った。
炬燵テーブルの上には、乾物、サラミ、チーズ、刺身こんにゃく。
「お前は何でこんな酸っぱいもので酒飲めるんだ?」
と、よく彼は聞いてきた。刺身こんにゃくの酢味噌のことだ。
「何でだろうね。美味しいよ。」
と、勧めてみたけど、彼は食べようとしなかった。
”もし鳥になるなら”、僕は何になるだろうか。
速く飛ぶ鳥、遠くへ旅する鳥、夜を生きる鳥、街に暮らす鳥。
泳ぐ鳥、鳴く鳥、踊る鳥。
飛ばない鳥。
「”飛べない豚はただの豚さ”、って言うけど、飛ばない鳥は何なんだろう。」
と、僕は聞いた。
「さぁ。幸せなら何でもいいんじゃないか。」
と、彼は言った。チータラのチーズを側面から剥がして食べながらチューハイを一口飲んだ。
「それなら、何で”もしも”だなんて聞くんだよ。」
「ん、だって、幸せって何なのかわからないからさ。多角的に見てみたくて。」
だったら、別に鳥じゃなくてもいいじゃん、と思ったけれど言わずにおいた。
・・・
その時、僕は渡り鳥になりたいと言ったけど、いつだったか、深夜バスや長距離トラックの運転手のドキュメンタリー番組を見て、
「特別が日常になったら、あるいは義務になったら、それはそれで何とも言えないんだな。」
と、思ってしまった。
だから、今はどんな鳥になりたいかは分からない。
鳥であろうと人間であろうと、結局はなんか、全体を俯瞰したら、同じような気がして。
僕は日々をそれなりに生きていくことにした。
・・・
彼のもう一つの特徴として、人には”もしもシリーズ”を聞きまくるくせに、自分ではあまり答えたがらなかった。
「だって、俺は分析する側だからさ。eticとemic。今は外的な方にいるんだ。」
と言うのが理由だった。
でも、幸せを客観的に評価することは可能なのだろうか。彼が知りたいのは、絶対的な定義なのか、それとも相対的な価値観なのか、僕には分からなかった。
まぁでも、ただ乾物をつまんではだらだらと缶チューハイを飲むだけの夜に、そんな細かなことまで考える必要もないだろう。
日々を生きるって、そういうことなんじゃないか。
消化する、通過する、累積する、停滞する、忘却する。
漸次的、急進的、虚無的、意識的。
そんなもの、鳥になったって分かりはしないだろう。
「だけど、やっぱり、」
彼はまたチーズを剥がしながら、
「空を飛べたら気持ちいいのかなぁ。」
と、言った。
「うん、だろうね。」
と、僕はこたえた。
その後は、ただ気怠くお酒を飲み続けた。
・・・
今日も等しく夜が来ました。
John Coltraneで『Lazy Bird』。
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