26/09/2020:『Miss You』

スーパーに向かう道すがら、救急車はサイレンを鳴らさずに僕を追い越すとそのまま交差点を突っ切り消えていった。暗くなる前の曇り空が分厚くて、昼間の明るさを覚えている分、今日1日がこうして過ぎていくことにほんのり切なさを感じる。

ワイヤレスイヤフォンに替えてから歩くたびにそのリズムに合わせて、ゴツゴツ、と胸に当たるコードの音がなくなった。だから、純粋に音楽だけが聴こえてきて、僕の世界は変わった。

「赤になっちゃった。」

交差点で信号に捕まる。左から車が流れ込んでくる。これからみんな家に帰るのだろうか。

世界は変わった、と言っても買い替えたのは半年も前だから僕はすっかりその新世界に順応していて、そしてもうそれが普通の感覚レベルにまで溶け込んでいる。

どんなに新しいものができても、結局はそれが日常になり当たり前のものになっていく。そして、いつか忘れ去られていく。

懐かしい、と思うことはあっても、それはもっともっと先の話。ずっと先の、すでにそれなしで平然と生きているであろう、未来のこと。

「うわ、懐かしい。」

ランダム再生から流れてきた曲はそれこそ、それなしでも平然と生きてきた僕にとって懐かしいものだった。反対側の信号が点滅し始めて、赤になった。

そして、こちら側が青になり横断歩道を歩き始めると、

「よく聴いてたなぁ。」

と、心ん中でしみじみ呟いた。

彼女がいなくなってから、気がつくと平然と生きられるようになっていた。

結局のところ、人間はこうして何にも勝てずに、何にでも流されながら生きていくしかないんだ。

と、前向きに、でも自嘲的に思った。

                 ・・・

「思い出は美化される」

という風な言葉をよく耳にするけれど、それは本当なのだろうか。過去は輝き、隣の芝青く、遠くのものは美しい。

自分にない、もう届かない。でも、確実にあったもの、見えるもの。そんな物事を僕らはどことなく羨望の眼差しで見ているのかもしれない。

だけど、そんなことばかりじゃない。傷ついたこと、悲しんだこと。そんなことに対して、

「もう2度と思い出したくもない。」

と、言う人もいる。その時の記憶はしつこく脳みそにこびりついていて、何かあるたびに思い出されるから、その度に苦しむことになる。

美化なんかされてない。

だから、つまり、美化される思い出なんてある程度限られていて、美化されるということはそのレベルでしかなかった、ということなんだ。

本当の本当、奥の奥に深く染み込むような、流れる血に混ざって二度と体の中から出ていかないような思い出は、美化されることはない。

体の一部となり、そして、もう意識することのないほどに、自分自身と一体化する。

だから、美化されることなんかなく、生々しく不可逆的に血となり肉となるのだ。

ただ、それだけ。

                 ・・・

スーパーの駐車場は6割くらいに埋まっている。僕はそれを左手に見ながら、入口を通り過ぎて奥まったところまで行くと、自動販売機の横にあるベンチに座ってタバコに火をつけた。

厚い曇り空の向こうから夕陽の明かりが透けるようだった。日本の夕方の街並みは、電信柱とその電線に縁取られる形で視界に広がる。

曲がった腰でカートを押すおばあさんを自動ドアがゆっくりと迎え入れる。

すれ違うようにしてお母さんが子供の手を引いて出てきた。

誰しもが生まれ、いつか死んでくのなら、どうしてこんなにも一人一人が抱える思い出や記憶は膨大でそして曖昧なのだろうか。

その全てを抱えきれない分、だから僕らは平然と慣れていき、忘れ、思い出し、美化を経て、そしてまた日常を繰り返していくしかないのか。

タバコを灰皿に押しやって立ち上がる。

自動ドアに反射して、僕の全身が映っている。パッとしない格好の、シャキッとしない風貌に、安心と諦めを覚える。

ドアが開くと、先ほどのおばあさんがいた。

高く積み上げられたカゴを取ろうと手を一生懸命伸ばしている。

「はい、どうぞ。」

と、言って手渡した。

その後で僕は自分の分のカゴを取ると、そのまま中へと進んでいった。

イヤフォンから流れる曲は、もう聴いているようで、聴いていなかった。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

Aaliyahで『Miss You』。


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