27/08/2020:『In The Blood』

ケーブルカーは丘上の駅に到着すると、衝撃吸収用のタイヤにぶつかって大きく揺れた。部品の交換を何百回と繰り返しながら、車体だけはそのままに200年近く現役でいるらしい。塗装が剥がれて錆び付いた外見とは裏腹に、内装ではしっかりと手入れされた板張りの床がラメ色に光っている。

「雰囲気あるじゃない。」

と、僕に掴まりながら彼女が言った。

街にいくつかある小学校が持ち回りで担当する清掃活動のおかげだろう。僕も3年生と6年生の時に参加した。全校生徒をいくつものグループに分けて東から西まで14本ある路線に振り分ける。機器類にはもちろん触れないから、僕らは駅舎と車両の窓や床をきれいにするだけだった。その間、業者の人はモーターや車輪を点検したり錆びを落としたりしていた。籠のようなものに乗ってケーブルにぶら下がりながら、丘を上り下りして行く作業員もいた。実際のケーブルは僕の手では掴みきれないほど太くて、いくつもの細い鉄線が捻り絡まり、それが一本のケーブルを形成していた。

頂上の駅舎を出て振り返ると、旧市街の茶色い屋根の先に港が見えた。右の方には政府庁舎やオフィスビルがあって、反対には林が広がっている。何十年も変わらない景色だ。

きれいに晴れることは滅多になくて、今日も薄い幕のような雲が遠く海の向こうまで空を覆っている。

「玉ねぎの皮みたいだね。」

と、昔、父に言ったことがある。買い物か何かの帰りだったと思う。

「そうだな。でも、最後まで皮を剥いていったらどうなるか、わかるか。」

確かそうやって彼は聞き返してきた。僕がどう答えたかはもう覚えていない。

でも、彼女は

「きれいだわ。一体感がある。」

と、言った。僕はただ景色を眺めるだけで何も言わなかった。

                 ・・・

要するに、優しさとは忍耐力の問題だと思う。でも、履き違えていけないのは、過剰に締め付けることとは違うということ。例えば、どうしても自分とソリが合わない人がいたとする。何をしても何を言っても、向こうには伝わらないし、伝わったとしても悪い方にしか受け止められずに軋轢は更にひどいものになる。反対に、向こうのすること為すことが自分を苦しめたり悲しませたりする。そこで、「あの人が嫌い」と”思うことを我慢すること”は、よくない。過剰な締め付けだ。だってそれは「そう思ってしまう自分がいけないんだ」と自己否定に繋がってしまうから。だから、頭の中で何をいくら思ったって、どんだけケンカしたっていい。ただ、よくないのは、「あの人が嫌い」と誰かに向かって言ってしまうことだ。言ってしまうことで、それはただのネガティブな言霊として世界を覆う闇の一部になってしまう。

「いいか、「思ったことを素直に伝えること」と、「思ったことを好き勝手に言う」ということは、全く違うことなんだ。」

と、父はよく言っていた。

たぶん、母が亡くなって何年か経った夏のことだった。ダイニングの窓の外には相変わらず玉ねぎの薄皮みたいな雲が広がっていて、僕らは一緒に紅茶を飲んでいた。父はお酒を飲まない人だった。だからいつも紅茶が引き出しにはたっぷりとしまってあった。

特に大切なことをゆっくり話し合う時には、お互いにカップに注ぎながら飲んだものだった。

僕は、高校を卒業してから、どうしても海外の大学へ進学したいということを伝えた。この街が嫌いだとか、父と2人だけの生活が窮屈だとか、そういうことじゃない。ただ、できるだけ遠くで、なるべく厳しい環境でもっと自分のことを見つめ直したいと思ったからだ。それをするには、この街は小さすぎたし、父は優しすぎた。

「私もその方がいいと思う。きっと母さんが生きていたとしたら、同じように思っていたとも思う。」

そう言った後で、上のような話をしてくれた。

父は市役所の年金相談窓口で働いていた。街の老人たちはみんな父のことを知っていた。黒縁メガネをかけて、いつもボタンダウンシャツを着ていた。ネクタイがあまり好きじゃなかったからだ。

「人がどんどんと歳を取っていく。私は医者じゃないけど、そういうのを直接見届けていくのはなんとも言えない気分になるね。」

と、たまに話していた。

お金のことは気にするな、とも言ってくれた。子女積立貯金制度というのがあって、僕が生まれたときからその辺の準備もしていたらしい。

だから、僕はさっさと試験をパスすると、1人で大学入学の手続きを済ませて、そして荷物をまとめてなんの心配もすることなく出発ゲートの前にいた。父が車で空港まで見送りにきてくれて、最後はぎこちなく握手をした。

「お父さんが話したこと、覚えてるな?」

と、聞いた。

「うん、覚えているさ。」

と、答えた。

「だけど、我慢のしすぎもよくない。適度に傷ついて、傷つけることも時には必要だよ。」

と、最後の忠告をしてくれた。

そのまま僕はゲートをくぐった。

振り返ると、父はもう一度小さく手を振って、そのまま帰っていった。

                 ・・・

父が亡くなったことは昔の同級生からの連絡で知った。彼も市役所で働いていて、同じ部署だったらしい。きっと、これから街が年老いていく姿を届けていくんだろう。

「実は、長い間悪かったらしいぞ。聞いてなかったのか?」

と、彼は言っていたが、そんなこと知るわけがない。父からは何も聞いていなかったし、何よりも10年間で帰ってきたのは2、3回だけだ。

街の造りはは全く変わっていない。道の数も信号の数も同じだ。ただ、いくつかの店がなくなっていたり、あるいは何か違うものに取って代わっていたりした。それくらいのこと仕方ない。少し寂しくなるだけ。

「どう?久しぶりなんでしょ。」

と、彼女が訊いてきた。女性にしては低めの声に、彼女自身はコンプレックスを抱いているようだが、むしろ僕はその声が好きだった。また、こんな時にはとても頼もしくも響いた。

「うん。久しぶりだね。」

と、僕は答えた。なんて言っていいか分からなかった。

父が亡くなってしまったことで、僕とこの街を繋ぎ止めるものはもう何も残っていない。実家だって住む人がいないから、きっと誰かに貸してしまうか、最悪売ってしまうことになるだろう。それじゃなくても、10年間で僅かにしか帰ってこなかったんだから、別にあってもなくても同じようなものだ。

でも、それは同時に、僕がどれほど成長してどのくらい大人になったのかを知る指標が失われてしまったということでもある。残されたのはただ、もう形のない記憶、脳内で再生させる父の声と顔だけで、あとは空虚な時の後ろへと、失くなっていってしまったのだ。

実家のあるブロックまであと曲がり角1つというところで、強い風が吹いた。南から潮の香りを運ぶ、日が沈む前の最後の風だ。

僕は交差点で立ち止まると、南の方角を見た。丘の上から見下ろす景色は、ずっと真っ直ぐに海まで伸びていて、同じく長いケーブルが港まで続いている。西に傾きつつ陽の光が軽やかにその明かりを届けている。

だけど、決して空は晴れ切ることはない。薄く薄く広がる雲が僕の視界の及ぶ限り、縁が見えなくなるまで空を覆っていた。

「まるで玉ねぎの皮みたいな雲ね。」

と、彼女が言った。

「最後まで剥いていったらどうなるか、知ってる?」

と、訊いてみた。

薄い雲に向かって、ケーブルカーが音もなく降りていくのが見えた。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

John Mayerで『In The Blood』。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?