12/07/2020:『Seguir』
今 僕 1
川を遡った先にバスターミナルがあった。掘っ建て小屋のような建物にマイクロバスが2台停まっている。牛舎で餌を食べている牛の後ろ姿みたいだと思った。
さっき筏で見た夕日はもう沈んでしまっていて、藍色の空が村を包んでいた。時刻表を見る。もう今日はバスが出ない。明日の朝、6時半が一番早い便だ。
「乗車チケットなんかないよ。もう顔は覚えたから、大丈夫。そんな帽子を今時被っているやつなんてそういないしな。明日時間になったらここで会おう。」
荷下ろしをしていたおじさんが笑顔で言う。日が沈んで少し肌寒いのにジーンズにヨレヨレのTシャツを姿だ。胸には地元のビールのロゴがプリントされている。
ガイドブックにも載っていないような小さな村だったので、ついでに泊まれるような宿があるか訊いてみた。公園を挟んだ斜向かい、一階が売店になっている建物があって、そこはたまに旅人や行商人が泊まっていくらしい。礼を言うと僕は公園へと入っていった。
藍色の空がさらに暗くなって、公園の街灯が黄色く灯り出す。羽虫が何匹も群がっっていて、電球に当たっては離れ、また当たっては離れていく。
・・・
昔 老夫婦 1
この村へ来たのは革命が終わって半年ほど経ってからだった。その当時、公証人役場で事務をしていたのだが、ある日緑の帽子を被った男たちが入ってきて、そのままトラックの荷台へ連れ込まれた。
水を与えられながら2日ほど走ってたどり着いたのがこの村だった。
「あなたはこの村から出ることは許されません。代わりにこの店舗を支給します。」
緑の帽子を被った軍人はこう言い残すと、仲間とともに同じトラックに乗って帰っていった。残された私は、渡されたA4の封筒から鍵を取り出し、今日から私の一生の家となるこのお店のドアを開けた。一階には日用品が陳列されていて、二階の方にはいくつかの寝室があった。
その中の一つに入って、泥のように眠った。
夢の中で、緑の帽子を被った軍人が出てきた。帽子には錆び付いた星型のバッチが付いていた。
・・・
今 僕 2
「パスポート番号と、ここにサインを。鍵はこちらです。お湯は左側の蛇口から出ます。」
老人は一瞥くれると、3と書かれたキーホルダー好きの鍵を手渡してきた。受付の右側にある階段をギシギシ登って二階へといく。突き当り正面に3と書いたドアが半開きで見えた。
ユニットバスは狭いが清潔で、セミダブルのベッドには毛布がしっかりとかかっていた。荷物をおいて、軽く顔を洗うと空腹お覚えたので、そのまま下へ降りていった。
「この辺に食事のできるところはありますか。」
受付の老人に聞いた。
「そうだね。お昼間なら食堂が空いているんだけど、この時間はもう閉まっているはずだ。よかったら、うちで食べていきなさい。」
彼は受付の電気を消し、店の表のシャッターを下ろすと、階段とは反対側へと歩き出した。少し曲がった背中についていくと、日用品が陳列されている店内へと入っていって、そのさらに奥にあるドアを開けた。
「さぁ、入りな。」
テーブルにはライ麦パンと牛テールのスープ、血入りソーセージが盛り付けられていた。老人と同じくらいの背格好をした老婆がせっせと作っていたようだ。
僕らは食事を始めた。
そして、彼らは語り始めた。
・・・
昔 老夫婦 2
「私は床屋だったのよ。そして、いまでも床屋。」
次の日昼前に起きて、店舗ー昨日から私の家ーの迎えにある公園のベンチでタバコを吸っていた。昨日この村に連れてこられたばかりで、右も左も分からない私は、取り柄ず棚に置いてあったタバコをカートンから一箱取り出して、おそらく村の中心部であろう公園を一周した。
そして、床屋で掃き掃除をしていた女性とこうして話していた。
彼女の父が反政府主義者として床屋の二階を集会場に使っていて、ある日そこへ軍人たちが入り込んできた。父親とその仲間たちは違うどこかへと連れて行かれ、彼女は母の遺影と共にここへとやってきた。
「あなたはきっと知らず知らずのうちに、書類作成に関わっていたのね。でも、その自覚がなかった。きっとあなたの上司が便宜を図ってくれていたのよ。」
私は高校にも行かず、街の新聞屋で配達の仕事していた。公証人役場へは、父の友人だったその上司に拾ってもらったのだった。
「で、あなたのお店には髭剃りも置いていないわけ?ひどい顔よ。」
この日、彼女に髭をあたってもらい、その後毎夕方にコーヒーを飲む関係になり、いくつかの季節を超えると、村の教会で式を挙げた。
穏やかな日々の中、彼女とはそれ以上昔の話をすることはなかった。
時々私は、緑帽子の軍人が出てくる夢を見た。トラックの荷台に揺られながら見た夜空には、帽子と同じように錆び付いた星が浮かんでいた。
別に怖くも苦しくもなかった。
ただ、段々と以前の街のことを思い出せなくなっていっているような気がした。
・・・
今 僕 3
「君がさっき被っていた帽子。それを被っていた人たちが昔はたくさんいたように思うのだが、今彼らはどこで何をしているんだい。」
老人とその妻は僕にワインを勧めてくれた。血入りソーセージのコクに負けない、しっかりとした味だった。
「彼らはもうこの世界には存在しません。僕の父が僕ぐらい年齢の頃、軍は解体されて議会での一切の権限を失いました。もちろん民主的な手続きを経て。」
僕は高校の歴史資料集に載っていた写真を思い出していた。戦車の上から得意げに腕を上げていたり、街のカフェテラスでサングラス姿でコーヒーを飲んでいる兵士たち。平和にも見える風景だった。そこには、今僕と一緒にワインを飲んでいるこの老夫婦のような人たちのことは全く書かれていなかった。
「この帽子は亡くなった祖父の遺品です。彼の部屋にかかっていました。父が若かった頃、これと同じ帽子を被っていたロックスターがいたそうです。」
老夫婦は顔をあわせると、少し笑顔を交わした。
「そうか、それはいいことなのかもしれない。」
僕はゆっくりとワインを飲んだ。外からは車の通る音が近づき、そして離れていった。
僕は祖父のことを思い出していた。柔和で温厚な祖父のイメージと、この老夫婦のイメージが重なる。しかし、彼らが話す夜空、そこに浮かぶ錆び付いた星の輝きと祖父の笑顔をどうしても結びつけることができなかった。
食後、熱いシャワーを浴びて、ベッドに入る。少し肌寒い。
毛布をお腹にしっかりかけて、明日の目覚ましをセットした。
明かり取りの程度の窓からは、わずかに月の光が入ってくる。夜空を眺めようとも思ったが、僕は疲れていて、結局そのまま眠ってしまった。
・・・
昔 老夫婦 3
夢の話を妻にしてみた。
堅いベンチに座って、当てもなく運ばれて行く道。ディーゼルエンジンの焼ける匂いと、暗闇で鳴く虫の声。運転席からはカーラジオが聞こえていた。
緑帽子についた星と夜空。
「私もその夢を見ることがあるわ。」
私は少し驚いた。
「でも、不思議と怖くないの。ただそうやって移動しているだけ。夢の中では夜が明けることもないし、星が消えることもない。」
全く同じ夢だった。
「でもそのシーンの前後は全く出てこない。私は気がつくといつも荷台にいて、どこかへと運ばれている。錆び付いた星空の下。」
私たちは夢の中でも、この小さな村へと運ばれているのだろうか。
だとしたらまだいい。目的地がはっきりしているから。ただ、気になるのは、「どこから運ばれてきたのか」をもう思い出せなくなっていることだ。
我々はどこから来たのだろうか。
錆びた星は行く先も来た道も照らすことなく、ただそこに浮かんでいた。
・・・
今 僕 4
翌朝、荷物をまとめて下へ降りると、すでに受付には老人が座っていた。
「6時半のバスだろう。もう朝食を取る時間はないだろうから、これを持って行きなさい。」
アルミホイルに包まれたサンドイッチだった。昨日のライ麦パンに、ベーコンと卵が挟まっていた。
「ありがとうございます。ちょうどお腹も空いていたんです。」
僕は鍵を返して、手を差し伸べた。老人は優しく握り返してくれた。
「それでは、よい旅を。」
最後に妻も見送りに来てくれた。
「そういえば、僕はこの後バスに乗って、」
行き先を言いかけたところで、彼らは僕の言葉を遮った。
「それは言わなくていい。私たちは、知らないほうがいい気がするんでね。」
「そうですか。わかりました。」
僕はそれ以上何も言わずに、ただ微笑み返して宿を出た。
掘っ建て小屋では昨日のおじさんが荷物を積んでいた。
「おはよう。さぁ、行こうか。」
この村を出発するのは僕だけだった。バスに乗り込み、荷物を他の座席へ放り投げると、僕は窓を開けてそこから首ごと空を見上げた。
白みがかった空から押し消されるようにして、錆び付いた星が浮かんでいた。
・・・
今日も等しく夜が来ました。
何もない道を、ずっと歩き続ける。
Gustavo Santaolallaで『Seguir』
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