08/07/2020:『A Remark You Made』

大学 1

彼が考えている小説のアイディアは単純で、ひょんな事から出会った男女二人が何らかのきっかけで付き合うことになり、そして大人であるが故に日常の些細なことに振り回されていくというものだった。

「最後に別れるか別れないか、ここがポイントなんだ。」

と、僕に話しては色々とメモを記してあるミニノートを見ていた。

彼は日本海に飛び出た半島の端っこにある岬の村を飛び出し、この大学へと進学して来た。僕はずっとこの街で育って来たから、外から見てどのように映っているのかは全く想像つかないし、むしろ魅力を見つけられない気がしていたのだが、彼に言わせてみると、

「少なくとも、俺の村よりはマシだ。」

と、いうことだ。

「ただ、灯台がないのはちょっと寂しいけどね。」

とも言っていた。

僕はその度に日本海の暗い海を照らす、うらぶれた灯台のことを考えた。

                 ・・・

家 1

駅から歩いて10分のマンションにはコンビニのある角を右に折れるとすぐだ。

「今、コンビニだけど、何か買っていこうか。」

僕は毎日こうして確認してから角を曲がる。別に一度家に帰ってから、また出直してもいいのだけれど、家に入ることで身に纏った外の空気がリセットされて、それをまた身に纏い直すのが少し面倒なだけだ。

「んー、ビールは家にあるわよ。でも、アイスがないわね。」

電話を繋いだままコンビニに入って、冷凍庫を眺める。どれがいいかな、と一応聞いてみるが、

「任せるわ。ジャリジャリしたもの以外で。」

と、だけ言われて電話は終わった。

僕と彼女の気持ちは通じ合っていると思う。学生、社会人と立場や環境が変わっても、今の所うまくやれているはずだ。

彼女がよく買うメーカーのものを選んだ。

僕のこういうところを彼女はどう思っているのだろう。

レジに並んだ。

                 ・・・

大学 2

「刺身定食、焼き魚定食、ホタテのバター醤油焼きにイカ焼き。干物と瓶詰め。あとは、縁日で香具師が売っている様なおもちゃ、ワッペン、提灯。それが俺の実家。」

一緒に安い居酒屋に行くと、彼はいつも故郷の話をした。彼の実家は灯台の麓の駐車場を囲んだお土産物屋とか飲食店群の一つらしく、同じ様なスタイルのお店が7件ほど並んでいるという。

曰く、

「そこに貧富の差はない。完全な社会主義経済社会さ。」

と、いうことだった。

夏になれば日本海の涼しい風を求めてたくさんの観光客がやってくる。大型バイクのツーリング集団がやって来る時は気持ちがいいという。風と波の音しかしない村に、遠く都会からやって来たエンジンの音は、その閉ざされた世界の小さな換気窓を開けて、冷たい空気の様に彼の耳に届く。そして過ぎ去って行く。

残された灯台は岬を見つめ、くるくると海を照らし続ける。

彼はそんな店の二階、海に面した角部屋のベッドの上で、小説を読み音楽を聴いて18年間を過ごした。

「だから、世間知らずってことはない。むしろ都会の中途半端なやつよりは一つ抜けてると思うな。白鯨も2回読んだし、ウェザー・リポートのレコードだって全部ある。それか、お前はイェスタデイの弾き語りができるか?」

僕はそのどれも知らないし、イェスタデイは知っているけどギターは弾けない。でも、それではあまりにも僕自身が不甲斐ないからと思って、

「だけど自分は、最初、IC切符のチャージもできなかったじゃないか。そのこともちゃんとメモしてるのか。」

と、言い返してやった。

「それは言わない約束だろ。」

そういうと彼はホッケをつついて熱燗を飲んだ。まるで岬のお店にいるかのような飲み方だと思った。

                 ・・・

家 2

家に帰ると彼女はせっせと台所で料理をしていた。もうシャワーを浴びていたらしく、濡れ髪をまとめて肩にハンドタオルを掛けたまま、アボカドを切ったり、サーモンを焼いたりしていた。

僕は冷蔵庫に買ってきたものをしまって、その勢いのままスーツを脱ぎ、クローゼットにしまった。

「労働者君はすぐに風呂場へ行ってください。」

と、彼女はこちらを見ずに宣言した。僕は熱いシャワーを浴びた。体から湯気が出るほど熱いシャワーが好きだ。曇った脱衣所の扉を開けた時の、冷えた空気に抱かれる感覚は、僕にとって麻薬の様なものだった。

小さいダイニングテーブルに並んで座る。いつからか、僕らはレストランへいっても、カフェへ行っても差し向かいで座ることがなくなっていた。横に並んで、二人して前を向いて食べる。それぞれ景色をみることに何の違和感も覚えなくなっていた。

彼女はアボカドにオリーブオイルと塩をかけてフォークで食べていた。

僕はわさび醤油をかけて箸でつまんだ。

サーモンは特に何もつけず、そのまま二人でほじくっていた。

「私、なんでもないところへ行きたいわ。ただ景色が広がっているだけの、何もない場所。明るくても暗くても、暑くても寒くてもいいから。そういう場所知らない?」

彼女は唐突に言った。

部屋着姿の僕らがリビングの窓に映っていた。二人とも窓の中で目があった。何秒か見つめあっていると、カーテンを閉め忘れていたことにようやく気がつき、僕は窓へと近寄った。

下にはさっきコンビニから歩いてきた道が見える。マンションのゴミ捨て場とコインパーキング。ふと、街灯がチカチカと点滅しているのが目に入った。

僕は何年かぶりに彼のことを思い出した。

                 ・・・

大学 3

「岬から船が通っているのを見たこともないよ。じゃ、何のために灯しているんだ。」

僕らは人権問題の授業を終えて、食堂でかけうどんを食べていた。200円でうどんも汁もついてくることに経済性を感じていたから。

自分以外の誰かのために、どうしてそこまで自分を犠牲にしてまで立ち上がることができるのか。授業で教授が流したビデオには、白黒の映像の中で額に汗をかき、拳を振り上げ叫んでいる指導者が映っていた。彼はこの抑圧され、寡占された社会の中で失った家族や仲間の写真をバックに、民衆に向かって叫んでいた。民衆は荒ぶる波のように、ステージの下に押し寄せ、彼の言葉に呼応していた。

一方、目の前の彼は、うどんをすすりながら灯台の話を続けていた。

「吹きっさらしの岩肌の、そのへっ先で、ぐるぐる灯を回しながらさ。俺は夜、親父と喧嘩して家を飛び出して、灯台の足元まで行ったことがあるんだ。もう、死んでやろうかって思ってね。でも、できなかった。ただ、真っ暗で、黒をベタ塗りしたような海を見たら、怖くなったんだ。灯台の灯りがぐるっと海と照らすと、かろうじて白い波が見える。真っ暗闇なのにしっかりと距離感がつかめるから、本当に怖かった。それなのに、遠くを見ても何も見えなかった。不思議だと思った。おかしいとも思った。俺と灯台に海の先から手を振ってくれる船はいないんだって。ただの一隻も、一度も。」

かけうどんの汁まで綺麗に飲みきると、僕らは喫煙所へと向かった。あまり授業に出ていなそうな学生たちがたむろしてタバコを吸っていた。

「でも、船からは見えているかもしれない。」

僕は煙を吐き出しながら言った。

「届いているかいないかは岬からはわからない。そんな遠くまで全てを見渡すことはいくら強い灯でも無理だよ。だけど、その灯を受け取る側には見えているんじゃないかな。暗闇にかすかに光る灯。それに救われている船がきっといるはずだよ。だから、灯台は光り続けなくてはならない。届いているかもしれない、でも岬からは見えない船のために。」

彼も煙を深く吐き出した。

「そして、指導者は叫び続けなければいけない。」

僕らは火を消すと駐輪場へと向かった。

もしかしたら、白黒画面の指導者も、目の前の民衆だけではなく、彼にも見えない遠くの誰かのために叫んでいるんじゃないか。例えば失った家族や仲間のために。見えなくてもいい、ただ届いているはずだと思いながら。

横を見ると、彼はノートに何かをメモしているようだった。

                 ・・・

家 3

「日本海のとある岬に灯台があるんだけど。」

カーテンを握りしめたまま僕は彼女に言った。

「半島の先、社会主義経済がまだ生きている広い駐車場に、何軒かの店が並んでいて、そこでは美味しい魚介類が食べられる。そして、岬には灯台が立っている。うらぶれた灯台。決してそこからは見えることのない船に向かって、灯を灯し続ける灯台。」

彼女は僕をまっすぐ見つめていた。箸をおいて、まっすぐに。

「悪くないわね。そこまではどうやって行くの。」

僕は本棚へ向かうと、一冊の文庫本を取り出した。思い出すまでもなくページをめくり、彼女に見せる。

「ここに全部書いてあるさ。」

彼女は、

「誰の本?でもちょっと待って、今は食事中だから。寝る前にアイスを食べながら読みましょう。」

と、言って僕を席へ促した。

「ちなみに、それはどんなお話なの?」

僕は、少し考えながら、

「ひょんな事から出会った男女二人がなんらかのきっかけで付き合うことになり、そして大人であるが故に日常の些細なことに振り回されていく、っていう話だよ。」

と、いつかの説明をそのまま伝えた。

そして席に着くと、ついでに汗をかいて叫ぶ指導者とICカードも使えない友人の話をすることにした。

・・・

今日も等しく夜が来ました。

サックスのリフと、それに続くベースライン、キーボード。

これはきっと海の向こうまで届いている気がします。

Weather Report で『A remark You Made(Live)』です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?