02/08/2020:『The Awakening』

国道沿いの店はこの時間になると大体閉まっていて、それでも例えばカーショップの照明は白くついていたし、パチンコ屋さんの看板は縁を囲んだ電球がぐるぐる光っていた。

どうやって営業を維持しているのかが一切見えてこないラーメン屋の駐車場には何台か車が止まっていて、その隣のコンビニにはそれよりちょっと多いくらいの人が見えた。

僕は遅くまでレジュメを作っていて最後、警備員さんに、

「ごめん、そろそろ閉めるんだけど、いいかな。」

と、言われてしまった。

「あと10分待って下さい。そしたら出ます。」

と、何とかお願いして、そこで作業を終わらせた。その間、警備員さんは上のフロアをぐるっと一周していた。

「終わったかい?遅くまで大変だね。」

警備員さんの方はこれからが長いのに、そう優しく声をかけてくれた。

原付を止めてある駐輪場へ聞く途中には喫煙所があって、

「もしよかったら、一服どうですか?」

と、声をかけてみたが、

「ありがとう。でも、一応お仕事中だからさ。」

と、彼は嫌味なく断り、そのまま敷地内のパトロールへと向かって行った。

僕の父と同じくらいの年齢だろうか。優しい笑顔に何かを背負ったように見える寂しげな言葉尻が、いつまでも耳に残った。じーっと鳴る蛍光灯が喫煙所の上で光っていて、虫がその周りを飛んでいた。

指先の焼ける音が聞こえるくらい、静かな夜だった。

                 ・・・

明日は講義がないから、その分今日は夜更かしをしたかった。かと言ってお酒を飲んでしまえば残るのは二日酔いだけだし、この時間からどこかへご飯を食べに行く気にもなれなかった。

パソコンが入ったバックパックを背中にイヤフォンで曲を流しながら、原付バイクは国道の端っこを駆け抜けていく。夏の空気は湿っているけれど走る分には丁度良くて、首元を抜ける風は僕の気持ちを幾分か楽にしてくれた。

反対車線には大きな宅急便の集積場があって、煌々と灯る明かりにトラックが吸い込まれて行く。1人研究室に籠って作業していた孤独感から抜け出して、世界がまだこうして動いていることを漠然とした規模で感じることができた。

ビデオレンタル屋の看板が見えて来た。昼間は全く目立たないが、あたりが暗くなると黄色い看板が強烈に浮かび上がってくる。

「確か、ビデオデッキあったよな。」

先輩が研究室に置いていったガラクタの中に、銀メタ塗装のデッキと、ブラウン管の16インチテレビがあって、それを引っ越しの時にもらっていたのを思い出した。テレビは現役で活躍中だが、デッキは押入れの上の段にしまっていたはずだ。

看板を左折する。

入り口横の自販機周辺がバイク置き場だったので、そこに停めてヘルメットを持ったまま店内へと入った。

80年代ポップスが流れていて、店内は明るかった。エプロン姿の店員がちょこちょこと棚の間を行き来している。上から見れば、ボンバーマンみたいな感じだろうか。

ジャンルごとに分けられた棚。手書きのポップと50音順の仕切り。ふらふらと眺める。

そういえば実家にもTV番組を録画したVHSがたくさんあって、全て父がマジックでタイトルを書いていた。もちろん、それらは50音順には並べられていないけど。

レンタルコーナーを過ぎて、安売りセールのカゴをいじくる。

「お、これは懐かしいな。」

目に留まったのは古いSF映画で、誰も死ぬ人がいない、涙にくれる人もいない平和なストーリーのものだった。小さな頃からセリフも展開も全てがわかるくらいに繰り返し観た作品だ。

300円。今日は缶ビールを買うつもりもないから、これにしようか。

会計を済ませて、再び原付を走らせた。

車線には僕だけだった。静けさが視覚から聞こえてくるようだ。

車線の真ん中まで飛び出してみる。

道路の端っこで受けるよりも風が全方位的から向かってきて、でも同時にそれは僕の体をふわりと持ち上げてくれているようでもあって、普段の45kmより何倍も速く走っているような気になった。

イヤフォンのボリュームを上げてそのまま次の信号まで走っていく。

足元を過ぎ去る白線をフロントライトがオレンジ色に照らして、視界の端っこでは街灯が現れては流れる。

現れては、流れていく。

                 ・・・

喫煙所を出ようとしたら、敷地を回ってきた警備員さんが戻ってきた。

「ほい、お疲れ様。」

缶コーヒーを買ってきてくれた。僕は素直にお礼を言って、もう一本火をつけた。

「卒業したらどうするの。」

彼が吸っているタバコは昔からある銘柄で、自販機でしか見たことがなく僕の周りでは吸っている人はいなかった。値段が安い分、質もそれなりなのだが根強い愛好家に親しまれてきた。

「わかりません。ただ、日本は出ようとは思っています。」

「そうか、うん。それがいいかもね。じゃないと、わからないことが多すぎるよ。」

わからないこと。彼の言うわからないこととは何だろうか。そして、彼はそれが何かを、もう掴んでいるのだろうか。

「今生まれているもの、消えていくもの。自分が動いているのか、周りが動いているのか。生きていく上で、その辺を見極める力は絶対に必要なんだ。そして、それを身に付けるためには色々な道や方法があるんだけど、その中でどれがベストなものなのか、誰にもわからない。ただ、」

「ただ?」

「そこにただいるだけじゃ、ダメだ。それは明らかだよ。」

そう言うと、

「お先に。」

と、言い残して彼はさっき来た方と反対の敷地へと行ってしまった。

毎日の繰り返し。夜の大学を歩き続ける日々。そんな中でも、彼の中では淘汰と混沌が起こっている、のか。

蛍光灯の周りにはさっきと同じ虫が飛び回っていて、ぶつかっては弾き返されている。

迷ったけど、電気を消して出た。

                 ・・・

家に着いた。床に直置きした照明を付けてバックパックを脇に置くと、そのまま押入れに腕を伸ばした。グルグルとコードが巻かれたビデオデッキ。軽く誇りを落としてからテレビに接続する。

入り口の庇のような蓋が奥に向かって空いて、そこへ素直に差し込むと、アナログな機械音が耳に届いた。しばらくすると、角のない粗めの画質が浮かび上がってきて、見慣れた映画会社のマークとともに最初のシーンが流れる。

だけど、なぜだろう。

何度も観てきた映画なのに、そしてどのシーンも記憶にあることは間違いないのだが、どこかが僕の中でしっくり来ない。ディレクターズカット版だからか、いや、違う。テレビのサイズが小さいからか、それも違う。

エンドロールを眺めながら、ベットにもたれる。

記憶をイメージとして浮かべる。

実家のVHS。父の書いたタイトル。リモコン。再生ボタンと早送り。

早送り?

そうだ。実家で見ていた録画ビデオは、途中途中でテレビCMが挟まっていた。それを僕は早送りで飛ばして、少し過ぎたら戻して観ていた。今はテレビで見ることのなくなった俳優や当時最新の車、消えたポケベルとアンテナを立てる携帯電話。僕はそれらが倍速で動く映像を眺めていた。

記憶にはきっと無意識と意識があって、その二つが合わさって1を成すのだろう。そして、この映画の場合、僕の意識的な記憶は各シーンであったりセリフであったりした。しかしそれだけではイメージが完成することはなく、無意識の部分、つまり古いCMと早送りが記憶のつなぎ目を補填していく必要がある。そうして、僕が観たかった<あの映画>を浮かび上がらせるのだ。

ぼーっと眺めていたら、映画はもう終わっていた。

エンドロール、黒い画面には白い字が下から上へと流れていく。そして重なるようにそこには僕の顔が反射していた。

そこにいるだけの、僕。

「そこにただいるだけじゃ、ダメだ。それは明らかだよ。」

と、警備員は言っていた。誰も吸わないようなタバコを吸いながら。

エンドロールが終わって、画面が真っ暗になる。

でも、今夜はもう、動き出すには遅すぎる。

僕は電気を消して、そのまま朝を待つことにした。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

Ahmad Jamalで『The Awakening』。


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