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鎌倉のセンセの思い出 1 葦津珍彦先生歿後25年の墓参
先月、鎌倉のセンセが亡くなった。お付き合いするようになったのは、まだ二十代のころだったから、もう40年になる。
最後にお会いしたのは、センセの父君、戦後唯一の神道思想家と称される葦津珍彦先生の歿後25年の集まりだった。ごく親しい10人が呼ばれたのだが、思いがけず私もその末席を汚すことになった。
駅の西口に集合したとき、すでにセンセが待ち構えていた。帽子をかぶり、杖をついていた。以前より痩せていた。
宮中新嘗祭「粟の御飯」の調理法への疑問
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宮中新嘗祭「粟の御飯」の調理法への疑問
(令和4年11月6日、日曜日)
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前回、書いたように、宮中新嘗祭の粟の御飯(おんいい)を再現する実験を繰り返し試みている。
もち粟ともち米を5対1の割合で混ぜ合わせ、数時間、吸水させたのち、炊飯器のおこわモー
宮中新嘗祭の「粟の御飯」を再現する
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宮中新嘗祭の「粟の御飯」を再現する
(令和4年11月3日、文化の日)
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今日は文化の日であるが、そのことについてではなく、あと3週間で祭日当日となる宮中新嘗祭の「粟の御飯(おんいい)」について書こうと思う。
じつはこのところ「粟の御飯」を再現する実験を繰