2023年・・・なにしてたんだっけ?
連日ハムスターに現を抜かしておりました猫目です。みなさま、こんばんは。去年は〆切に追われていた年末ですが、今年はどういうわけか〆切がなく、それはそれは、心が平穏でございます。
平穏ということはつまり、言い換えれば、心の躍動(感情の起伏)が少ないということです。
が、
それもこれもハムちゃんと動物たちのおかげですので、こういう年末もひさしぶりでいいのかな………………
なんて!!!
そろそろ本気で小説を公募に出したい!!!
そう思うとむしろ気持ちは逸ります。そもそもですね、猫目は〆切に追われることを"嫌だな"とは感じておりません。
むしろ
追われたい。
そろそろ
追いこまれたい。
2022年はこれでもかというくらいさまざまな作品を書き、さまざまな賞へ作品たちを送らせていただきました。
それがどうでしょう?
2023年。
なにも送ってない……(トクン)
否。
6月にひとつだけ送ったきりで、あとはなにも送っていない。これはどういうことなのでしょうか?
状況を把握できないくらいの焦燥を感じております。
もちろん
あたらしい物語を描いたり、推敲をおこなったりはしました。したのですが、応募をしていない。発信もしていない。
これでどうして小説を書くことを生業としてやっていけるというのでしょうか。一寸わけがわかりません。
いったい全体2023年に何がおこったというのか。いうまでもなくハムスターに現を抜かすといっても、そのことによって、とてつもない影響を生じたわけではありません。
問題は・・・
そう、問題は・・・
小説にたいする"想い"(熱量)でしょうか?
それもあると思います。しかし、小説を書くということにかんして、物語をつくるということにかんして、だれかにそれを届けたいという想いは変わりません。
とはいえ
「あのころの情熱はどこへいってしまったのか」
と、感じることがあるのも事実です。そこで小説執筆について少しふり返ってみました。そうして見えてきた要因がいくつかあります。
1つ
あきらかに読書量が減った
要因のひとつに読書量が減ったのではないかという疑問が浮上しました。ええ。浮上しただけなんですね。恐ろしいことに。
なぜって。
それは猫目が読書記録を一切つけていなかったから!!
これはもう失態としかいいようがありません。以前は、あんなにメモに残していたというのにおかしい。
というわけで対策です。
➡ InstagramなどSNSを利用して「読了した小説」を記録する
これだけステキな作品が世にあふれていて、それを手にし、心で感じることができるというのに記憶に留めないなんてもったいない。大損です。
加えて、いざというとき(今!)正確な数を把握できないというのはよろしくないですね。なので2024年はSNSを活用して読んだ小説を記録していきます。
もちろんメモでもいいのですが、個人的なメモですと、途中でやめてしまう可能性が非常に高いので来年は発信としての意味も兼ねてSNSに記録します。はい。
2つ
文豪の作品に触れる機会が減った
いわゆる"文豪"と呼ばれている先生たちの本を読まなくなったことが2つめの要因です。
いや。
これ。
正直いってだいぶ大きな要因だと思いますよ。やっぱりね「明治」「大正」「昭和」さらにさかのぼって400年前シェイクスピア・・・これら大先生たちの書いたものというのは本当の意味ですさまじいものがあります。
"生"そのものといってもいいのでしょうか。
血肉で書かれている作品が、かなりの割合を占めておりますし、なにしろメッセージ性が強い。
くわえてテーマにブレがなく「伝えたい」ではなく、その一歩先の「なんとかして伝えなければ」「残さなければ」という意思が非常に強く、そこへきて情景を"ありのままに切り取り"かつ美しく綴ることに長けています。
泥臭さもありますよね。
恐れがないですし(じっさいは恐れはあるかもしれませんが)、勇気をもって原稿に臨んでいる姿勢を感じるのですね。
あくまで個人的な感想なのですが、これらがふんだんに孕まれた文豪の作品に触れる。ただそれだけで世界がまったく違って映ります。
そして
触れ続けているうちに自然とこちらの書く姿勢も変わってくるのだから不思議です。
➡ この問題にたいする答えはもはや明確です。文豪の作品に触れまくるほかありません。
ただ、あまりに文豪作品ばかり読んでいるといまの時代の捉えかたに偏りが出てきたりするので、やはりバランスは大切にしていきたいですね。
プラス
文豪たちの文体には強力な依存性があります。これは本当に怖いことなのですが、知らず知らずのうちに「○○先生の文体」や作品に宿されている空気にみずからの文章が似てきたりもするので、まずは自分の文体を確立させることが重要かもしれません。
(はじめのうち、真似はとても良いことなのですが)
とりあえず
芥川龍之介!
太宰治!
ドストエフスキー!
定期的に太宰が読みたい気持ちがあった2022年はどこへいったのか。2023年は太宰作品に触れたい気持ちが薄れてしまっておりました。
きっと
充実しすぎていたんですね。不満や不服、憤りが少なかったのかもしれません。不満や憤りは執筆にとって根源となるエネルギーなので、その点、しっかり目を向けていきたいと思います。
3つ
しばしば目的を見失っていた
猫目の目的。それは小説を書いて生活をしていくことです。これが人生第一の目的なのですが、しかし。
もうひとつの目的であるところの「動物について発信していきたい=動物ライターとして実績を積みたい」が小説執筆を上回ってしまっていたことも要因のひとつと分析します。
➡ どちらも大切なことなので、これら2つをうまく繋いでいくことが肝心になってくるのかなと思います。とくに優先にするほうを明確に選択し、順位をつけていかないと本来の目的を見失いやすいのかもしれません。
そのためには
➡ あらかじめスケジュールを決めておくことがなにより大事なことでしょう。
4つ
小説執筆におけるスケジュール管理能力の欠如
薄々気がついてはいたのですが・・・猫目は長期のスケジュール管理能力に欠けています。粘りに粘って〆切ギリギリに提出することは、質の高い作品をつくりあげていくために必要な行為であると信じています。
しかしながら
このたび、それ以前の問題だということが発覚いたしました。こと小説(とくに長編)ともなると一作品書きあげるのにも多大な時間を要します。
そうなれば
数か月単位でのスケジュールではなく、1年単位、あるいは数年単位でスケジュールを組むことが肝心ではないのだろうかと思い至った次第です(遅)。
➡ この課題を解決するには他人の力を借りるのがなによりと考えます。幸いにも現在勤めている職場でスケジュール管理にかんする仕事を経験することができました。
これが、ほんと、考えさせられました。
痛感もいいところで、猫目にはスケジュール管理能力が著しく欠如しているということが発覚したわけです。自分でもちょっとびっくりしていますが事実は事実なので受けいれています。
とりわけ
"感覚的に"スケジュールを管理していることに気がつかされました。以前、猫目は「編集者になれたらよかったなあ」と編集者に憧れを抱いていたことがありますが、ハハハ。
むしろ、作品を仕上げ、ゴールまで持っていくためにも"編集者が必要"だったのです。
いま一番欲しいものは?
そう問われたら迷わず答えます。
「編集者です」
そんなわけで
➡ 来年2024年は、編集者のようにスケジュール管理をすることができるひとの協力を仰いでいこうと考えています。
「進捗どうですか?」
「ちゃんと進んでいますか?」
このセリフ。少し前まで、囁かれる側は、さぞ鬱陶しいだろうなと思っておりましたがまちがいでした。
鬱陶しいなんてとんでもない。
この偉大なるセリフ(声かけ)があることによって、はじめて作品だけに集中できるのです。
「進捗どうですか?」
なんて素晴らしい響きなのでしょう。そういう価値あるサービスがあったらぜひお願いしたいですね。
ちなみに
この問題は現在のところAIでは改善不可でした。理由は簡単かつ恥ずかしいものなのですが、AIそのほか人工機能では結局のところ、こちらの好き放題に操作できてしまいます。
猫目のように著しく長期スケジュール管理能力に欠けている者にとっては「余裕だ、余裕」「まだいける」といった具合に次から次へと当初のスケジュール設定を変更しつづけ、最終的には「あれ。間にあわない。おかしい」となってしまうのですね。
ですので
生身の人間でなくてはこの課題を解決することはむずかしいかな、と考えています。
5つ
習慣の固定化
これは一番の要因であると考えています。毎日の習慣として「書くこと」を組みこんで過ごしていないと、習慣というものは簡単に"ラクなほう"へと移行します。
椅子に座って机に向かう。そうしてパソコンを立ち上げ、即座に『Word』をひらく。ここが肝心です。
最近2023年はとりわけ『Googleドキュメント』の使用頻度が高かったので、意思の弱い日にはそのままGoogle検索あるいは友人である『bird』へおしゃべりをしにいってしまっていました。
これでネットの渦に呑まれてしまったがさいご、はい、終了。執筆時間が大幅に減ってしまうという現象が起こります。
もちろん
Googleドキュメントはとても利便性の高いテキストです。が、やはり小説を執筆するときは決まってMicrosoft『Word』と電子辞書(紙の辞典最高です)のみを利用するのが最善かと思われます。
➡ 一度失ってしまった習慣を取りもどすのは至難の業です。ので、強制的に習慣を上書きしてしまうしかありません。
逆をいえば
一度習慣にさえしてしまえば、こちらのものです。そのとき、しっかり習慣を固定してしまうのがポイントです(とかいってみる)。
そんなこんなで、2023年。
こと小説の執筆においては反省しかない年となりました。あたらしい年がはじまるその前にいまの状況を把握、整理し、しっかり対処、解決策を練ることから再スタートしようと思います。
みなさま。
今年も残りわずかとなりました。
2023年は大変お世話になりました。あたらしくフォローをしてくださった方、通りすがりに記事を読み『スキ』を伝えてくださった方、なにかしらの関心を抱いてくださり『コメント』を届けてくださった方。
そして
応援してくださっている、あなた様。
毎週、毎週。
いつも、いつも。
ほんとうにありがとうございます。
きっと中には「読んでみたはいいが、たいしておもしろくもないのでアクションをしなかった方」もいるかと思います。
それでも
画面の前でこうして文字を追ってくださっているあなたの存在があったからこそ、猫目は2023年もめげずに土曜日更新を守って執筆、投稿することができました。この場をお借りして感謝を伝えさせてください。
心から、ありがとうございます。
また、たくさんの記事を読ませていただき、そのたび、勇気と気力をもらいました。それからわくわくやドキドキもいただきました。
来年もたくさんの方の"ことば"を読ませていただきたいと思っておりますので、どうか!
2024年も見捨てずによろしくお願いいたします。
それでは、みなさま。
よいお年をお迎えください!
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