荀子:我に諂諛する者は吾が賊なり 我を非として当たる者はわが師なり
ページ開いていただきありがとうございます。少し難しい内容。頭の中で「ラリホー」が響くかもしれませんが、少しお付き合いいただければ幸いです。
権力を持つと擦り寄る人間が増えるのは、いつの時代も問題の様です。
荀子の時代もそうだったようで、今日の「荀子:我に諂諛する者は吾が賊なり 我を非として当たる者はわが師なり」もそのことを良く表しています。
我に諂諛(てんゆ)する者は吾が賊なり 我を非として当たる者はわが師なり
「てんゆ」を最近流行の「そんたく(忖度)」に置き換えても、大きな意味の変化はありません。
権力を持ちつつある私に媚び(こび)諂う(へつらう)、利益を多く得ようとする輩は、私の敵である!と述べた荀子の言葉です。
荀子(じゅんし)とは
紀元前298年から紀元前238年以降、中国戦国時代末の思想家・儒学者。
趙の国で生まれ、50歳で斉へ初めて遊学。その斉の襄王に仕え学長食に任ぜられる。その後、漫画Kingdomでおなじみ楚の「春申君」に用いられる。
三国志で前半に活躍する曹操配下、荀彧はその末裔とも言われる。
性善説を唱えた孟子に反対し、「人はもともと弱い存在で、強くするためには学問を修め公共善を知り、礼儀を正すことができる、と教育の重要性に言及した。
我にてんゆするものは:意味
まず、前半の我に諂諛(てんゆ)する者は吾が賊なり。
ここで2つの意味を考えてみましょう。
先ほども言った通り、「てんゆ」はおべんちゃらや忖度。これは私の敵(賊)である、という事。
まず、そのおべんちゃらや忖度をする「人間」に向けて、注意喚起しています。
そしてもう一つの意味は「吾が賊」、忖度される私自身も敵である。という様にも読み取れます。
我を非として当たる者はわが師なり:意味
後半のこちらは多くの思想家に共通する考え方。
私、私の行いを非として(注意・意見しに)来る者は、私の先生である。
私の考えや行いなどの欠点や過失を指摘してくれる人は、私の先生であり、心して耳を傾けます、と言う意味。
この後半部分も同じく、受け入れる心構えと同時に「反対意見を募る」という姿勢も表しています。
現代社会における「我に諂諛する者は吾が賊なり~」
様々な企業や団体、政治等を見ていると、言わずもがな、良い例が多いです。
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