見出し画像

人生初シェイクスピア!で感じた「リスペクトとクリエイティビティの関係」

先日55歳になりました。
大学時代のちょっとした演劇参加(平田オリザさんの青年団のスピンオフ上演に2回出ているのです)から数えると、35年超のエンタメ人生にも関わらず、恥ずかしながら、一回もまともにシェイクスピア体験をしたことがなかった私ですが、仲間の旦那様が役者として出演されていた舞台に誘っていただき、ついに初体験をいたしました!
作品は「ハムレット」
その前夜が3時間睡眠だったので、古典、ヤバいかな…と思っていたのですが、観たら正直、めちゃ面白かったです!NO居眠りです!
ここにまた一つ、ライツビジネスの真髄⁈を感じたのでした。

シェイクスピアがなくなって400年超!

食わず嫌いも甚だしく、ほぼ名前と作品名くらいしか知らなかったという無教養バリバリ状態でしたので、彼の作家としても人としても、その人生に関する情報を知りませんでした。
皆様には当たり前に知っていらっしゃることばかりかもですが、生まれは1564年、亡くなったのは1616年。
「四大悲劇」として知られる「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」に、「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」「真夏の夜の夢」「ジュリアス・シーザー」などなど、生涯に37本(諸説あり)の演劇作品を書き上げ、その全てが私みたいな人でもタイトルだけは知っている、という超メジャー級作品ばかり。
既に死後400年ですから、著作権フリーになってもかなりの年月が経っております。
だからというわけではないですが、もう数え切れないほどの数の上演が行われています。

アーティスト、クリエイター魂への刺激が作品の命を永続させる

「彩の国さいたま芸術劇場」の芸術監督に就任された蜷川幸雄さんが1998年に始められたのが「彩の国シェイクスピアシリーズ」
これは37全作品を上演するプロジェクトで、2016年に蜷川さんがお亡くなりになった後は、二代目芸術監督となられた吉田鋼太郎さんがその意思を引き継いでやられています。
演劇人に限らずさまざまなアーティスト、クリエイターがシェイクスピア作品の上演をしているわけですが、これを巻き起こしている⁈(可能にしている)のは、まさに「作品の持つ力」なのだと思います。

作品自体が持つ魅力がさまざまなアーティストやクリエイターの魂を魅惑し、魅惑された彼らは、ある意味作品の愛の奴隷⁈となって、その作品の命を紡ぐために奉仕⁈をしている。
でも、その奉仕がなんとも刺激的かつ甘美なわけで、苦しいけど堪らなく幸福な気持ちで魂を満たしてくれるのです。

ちなみみに、シェイクスピアは生前に自分の脚本の公式本の出版をしていません。
作品全集は死後の1623年に編纂されただけ。
となると、その全集の一字一句が全て正確にシェイクスピアが書いたものかどうかもわからない。
ここからして、後世のアーティストやクリエイターの心をくすぐりますね。

リスペクトとクリエイティビティのエコサイクル

私が観たバージョンの尺は2時間半だったのですが(全篇だと7時間くらいあると聞きました)、この縮め方というか構成の仕方に演出家の個性と腕が出るそうです。
つまり上演される度に新たな「ハムレット」が生まれている、いうわけです。
作品の持つパワーがアーティスト魂を刺激し、そんな刺激を与えてくれる作品に対してリスペクトが生まれ、そのリスペクトの上に立った創造が行われる。
演劇などの作品創造だけではなく、広く「IP/ライツビジネス」全体においても、そのスタンスは同じく大切で基本なのだ、と人生初シェイクスピア舞台を観て思ったのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?