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林檎の樹〜銀婚式と英語教師の思い出〜

我が家は今年銀婚式を迎える。96年に入籍したから合ってるよね。大学時代の仲間内でも早い方の結婚ではあったけれど、もうそんなになるのかと驚くばかり。プロポーズの言葉なんて覚えていないし、強いて言えばそれぞれに払っていたアパートの家賃がもったいないから一緒に住む話をしたのがそれだったかも知れない。

双方とも地方出身、安月給のアパート住まいでカツカツだったため恥ずかしながら貯金ゼロ婚で、婚約指輪は無し、結婚指輪は1万円のもので精一杯。新婚旅行も無し。結婚式はかろうじて1年後に挙げたという、新婚生活イコール貧困生活からのスタートだった。こんなんで上手くいくのか?なんて陰では言われていたかも知れないけれど、おかげさまで面白おかしく25年、銀婚式の年です。

銀婚式に因んで、ゴールズワージーの「林檎の樹」の話を。銀婚式を迎えて記念の小旅行に出かけた夫婦の姿が語られるところから物語は始まる。私がこの作品を知ったのは高校の英語教師がきっかけだった。

「僕はこの作品が好きでね……涙なしでは読むことが出来ないんだ」

ぜひ君たちにも読んでほしい、と授業中の話の流れで幾度となく語られた作品だったが、当時は特に読む気にもならずそのままにしていた。あるクラスメイトが「読んだよ、読んだけど別に」と素っ気ない感想を呟いていたこともあり全く触手は伸びなかった。そもそも私はその教師にえらく嫌われていた。出来なくともコツコツと泥臭いまでに努力する生徒が好きだと公言していた彼にとって、私のように適当に好きなことだけやっていて、試験だけしれっと押さえるような者は許せなかったのだろう。英語の模試でトップを取った時に「マークシートで取った成績など実力ではないんだ!」と全員の前でキレられたのも今では良い思い出(笑)

その「林檎の樹」は読まずじまいですっかり忘れてしまっていたが、数年後に手に取る機会が出来た。当時大学で履修していた「英米比較文化論」という講義が今思い返しても5本の指に入るくらい好きだったのだが、英文学と米文学それぞれから読み取れる国民性や時代背景を比較していくという非常に興味深いものだった。そこでレポートを書く際に確か『イギリスにおける身分違いの恋愛』をテーマにしてこの作品を選んだのだと思う。資料選びの中でいくつかイギリス文学の書評を流し読みしていたら偶然この作品を目にして、英語教師の記憶とリンクして「読んでみよう」となったのだ。

主人公のアシャーストは妻との銀婚式の記念旅行先で、突然過去のある記憶が甦るのを覚えた。それは26年前、大学時代の友人との徒歩旅行で確かにこの近くに来ていたこと。細長い小径、古い塀、カッコウの声にハリエニシダの香り。そして何かを暗示するような小さな塚。そして回想へと繋がっていく。

アシャーストは足の怪我で旅行を続けられなくなり、近くの農場に宿を求め足が治るまで滞在していた。そこの娘ミーガンと、つまりは恋に落ちる。季節は春。果樹園には林檎の花が美しく咲き乱れていた。林檎の花は物語の象徴のように随所で描かれている。

ついに、春が一気に花開いたのだ。男の子たちがキラキラ草と呼んでいるキンポウゲが一夜にして咲いてあたりを埋めつくし、アシャーストの部屋の窓から見える果樹園は林檎の花に覆われて薄紅と白のキルトのように変わっていた。

林檎の他にも、とにかく花の描写が多くみられる。トネリコ、ブルーベル、ハリエニシダ、アカスグリの花、オークの金茶色の花……と、どんな花かすぐに思い浮かばなくとも読んでいるだけで甘い香りが漂ってきそう。花の香りに誘われて、アシャーストが恋に浮かされているように思える。彼は裕福な家に育ち、弁護士となる人間だ。対してミーガンは農場の娘。どう考えても身分が違う。それをミーガンはわかっていて彼を「アシャースト様」と呼び、名前で呼ぶなどとんでもないことだと言う。アシャーストは身分のことなど構いやしない、この農場からミーガンを連れ出してロンドンで結婚したいという。ミーガンはアシャーストを愛しているけれど、結婚なんてとんでもない、お側に居られるだけでいいと。それでもアシャーストの情熱を信じてしまった。

そもそもイギリスは階級社会で、ましてや20世紀初頭。階級違いの結婚は許されるものではなく、アシャーストはミーガンとの結婚を「駆け落ち」前提としている。林檎の樹の下で互いの想いを確かめ合った次の朝、町に戻りお金を下ろしてミーガンに着せる(街に出るのに恥ずかしくないであろう)服を買って必ず迎えに来る、と言ってアシャーストは農場を去り、そのまま戻らなかった。

彼は町でかつての学友と再会する。そのまま友人の妹たちと一緒に海に遊びに行ってしまうのだ。その頃はまだ呵責に苛まれもしたが、結果的にはその一番上の妹とあっさり結婚してしまう。それが銀婚式を迎えた妻だ。

ひ、ひでえ。

ひどすぎる。

先生、どこに泣くポイントがあったのでしょうか……

気を取り直してストーリーに戻ろう。その後、アシャーストが迎えに来るのを待ち続けたミーガン。待てど暮らせど来ない恋人が別の女性と結婚したことも知らないまま茫然自失となり、自ら命を絶ってしまうのだ。自害した者は十字架の下に眠ることが許されず、そこらへんに埋められ、石ひとつが彼女の証となった。

アシャーストは近くにいた老人に話を聞く。老人はおそらくかつてのアシャーストと接触があった筈だが彼がそうだとは認識していない様子で当時のことを気軽に話す。ミーガンはロンドンから来た若い紳士に一方的に熱を上げてしまい叶わぬ恋に悲観してこうなってしまった、という話になっているとのこと。アシャーストが彼女を捨てたという話にはなっていない。それほどに身分違いの恋愛というのは「あり得ない」ことだったのだろう。

物語のラスト、彼は丘の上に横たわり、涙で視界がかすむ。そこに後悔はあったのだろうか。いや、そうも思えない。結果的にそれで良かったんだろうと思う。リスクを回避しそれなりに幸せに生きてきた。そこにあったのはただの感傷。そういう社会だったし間違ってなかったんじゃない?なんて冷めた感想を抱いた。

レポートをどうまとめたのかは覚えている筈もない。読後感もモヤモヤしたものだった。しかし物語中で何ページにもわたって描かれる美しい風景や咲き誇る花々の色、香り、鳥のさえずり、小川のせせらぎ。本当にそれらが見えて聞こえて、香ってくるようだった。だからこの作品は嫌いになれない。

かつての恩師がロマンチストだったことを思い出した。主人公の感傷に共感したのか、或いは私と同じように風景描写の美しさに惹かれたのか。逃げるように卒業してしまった私だけれど、どんなに頑張っても褒められることなく、それでもいつか認めてほしくて必死で頑張った。第一志望に受かったのは先生のおかげだとちゃんと感謝を伝えていれば、その答えを聞くことが出来たのかも知れない。

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