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エコロジカル・アプローチ@バレーボール【12/16】「主体的学び」のために指導者が学ぶべきこと

エコロジカル・アプローチ@バレーボール【11/16】スモールサイドゲームと「主体的・対話的で深い学び」からの続きです。

前回は、学校で求められている「主体的・対話的で深い学び」はエコロジカル・アプローチであるべきであり、指導者が、観察→仮説→実行→検証(観察)という試行錯誤のループを成立させていくことが重要であるということについて書きましたが、これを1人で実現するのはとても難しいことなのです。

今回は「学習者が主体的に学べるように、指導者はどんな力をどうやって身につけていけるか?」ということについて、富山大学人間発達科学部附属特別支援学校の教員研修から紹介していきたいと思います。

そこで取り組んでいた「教員研修の方法」のテーマは「子どもの主体的学びを実現するために、教師はどんな力をどうやって身につけていけるか?」というもので、具体的内容は教師の『聴き合う』仕組み作りでした。

特別支援学校ですから、生徒は「特別な支援」を必要としている子どもたちです。そこで教師は指導力を高めるために、生徒に対する「支援&指導方法」を知りたいと思うし、先輩教員も「こうすればいい」と言って支援&指導方法を教えなければと思うわけで、それが「教えあう授業研究」です(上図左)。

しかし、それでは教師自身が「主体的に学ぶ」ことを否定することにもなります。生徒も「支援されて生きる」ために学校に通っているのではなく、自分で生きていくために必要な力を身につける(学ぶ)ために通っているわけですから「主体的に学ぶ」ことは重要ですが、「主体的に学ぶ」ことを否定された教師にそれを導くことができるでしょうか?

支援が必要な生徒に対して「これができるようにさせたい」それには「こうすれば(これを教えれば)いい」という「解決策」を与えたくなるのは無理の無いことでしょう。安全を確保するために直ぐに手を出さなければならないこともあるし、子どもの特性を理解するためにより専門的知識が求められることもあり、待っているわけにはいかないということはあります。

しかし、教わるべきことがあるというのと「主体的に学ぶ」必要があるというのは別のことであり、「解決策は与えられるべきもの」という前提は変えていかなければなりません

誰しも「こうすればできる」という答を求めるし、「答を与えなければ」と思ってしまいがちですが、「答」は一人ひとり時と場合によっても違うので、「答を与える」のには無理があるし、必要なのは与えられた「答」ではなく「その時と場合の自分に合った答を、自分で出す力」なのです。

エコロジカル・アプローチ@バレーボール【7/16】「言語化」はどこまで可能か?で説明していますが、プレイヤーが真に必要としているのは「自分で、その時の自分自身の、その場での解を出せる力」であるということと同じなんですね。

どうすれば「主体的な学び」を守り、育てることができるのか?それには、対等な立場で「観察」や「解釈」を聴きあうことが最も役立つと考え(上図右)、その仕組みとして作られたのが「学びあいの場」というものでした。

そして、そこでルールとして重要だったのが、観察された「事実」と「解釈」を明確に分けるということであり、具体的には色の違うラベルに書くという方法でした(下図①②)。

「事実」と「解釈」を明確に区別しないと、「生徒がなぜそうしたのか?」「なぜそういうことが起きたのか?」を自分の解釈で断定し、一気に「こうすればいい」という「解決策」を言いたくなります。そして、より権威のある人の言うことが正しいということになってしまいます。

「事実」と「解釈」を分けることで、「解釈はあくまで個人のものであり正解はない」という前提が守られ、対等な立場で聴き合うことができることになります。また、正解がないので「解決策」もあくまで「仮説」ということになり、「検証」しなければと思うようになります。

まずは、「どうすればいいか」という答を求めることから一旦離れ、事実の「観察」とその「解釈」を区別し、それらを人と対等な立場で共有してみることが必要かもしれません。それによって初めて「答は与えられるものではなく探索するものである」というところに立つことができるのではないでしょうか?

エコロジカル・アプローチ@バレーボール【13/16】「観察の喜び」を共有したいに続きます。

▶︎布村忠弘のプロフィール


バレーボールに関する記事を執筆しています。バレーボーラーにとって有益な情報を提供することをコンセプトにしています。