エコロジカル・アプローチ@バレーボール【13/16】「観察の喜び」を共有したい
エコロジカル・アプローチ@バレーボール【12/16】「主体的学び」のために指導者が学ぶべきことからの続きです。
前回は、指導者がエコロジカル・アプローチで「制約」を設定し適切に調節していけるようになるために、「観察する力」をどのように育てていけばいいかについて、「観察」とその「解釈」を区別し、それらを人と対等な立場で共有してみるということを提案しました。
「こうなっているのは(観察)、こういうことかもしれない(解釈)」
「それが本当ならこうしてみれば変わるだろう(仮説)」
「本当かどうか確かめるにはここを見てみよう(検証)」
これらを区別し、仲間と共有していくことで、試行錯誤のループを成立させることができ、「制約」をコントロールしていく力が育っていくというわけですね。
「どうすればいいか」という答を求めることから一旦離れ、事実の「観察」とその「解釈」を区別してみてほしいのですが、そう言われてできるものでもないでしょう。「観察」することですぐ問題が解決するわけはなく、観察に徹することはなかなかできないのは当然だと思います。
「観察」の意味とその大切さを知っている立場としては、「観察」は時間を忘れて没頭し、いろいろなアイデアが生まれてくるとても幸せな時間なのですが、それを知らない人には分からないでしょう。とにかく、少しでも「観察の喜び」を体験してもらうことを考えた方が良さそうです。
そこで、「観察の喜び」が伝わると思う動画を紹介したいと思います。
【保育園の「表現者たち」展】さんの動画と記事をご覧ください。
【造形活動を考えるとき、保育者は何を描かせ、作らせるかを考えてしまいがちです。何かではなく、素材の“質感“に、もっと意識を向けていいのではないかと思います。】と記事にあるように、素材の質感の違いによって子どもたちが造形活動を展開していく様子が、動画とともにありありと書かれています。子どもたちはひたすら「未知との遭遇」を楽しんでいて、そこには素晴らしい学びが進んでいるのが分かります。
ここで「子どもたちが得ているもの」がありありと見えていたら、「何かを描かせよう、作らせよう」なんてことがとてもちっぽけに見えてくると思うのですが、それとは反対に「描かせよう、作らせよう」と思ってしまったら、「どうすればやらせられるか」ばかりになり、ここで得られているものは何も見えなくなってしまうでしょう。
【造形表現活動において、『何かを描かせよう、作らせよう』とすることが、教育であるとする根強い流れを断ち切れないのだろうか】という言葉が書かれていますが、その重要性は「観察の喜び」を知っている人には伝わるけど、それを知らない人には伝わらないわけですね。
ということは、子ども達が成長する様子にワクワクするという体験をしてもらうことが鍵を握るということではないかと思います。そのためには、子どもの行動を観察し、その解釈を共有するという場を作っていくことが必要なんでしょうね。
子どもの行動を見て、「ああ、今こんなことをつかんでいるな、ここでこんなことを感じているんだな?」という解釈を共有していくことが「観察の喜び」を伝えることになると思います、というか、唯一の術かもしれません。
「今、この子はなぜこうしたんだろう? 何を感じているんだろう?」という疑問を共有できれば、それが観察につながります。そして、同じ行動を観察したもの同士で解釈をシェアし合い、「こうかもしれない」という想像が膨らむことで「観察の喜び」を味わえるんじゃないかと思います。
「観察の喜び」これがあるかどうか、それを認識しているか、それをとても大事なものだと思っているか?
「こうすればいい」が溢れる世界で、ちゃんと「本質」を求めていけるかどうかは、そこにかかっていると言っても過言では無いでしょう。
(「観察の喜び」についてはフェイスブックでもいろいろ書いております。よろしければご覧ください。)