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ストリートビューで当時の通学路を追ってみた

先日、こんな記事を投稿しました。

自分自身が小学生だったとき、どんな風に過ごしてたかなと。
当時の記憶を呼び覚まし、小学校までの通学路を思い浮かべて書いたんだけど、凄い鮮明に覚えていて自分でもビックリ。

割と人から「よく覚えてたねーそんなこと」と言われることの多い人間だからなのか、それにしても当時の風景も目線も言動も、私の海馬にはまだバッチリ残っていた。

小学3年生だったか、4年生だったか、記事には書いてないけれど、鮮明に思い出せる記憶は他にもいくつもある。

・雨上がり、石橋(友人の名前)が二ヤっと悪い笑みを浮かべたと思ったら、次の瞬間大きな水たまりに大ジャンプして、みんなを水しぶきだらけにしたこと。

・左側の一段せり上がった脇に派生するひっつき虫(コセンダングサの逆さとげ)をむしって投げつけ合いながら帰ったこと。

・前を通ると塀の隙間に、怪我するよってぐらい口を突っ込んで親の敵みたいに吠える犬がいて、いかにそっとその前を通り過ぎることが出来るかどうか、その家が近づくと自然とチキンレースが始まること。

・信号待ちの時には、焼き肉屋さんから漏れるジュージーな香りに、みんなで鼻をクンクンさせながら青信号を待ったこと。

とにかく、このクラスのチープなエピソードがエンドレスに沸いて出る

ひときわ印象的だったのが先日の記事にも取り上げた、一色君ランドセルごと小川にイン事件。実は枇杷騒動の一件で、班内で一悶着合って小競り合いしてる間に事件は起きていた。きっかけは、「この小川飛び越えて向こう側に渡れるかどうか」なんだけど・・・。飛び越えられるのなんて、運動神経抜群の石橋だけに決まってて、一色君は絶対無理だったはずなのに。一色君はやさしい少年だったのでランドセルからタニシが出てくる羽目になっても、大丈夫って許してくれたが、さて、本音はどうだったんだろう。怖くて聞けない。

大事件ついでに、私はそろばんに向かう途中、自転車ごと田んぼにダイブしたこともある。ちょうど今ぐらい、そこらじゅう田んぼに水が張られて、あちこちで田植えが始まるこの季節。そろばんに向かう近道の田んぼのあぜ道で、私は自転車ごと泥まみれになった。近道を選んだばっかりにこの始末。その日はもうそろばんどころじゃない、そのままとんぼ返りで撤収だ。

話ついでに、田んぼ水落事件のすぐ先にあるお気に入りの公園では、友達とブランコを激漕ぎして靴飛ばししてたら、勢い余って自分も飛んでいった。痛ったーい、と座り込んだところにすかさずブランコの座面が後頭部に直撃。もう踏んだり蹴ったりとはあーゆー状態のことを言う。

と、文字面だけ見ると、どんだけーと思われるかもしれないが、田舎の小学生なんて毎日が珍事件の連続なのだ。昭和の当時は。

そして、ズッコケ三人組みたいな海馬の記憶だけでは物足りず、ついついストリートビューで当時の家から学校までの通学路を追ってみたのだ。

悲しいかな、、

海馬に残る景色とGoogleが見せてくれた景色は随分と違った。
もちろん、当時のままの石置き場や小川もあったけれど、愛犬アリスを過信して放したら一晩帰ってこなかった、家の前のだだっ広い田んぼはすっかり住宅街に様変わりしていた。妹が通っていた近所の保育園は私の知っている窮屈な姿ではなく、広々とした園庭に素敵な園舎も新設されていた。

何十年と時が経てば、田舎だって、田舎なりに刷新されていくのだ。
ちょっぴり寂しいけれど、仕方有るまい。

あと、ストリートビューを開いて真っ先に感じたのが

「この道、こんな狭かったっけ??」

だった。

家の前の道幅が想像以上に狭く感じたのだ。道は広く拡幅工事されることはあっても、わざわざ狭くリニューアルされることはない。

なんでろうって考えてわかった。

私が大きくなったからだった。

ゆっても今と10センチか15センチの身長差だろうけど、子供の目線ではもっと広く、大きく感じていた。そしてその時の風景が記憶に刻まれていたからだと思う。

同じ風景も下から見上げると、随分と広く、大きく見えたんだろうなあ。

今なら小川もひょいっと飛び越えられるかもしれない。

いや、ピークを過ぎた今の私は一色君コースかな。
バックからタニシが出てくるかも。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

★コロナですっかり帰省も遠ざかっている人には、ストリートビューで当時を懐かしむ、なんてエアー帰省もオススメです。^^



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