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大竹伸朗展

記憶を閉じ込める制作をしている。
大竹伸朗自身、毎日夢日記を書いているらしいが、夢といった"無意識の世界"や実際に起こったことをリフレインすることで上書きされる"記憶"といった潜在意識に強い興味を持ち、人間の核に触れる曖昧な部分を芸術として表現してるからこそ、こんなにも歪であり不思議な世界観の作品が出来上がるのだと思った。そんな展示会感想。

ナイロビⅡ


記憶の断片を繋ぎ合わせる、夢からの構想、無意識を可視化させるという点でシュルレアリスムの系譜を感じる。

時憶


まわる円盤の上には紐で括り付けられた人形がひたすら回っている。いや、引き摺られているに近い。天井には写真やカメラなどのオブジェがぶら下がっている。私は作品詳細をあえて知らないまま鑑賞していたが、これは"人生"を表現しているのではないかと思った。
まわる円盤はその人の軌跡であり、写真やカメラは記憶の断片である。
円盤の上をただただ踊り続ける人形は、日々回りゆく世界と、日々を繰り返す人生を比喩している。皮肉なのが、操り人形のように紐で括り付けられ同じところを引き摺られ続けているところである。
天井が運命そのものを表しているのだとしたら、運命は生まれたまさにその瞬間から決まっており、人生は決められた運命や配られた手札の上を踊り続けるしか出来ないものである"ともとれる、諦観した悲観的作品となる。

コラージュ
コラージュ

壁一面のコラージュ作品は"風邪をひいた時の悪い夢"のようにサイケデリック。
不気味で歪な世界観に虜になる。

大きな箱は、雑誌の切り抜きなどのコラージュにギター、ネオン、アンプに散乱した本など、混沌としつつ魅せる引力がある。好きなものを詰め込んだ秘密基地のようなものなのかもしれない。

網膜 クレパス
網膜/境界景7

網膜シリーズも大竹伸朗の表現したいものの本質を突いているようでとても好きだ。
露光ミスにより捨てることになったポラロイド写真が当時"たまたま自分の頭の中に漠然と浮かんでいたものを忠実に再現していた"ことから発見し、作り上げた。
昔、小学校の頃の図工の授業でやったデカルコマニーで、紙の間に絵の具を挟み、偶発的に出来た模様が、強烈な毒を持つ蜂のようで、鮮やかでとても美しく、自分からこれを描くと明確に決めたわけでもないのに"偶然創造されるもの"に釘付けになったが、それを思い出した。


夢の中にいるような潜在意識を具現化したようなコラージュ、アバンギャルドな作風を見ていると芸術というのは自由でいいんだと思わされる。
そして、私は芸術は伝えたい何かが作り手にあったとしても、10人いたら10通りの受け取り方があっていいと思う。受け手が見えたものもまた正解であり、そういった答えのない曖昧さがまた芸術の良さだと思う。
素晴らしくインスピレーションを受けた展示だった。
私も久々に創作したい。

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