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死ぬことよりも怖いこと

死ぬことよりも、負けることの方が怖い。
死ぬことよりも、誇りを失うことの方が怖い。

小説や漫画などでは比較的よく取り扱われる題材だったが、こうした発想が必ずしもフィクションの世界だけのものではなかったのだということを、最近は特に思い知らされる。

いま最も典型的な例はロシアのプーチン大統領だろう。

ウクライナへの侵攻が始まって1週間、EU諸国や米国をはじめとした多くの国がロシアを非難し、経済制裁が始まった。彼はもはや退くに退けない状態になっている。

ロシアの兵力がEUや米国にかなうはずもないことは誰もがわかっていることであり、彼自身も当然理解していることだろう。それでも彼は、侵攻を達成する(=黙認させる)か、さもなくば死ぬかの二択を突き進む。

米露首脳会談で、バイデン大統領からプーチン大統領に対し、軍事的なエスカレーションが起きる場合には、経済その他で強力な措置で対応すると警告した。一方のプーチン大統領は、NATOやその同盟国がウクライナ領を同化しようと試み、ロシア国境周辺の軍事力を強化しているのが問題だとし、NATOの東方拡大や、ロシアの近隣国に攻撃用の兵器システムを配備しないことを法的に保障するよう求めたという。

引用元:なぜウクライナへの軍事侵攻を計画するのか?知っておきたいプーチン大統領の狙いとは

他国に屈し、誇りを失うことが死ぬことよりも怖い。彼に侵攻を諦めるという選択肢はない。意地の領域に突入している。

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本当に命を懸ける場面というのは、プーチン大統領のような重責を担うポジションの人間か、あるいは任侠の世界でしかお目にかかることはなく、平々凡々と暮らす我々一般人の多くは幸いにもそこまでの深刻な場面に遭遇することなく一生を終える。

しかしながら、ものは考えようであり、「命」のとらえようによっては、これのライト版とでも言えるものはしばしば散見される。

親に叱られ、親子喧嘩に至った反抗期の子供が、親との口喧嘩に勝てない未熟な子供が、最終手段として放つ捨て台詞がある。

・・・もちろんこうした子供自身、死を覚悟してここまでの暴言を親に言っているわけではなく、親が自分を見捨てないであろうこと、最終的には面倒を見てくれるであろうことを分かった上で、単に意地を張っているだけの、あるいは口喧嘩で勝てない親を何とかやり込めてやろうという、根本的に親に甘えた考えが背景にある発言であることは念頭に置く必要がある。

死というものをリアルに想像できない未熟な子供だからこそ、軽々しく出生を否定し、親子喧嘩に負ける程度の屈辱を死と対比するわけだが、「思い通りにならないなら死んだ方がマシという発想」という意味で、まさしくこれは先ほどのプーチン大統領の例と同じベクトルの、「ライト版」と言えるのではないだろうか。

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そんな子供じみた発想は実は大人の世界にも存在する。

インターネットの世界では、謝ったら死ぬ病というミームがある。

「謝ったら死ぬ病」はもともと、不祥事を認めようとしない政治家や企業トップなど有名人への揶揄として使われてきたが、SNS普及後は一般人でも多くの人がかかっていることが判明した。意味としては、「謝ったら死んでしまうとでも思っているのか、完全に謝るべき状況であっても頑なに屁理屈を重ね、謝ることを拒否する」といったところだ。

引用元:政治家も一般人も引っかかる「謝ったら死ぬ病」のワナ。人はなぜこうも謝れないのか?【連載】中川淳一郎の令和ネット漂流記(29)

何でもデジタルに証拠が残るインターネットの世界では、現実世界以上に人々の言行不一致自家撞着が目立つことになるわけだが、どういうわけか多くの人が、現実社会では謝れるのにインターネット上では謝れない状態に陥っている。

すみません。間違っていました。申し訳ございません。

ビジネスマンとして働く限り、こうした言葉は何ら抵抗感なくごく気軽に発せられるものなのに、インターネットの世界ではそれができない。ちょっとしたミスや単なる誤解であっても、それを認めることができない事例があまりにも多く散見される現状がある。

この病理の原因は、インターネット上での死は現実の死ほど重くないことなのではないかと個人的には分析している。

現実世界で自分の犯した勘違いやミスを認められない人は、誰からも相手にされなくなるわけで、端的に言えば社会的に死ぬことになる。

一方で、インターネットの世界で幾ら醜態をさらしたところで、その人が現実世界で生きていけなくなるほどのダメージを受けるわけではない。

匿名アカウントであれば垢消し転生をすれば良いし、実名アカウントであっても何度も醜態を繰り返さない限り、遅かれ早かれ世間からは忘れてもらえるものだ。

人の噂は75日、Twitterの炎上は72時間。インターネット上の死は実社会での死よりも遥かに軽いわけで、だからこそ「死よりも重いプライド」がしばしば発生し、謝ったら死ぬ病などと揶揄されるほどの現象になっている。

死よりも重いプライドは、見渡せば至るところに存在している。


本日は以上です。
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それではまた次回。

2022.3.4 さいとうさん

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